【第十四章】

【第十四章】


 そうだ、ホワイトデーだ。もしかして、望はバレンタインのお返しを用意してくれたというのか? 

 私は全身の皮膚がぴりぴりするような、不可解な緊張感に囚われた。そんな、私は今のままで十分幸せなのに。


 いや、本当にそうなのか? 『手を繋ぐくらいどうってことはない』という綾の言葉が甦る。確かに、普通の恋人というのは、そういうものなのかもしれない。

 が。望と手を繋ぐことになったら、私は手先から高熱で溶け出しかねない勢いだ。


 そんな妄想をしていると、私の目先で望が振り返った。


「詩織さん、どうかした?」

「え? ああ、うん、何でもないよ?」


 気づけば、私と望は街中に設けられた公園に踏み込むところだった。

 ととと、っと小走りで望に追いつき、歩調を合わせる。


「ああ、やっぱり梅は咲いてるね」


 望を一瞥し、その視線の行き先を目で追いかける。そこには、僅かに桃色に染まった花をまとった枝が、生き生きと背伸びをしている。


「綺麗……」


 私が呟く。そのそばで、望が微笑を浮かべたのが、視界の隅に入った。


「な、何、望くん?」

「え?」


 私と目を合わせる望。今度は彼の方が対応に窮し、頬を朱に染めた。あ、何か可愛い。

 すると、穏やかな一陣の風が、私たちと木々の隙間を吹き抜けていった。その上空には、雲一つない青空が広がっている。


「少し座ろうか、詩織さん」

「う、うん」


 軽く鞄を揺すりながら、望が私を誘った。

 二人並んで木製のベンチに腰を下ろす。私は咄嗟に、手を膝の上に載せた。ベンチに掌を着いてしまったら、望と手先が触れ合ってしまう。それが少し、怖かった。


 そんな私の心境を知ってか知らずか、


「あのさ、詩織さん」


 と、望は身体を向けながら声をかけてきた。


「どうしたの、望く――」

「これっ!」


 それは、一ヶ月前の再現だった。

 つまり、望が思いっきり腰を折り頭を下げて、何かを両手で差し出しているということだ。

 立場が入れ替わっただけで、極度の緊張感が漂っている。


 一片の花弁が、望の手中にあるもの――横長のビニール製のパッケージに包まれた何かの上に、ふわりふわりと舞い落ちる。


「これって……」

「ほ、ホワイトデーだから……。好きな人に、バレンタインのお返しをする日だから!」


 視線は下げたまま、しかし決然と言い放つ望。

 普通の人間なら、大声を出すなと慌てて止めるところだろう。だが、私はそれどころではなかった。


「望くんから、プレゼント……?」


 ここでようやく、望は顔を上げた。


「迷惑、だったかな」

「そ、そんなことない! そんなことないよ! ここで開けてもいい?」


 一気に述べ立てた私に向かい、唾を飲みながら頷く望。

 私はそっと、そのビニールを剥がし、プレゼントを手に取った。そして――見惚れた。


「うわあ……」


 それは、迷彩柄の折り畳み傘だった。迷彩といっても、緑と茶色の厳ついものではなく、青と白で描かれた爽やかな柄だ。きっと航空自衛隊仕様なのだろう。


「ごめんね、僕、何を贈ったらいいか分からなく――」

「ありがとう、望!」


 気づいた時には、私は両腕を望の背中に回し、思いっきり抱き着いていた。


「ちょ、詩織さん⁉」


         ※


 まさにこの瞬間を、綾と真由美によってスマホで録画されていたことは、我々幼馴染三人組のみぞ知るところである。


THE END

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恋と火薬とチョコレート 岩井喬 @i1g37310

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