第62話 映画鑑賞


 喫茶店の店長に服部が来たら渡してもらうようポーションセットを渡しておいた。


 これで武山薬品に対する仕込みも無事終了した。あとは服部の方でうまく立ち回ってくれることを期待しよう。


 明日は連休初日。中川との約束で映画を見る日だ。




 そして、翌日。


 待ち合わせ場所は、俺の喫茶店の前なので、先に喫茶店の奥に入り、減っているポーションなどを補充しておいた。休みの日のこの時間でも結構人が入っている。あと一月ひとつき開店セールが続くが、それが終われば客足はある程度は減るとは思う。


 だが、客足の減少と顧客単価の上昇が釣り合えば、収益は下がらないわけだから、従業員から見れば仕事量の減る開店セール後の状態の方が好ましいだろう。


 待ち合わせの約束は9時なので、10分ほど前に店を出ると、もう中川が来ていた。


 今日の中川の恰好は黄色の膝丈のスカートに半そでのブラウス。軽装ではあるが今日は日差しも暖かく、季節的にもいい感じだ。


「中川、今日着てる服も似合ってるな」前回も言ったようなセリフを言ったところ、


「な、なに言ってるのよ」前回聞いたようなセリフが返って来た。


 そんな感じなので、前回の買い出し時同様、二人並んで隣町まで歩き始めた。


「ねえ、霧谷くん、将来のこと考えてる?」


「将来?」


「ええ、高校卒業してからのこと」


「俺は、何も考えてないな。進学してまで勉強したいわけじゃないし。就職する必要もないし」


「霧谷くん、勉強できるのにもったいない」


「それでも、うちの親が進学を望んでいるようなら大学に行くかもな。そういう中川はどうするんだ? お前こそ成績優秀なんだから大学に行くんだろ?」


「ええ、そのつもり」


「まだ高1だけど、中川はもう理系とか文系とか決めてんのか?」


「私は、T大の理科1類を目指してるの」


「理科1類?」


「理学部に進んでそこで生物化学を勉強したいの。将来どこかその関係の研究所の研究員を目指してる」


「そうなんだ。それは、すごいな」


「霧谷くんも大学に行きたくないわけじゃないのよね」


「そうだな。今のところ何がしたいわけじゃないから、俺も中川と一緒にT大でも目指してみるか。合格したらうちの親も喜ぶだろうしな」


 向こうに飛ばされる前の俺なら間違ってもT大など狙えなかったろうが、たぶん今の俺なら何とかなるだろう。落ちたところでどうということもない。


「そうよ。そうしなさいよ」


「それじゃ、そういうことにしとこう」


「約束よ」


「ああ、約束だ」


 今日は、早いうちから大学、それもT大を目指すことを約束させられてしまった。この調子で行くと俺はどうなってしまうんだ?


 そんな話をしているうちに、隣町の複合ビルに着いて、シネコンのある階までエレベーターで昇った。このエレベーターは外側がガラス張りになっていて、ビルの外が眺められるようになっている。エレベーターの上昇に合わせて遠くが眺められるわけだ。エレベーターから外の景色を見ると、歩いてここに来る間は快晴だったが雲が出始めていた。今日は終日晴れだと天気予報でも言っていたので雨が降ることはないとは思うのだが。


 シネコンの入っている階でエレベーターのドアが開いたので、中川と二人でその階で降りた。けっこうな人数がその階でエレベーターを降りたのだが、やはり、連休初日の今日は映画も混んでいるのか?


 今日上映される映画の看板を見ながら、


「中川、何か見たいものはあるのか?」


「ええ、ちゃんと調べて来たから大丈夫」


 そういう中川に連れられて並んだのはチケットの券売機で、その機械を巧みに操作した中川からチケットを1枚貰った。


「今日付き合ってくれたお礼に、代金は私のおごりよ。沢山お給料いただいてるからね」


「ああ、ありがとう」別に俺に気を使う必要などないが、気を使ってもらえばそれなりに嬉しいものだ。


 それはそうなんだが、それで一体俺はなんていう映画を観るんだ?


 渡されたチケットに印刷されたタイトルを見ると『愛と狂乱のボレロ』


 なんだかすごそうなタイトルだ。


 あと10分ほどで始まるそうなので、売店で売っていたポップコーンとコーラを二人分買って指定された上映室に入場することにした。厚手のドアを開けて中に入ると思ったほど人は入っていないというかほとんどガラガラだ。


いててよかったわね、どの辺に座る?」


「上の方が良いんじゃないか」


「それじゃあ、そこでいいかな?」


 二人並んで一番上の席に座り、中川にも買って来たポップコーンのカップとコーラを手渡した。中川は手をつけないようだが、俺はポップコーンは好物なので遠慮なくむしゃむしゃ食べ始めた。


 すぐにブザーが鳴り、館内が暗くなって、本編の始まる前の次作品なんかの宣伝が始まった。アクションものやSFもの、コメディーなんかもあって宣伝された映画はどれも面白そうだ。その宣伝の間はポップコーンを食べてコーラを飲んでいたのだが、本編が始まったので、飲食は控えた。それではじっくり映画を鑑賞するとしようか。


 前半、幸せそうな3人家族の家族愛をテーマとした美しい話だと観ていたら、不幸が家族を揺さぶっていく。父親の交通事故からの下半身麻痺。看護に疲れた母親の家出。そして、バレエを習っていた娘は、恋人と友人に裏切られ失恋し、狂乱。ボレロの曲の中、家を飛び出した娘が降りしきる雪の中でバレエを舞い踊る。踊り続けた娘はやがて力尽き、仰向けに倒れ込み、見開いた瞳の中に雪が舞い落ちる。


 全くの救いのない映画だった。一体、中川は何を考えてこんな映画を俺に観させたんだ。俺は、意識しなくても周りの状況を常に把握し続けてしまう。この能力が今回はアダとなった。周囲に人の気配と映画の音で寝るに寝れず、最初から最後までこの映画を見る羽目になった。


 やっとエンドロールが流れ始めたので、隣の中川を見ると、手にハンカチを握って目に涙をためている。これではうかつなことは言えない。


「霧谷くん、今の映画すごく良かったわね?」


「すごく良かったんじゃないか?」


「ねえ、どこが良かった?」


 いやー。ここで、どこも良くなかったとはさすがに言えない。困ったー。思いつけない。


「そうだなー、ちょっと一言では言い表せないな」嘘は言っていない。


「そうよね。でも、何と言っても、一番すごかったのは、命が燃え尽きるまでバレエを踊り続けたヒロインよね?」


『ね?』って言われてもなー。それでもここは、肯定するしかない局面なのは俺にも理解できる。


「あれは、ほんとすごかったな。ボレロの音楽も良かった」音楽だけは俺も良かったと思う。大音量で聴くボレロはそれはそれでいいものだ。


「でしょう。この映画を見ることができて本当に良かったでしょ?」


『でしょ?』これも肯定一択しかないよ。それも、強いやつが必要だ。


「ほんと、すごく良かった。それじゃ、そろそろ出ようか?」


「そうね。私コーラもポップコーンも手をつけてないから霧谷くん、もらってくれる?」


「サンキュウ」


「それじゃあ、霧谷君の持ってる方かして、持って行くから」


「ありがとう」


 映画がこれほど精神的に疲れるものだとは思わなかった。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[あとがき]

ボレロ、London Symphony Orchestra

https://www.youtube.com/watch?v=ODeNHRtVNO4

たまにクラッシックもいいですよ








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