風を待つ街

juno/壱岐みぞれ

くちさびしい

 ぎゃんぎゃん喚かれるのは嫌いだった。だからほんの口封じのつもりだった。目が合って、何かを叫びだす前に慌てて壁に押し当てた。当時壁ドンという言葉は、まだなかったように思う。

「ちょ、な、なにっ」

「大きい声出さんで。黙って」

 動揺を絵に描いたように視線を泳がせる彼女は、顔を真っ赤にして明らかに憤慨していた。いや、もしかしたら怯えていたのかもしれない。いずれにせよ平静を保てていないのは事実で、はくはくと開いたり閉まったりする唇がいつ大きく息を吸って大声を出すかと思うとこちらも気が気ではなかった。

 公立の学校ではあるが、普通の学校ではなかった。受験偏差値は72とかそこらの、まぁまぁ優秀な学校で、なんの因果かあたしは適当に書いて適当に受かったがゆえに来てしまったのだが、当時中学3年の段階で既に高校への内部進学は絶望的な成績だった。元々勉強なんてしていなかったのだから当たり前だ。そして校風はびっくりするくらい自由だった。ギターケースを担いできても怒られなかった。本当はベースだったけど。

 でもさすがに校舎裏でタバコを吸っていたのがばれたら面倒だな、と思う。それはあたしがいくらあほでもわかる。

 だから同じクラスの秀才、いつもテストで一番を取っていた同級生の女の子が、そんなあたしに気付いて大声をあげるのを全力で阻止したのだ。

「ださ、ださないから、やめて……!」

「なんもしとらんじゃろまだ」

「カツアゲとか、するんでしょう。ふりょ、不良なんだから」

「あたしは……」

 不良じゃない。そう言おうとしたが、父親の車からくすねてきた煙草を吸ってみたりしていたのだから不良と言えば不良、の仲間かもしれない。否定はし切れなかった。そうこうしているうちに灰がじじ、と足元に散った。彼女は小さく悲鳴を上げた。

「け、けっ、消してよっ」

「ぴーぴーうるそうてかなわんわ……」

「ひっ」

 あたしはその時、きっと動揺していたのだろう。目の前の少女が侮蔑の篭った視線を投げつけてくることに若干イライラしていたのだが、それ以上に困惑したのは彼女が既に半分泣きそうだったことだ。咥えていた煙草を指先で挟んで、わなわなと震える彼女の口に持って行った。

「や、やだっ、やだやだやだっ」

「危ないけぇ、はよ咥えや」

「いやだってば……!」

「はよ。灰が落ちる」

 とにかく黙らせたかった。そしてあたしだけではないと、言い聞かせたかった。あたしは結局、危ない橋をひとりでは渡れない奴だったのだ。

 彼女は目に涙を一杯浮かべながら、あたしの啄んでいた煙草を柔らかな唇で咥えた。そしてよせばいいのにおもいっきり息を吸い込んで、盛大に噎せた。




「……ってことを思い出したんだけど」

「よう覚えとるねえ」

 すっとぼけて見せたが、無駄だった。彼女はライターで器用に火をつけて見せた後、ふうっと長く息を吐いてにっこりと笑って見せた。

 初めて吸った煙草がセブンスターだったのだ。ピアニッシモなんて玩具のようなもんだろう。酒の味よりも薄いような煙草の香りは、しかしながら非喫煙者のあたしには刺激が過ぎた。煙草を吸ったのは15歳になったばかりの冬の走り、あの一瞬だけだ。そして二度と吸うかと幼心に想った。

「まさかあれ以降、煙草辞めてるなんてね」

「というよりまともに吸うとらんのよ」

「私はあんなに成人が待ち遠しかったのに」

「それは知らん。あたしが悪いんは、あんときだけじゃ」

「嘘」

 高校に入ってから一度も会わなかった、風の噂では京都の大学に進学したとか言っていた彼女は、しかし何故かまたこうしてあたしの隣に座っているし、あの頃の涙目が想像もつかないほど耽美に、煙を嗜むいい女になっていた。

「あなたがあたしに教えたのよ」

「……また黙らせんといかん?」

 からん、とグラスの中の氷が揺れる。今夜の酒は随分と美味い。この期に及んで煙草を吸えと言うのだろうか。あの時、彼女に渡してしまってから一本も吸っていなかった紫煙がやけに恋しくなった。物欲しそうに見つめてみると、彼女はいつかのあたしのように、器用に指先だけで筒を持ち上げる。燻らせるばかりの紫煙が、ダウンライトの照明に照らされて鮮やかな色味を帯びるのをぼんやりと眺めた。黙らされているのは、あたしのほうだった。




【※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません】

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