第32話 旅の終わりと始まりに

 次の日の午後、ニューアレクサンドリアに到着すると、コットン・マザーやテイラー将軍以下植民地軍はとっくにその場を後にしていた。マサチューセッツ総督サミュエル・シュートが北部地域(現メイン州)のアナベキ族に対し宣戦布告――俗にいうラル神父戦争の始まり――したため、急いで帰還しなければならなかったのだ。

 鉱山集落は焼け落ちた無残な姿をさらしたままだったが、アレキサンダー卿の屋敷は庭が荒れ果てていたものの、ほぼきれいに片付けられていた。

 馬車が屋敷の前に停まると、中からバーチ氏が飛び出してきた。

「シャーロット!」

「お父様!」

 シャーロットは一番に幌馬車を飛び出し、父の元へと走った。抱き合って再会の喜びに浸る二人の姿を、遠巻きに見つめるイーデン。彼はこれから言わなければならないことを思うと、なんとも寂しい気持ちがこみ上げてきた。元クルルは、近くの森に以前使っていた寝床があるからと森の中へさっさと入っていった。

 バーチ氏は何とかイーデンから貰った黄金の礫は死守したようで、損害を追ったアレクサンダー卿に出資する形で町と鉱山の再建に協力していくそうだ。鉱山技師のマイケルやタスカローラ族は敗走後は、何処かに消え去って行方知れずだという。


 双方のよもやま話が終わり、イーデンは最後に言おうとしていた事を口にする。

「あの、バーチさん」

「何だね? お父様と呼んでも良いのだよ?」

「すみません! シャーロットとの婚約は無かったことにしてください」

「な?!」

 それまで上機嫌だったバーチ氏の顔から血の気が引いた。

「お金のことは心配しないでください。そのまま差し上げます」

「いったいどういう事だ?! 娘に不満でも有るというのかね!! シャーロット! お前は何も言い返さないのか?」

 イーデンも殴られる覚悟で待ち構えていたが、彼女は清々した表情で話し出した。

「覚悟は出来てたわ。一番守ってあげなくちゃならない人が誰か私だってわかるもの。あなたってそういう人だものね」

「ゴメンなシャーロット……、今の時点で僕の将来の事、確かなことなど何もないから、だから待っていてくれなんて、とても言えない」

「いったい何の話をしているんだ二人とも?! どういう事かちゃんと説明しなさい!」

「お父様、彼は全てを失ったあの子を、クルルを故郷に送り届けるのよ。だって、今まで彼女に守られてきたのだから、今度はイーデンが守る番なの」

「あのイーデンに引っ付いていたインディアン娘か? あんな薄汚い娘とお前を天秤にかけてあっちを取るのか? イーデン、君の考えは、私にはまったく理解出来んよ……。でもまぁ……」

 話ながらも徐々に冷静さを取り戻していったバーチ氏。よくよく考えてみれば大事な娘を急いで彼に嫁がせる必要性も無い。それに、持参金は返さないで良いのだからこんな良い話は無いとさえ考えを改めていたのだ。

「すみません、バーチさん」

「やっぱり君を許すことにしたよ。まぁ、頑張りなさい」

 その夜は、上機嫌のバーチ氏がイーデン達を送り出す祝賀会を開こうなどと提案するほどだったが、イーデンは明日の朝すぐに発つのでと丁重に断りをいれた。その日は調理場で簡単な夕食を取って早々と寝付いたのだ。


 翌朝、旅立ちの時が来た。

 別れを言うのが辛かったイーデンは、夜明けとともに外に出て元クルルを探そうと森の入り口までやってきた。すると、木の上から待ち構えていたかのように彼女が目の前に飛び降りてきた。

「おはようイーデン!」

「おはようじゃねぇよ! お前、普通に現れることは出来ないのか?」

「だって、この方が楽しいじゃないですか?」

「お前なぁ……」

「それより、今日は何しますか?」

「お前を、レッドウッドの森に連れて行く」

「ああ! そうでした。一緒に行く約束でしたもんね。銀の水はなくなっちゃったけど、もう作れないのですか?」

「もう懲り懲りだよ。銀の水無しじゃダメか?」

「そんな事ないです。イーデンと一緒なだけで嬉しいです」

 彼女はいつものように彼の腕に抱き着いた。

「それじゃ行くか! 方向はわかるか元クルル?」

「あっちです! あと、その呼び名は良くないです」

「わかったよ。だけど、だったら早く自分のなまえ決めろよな」

「言ってなかったでしたっけ? もう決めましたよ」

 西へ向けて歩き始めるふたり。しかし、その背後から馬の蹄の高らかな足音が聞こえてきた。

「待ちなさい! あんたたち!!」

「「シャーロット?」」

「やっぱ、あんたたちだけじゃ心配だと思ったの」

 シャーロットは馬の上から豊かな金髪をかき上げつつ、二人を見下ろした。

「大丈夫なのか?」

「心配いらないわ。父にはちゃんと置手紙を書いておいたから。そんな事より! なんで西になんか進んでるのよ?」

「シャーロット。レッドウッドの森は遥か西に有るんですよ?」

「そうじゃなくて! ガイドも雇わずに、未開の地に入っていくなんてバカじゃないの? クルルも以前みたいに強くは無いんだから、まずはよく知っているゴルキン族の所へ行って誰かを雇うべきよ」

 鼻高々と自説を唱えるシャーロットだったが、元クルルは何やら険しい表情に。

「メイプルシロップ……」

「はい?」

「クルルじゃなくてメイプルシロップです!」

「おま、それが新しい名前?!」

 彼は、まったくこいつの考えることは不思議過ぎて訳が分からないと目を丸くして彼女を見た。彼女はそんなことはまったく意に介さないようなとびっきりの笑顔で見つめ返す。

「そうですよ。一番大好きなモノから名前を取る。いい考えだと思いませんか?」

「クルル……じゃ無かった! メイプルシロップがそう言うなら、それを尊重するわ……」

「面倒くさいからメイプルで良いだろ?」

「それじゃ楓の木じゃないですか!」

「私もメイプルで良いと思うけど……、そうだ! メイプルがファーストネームでシロップがファミリーネームという事でどうかしら?」

「シロップ家ね。なんだか蟻がたかりそうな名前だな」

「それで良いです。これからは私はシロップ家のメイプルです!」

「さぁ、それじゃ後ろに乗ってクル……じゃ無かった! メイプル!」

「はい分かりました」

 メイプルは馬上から差し伸べられた手を掴み、シャーロットの後ろに座った。

「僕はどうすればシャーロット?」

「男でしょ? 走ってついて来なさい! ハイヨッ!!」

「おいコラッ! 全力で飛ばすな!!」

 駆けだした馬上のふたりを追いかけて全力疾走するイーデン。

「そんなことないわよ。着いてこれてるじゃないのイーデン!」

「頑張れイーデン!」

 3人は昇ったばかりの朝日を目指して街道を駆けていく。夏の朝の清々しい空気が新緑から深い色へと変わったばかりの広葉樹を揺らしている。脱皮したばかりの虫たちが彼らの新しい門出を祝う凱歌のように歌い鳴く。この先の道程に何が待ち構えていようとも、この3人なら乗り越えられぬ障壁など何も無いと……。

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