第31話 帰路

 幌馬車はニューアレクサンドリアを目指してひた走る。

 シスター・ジュスティーヌが御者台に座り馬を操っていた。イーデン達は放心して荷台の中で佇んでいた。出し抜けにシャーロットが口を開く。

「イーデン。あれが彼が求めていた事なの?」

「どうなんだろうな。たぶん、ちょっと思っていたのと違ったんだとは思うけど」

 ブランケンハイムが賢者の石を飲み込んだ後に起こった出来事について、ふたりは衝撃と安堵とがない交ぜになった、なんとも言えない気持ちになっていた。そして、イーデンはあの時の事を心の中で振り返る……。


「起きたかイーデン! 我に起こる奇跡を目撃できるとは大変な名誉だと心得るが良い!!」

 ブランケンハイムが賢者の石を飲み込んだ後、遠目に見る彼の姿が段々と変化するさまを目の当たりにした。

「何だ? これは何だ?」

 戸惑いを見せるブランケンハイムだったが、変化が止まる様子もなく、干乾びていく彼の肌が樹皮のような皺と黒茶に変色していく。そして、身長が縮んだのか、彼の頭の位置がどんどん下がっていく。地面にヒビが走ったことで、ブランケンハイムの脚が土の中に潜っていってるのだと気付いた。やせ細っていったことでずり落ちた服が足元を隠していたから直ぐには判らなかったのだ。

「これ……ガ?!」

 いつの間にか両腕もバンザイするポーズになり、間に挟まれた頭が押しつぶされるように小さくなっていった。つられるように口が縦にすぼまり、もはや喋ることすら出来なくなる。指がつけ根から裂けていき、放射状の枝を形作る。指の先から分かれて伸びた枝が節ごとにさらに分割していき、成長が止まりかけた頃から若芽が芽吹き始めた。

 遂には全長一メートル程ある一本の若木に生まれ変わった。一瞬の出来事に、その場に居る誰もが自らの目を疑った……。


 物思いにふけるイーデンに横から声がかかり、意識が現在に連れ戻される。

「でもでも、あれが望みを叶えるのに一番いい姿ですよ?」

 平然としたクルルの答えに、二人はギョッとした視線を送る。

 クルラの力が失われた彼女からは虫たちが立ち去り、瞳の色も緑から茶色に変化していた。そして、辛うじて命は失わずに済んだものの、全ての奇跡の力が奪われ、不老不死でもないただの人間になったクルル。

 若木になったブランケンハイムの近くで倒れていた彼女に駆け寄ったイーデンは、死んだと勘違いして彼女を抱き寄せ泣き崩れさえした。しかし、「ふわぁ~!」と大きくあくびをして覚醒した彼女は倒れ込んだ時に後頭部にたんこぶを作った以外はピンピンしていたのだ。

 そして現在の彼女のまったく意に介していない様子も、これまたふたりには理解し難いことに思えた。

「でも、あれは不老不死とは違くないか?」

「不老不死なんてどこにもありません。何でも始まりが有れば終わりも有ります。木になることが一番長く生きられて、一番年を取らない姿なんですよ。だから、あれが一番望みに近いんです」

「じゃあ、お前みたいに人間の姿で長生きしたり、若いままでいることは出来ないのか?」

「それは、クルルになりたいと願えば良かったんですよ。でも、クルルは長生きじゃありませんよ。人よりチョット長生きなだけです」

「でも、70年前だかに銀の水を取り返しに来たの、お前なんだろ?」

「違います。私じゃないです! それは、クルルですよ」

「やっぱそうじゃないか!」

「違います! うーん。白い人風にいうと、私の姉のクルルです! その頃は私はまだ子どもでしたから」

「なんだ別人だったのか。という事は、お前は本当のところ何歳なんだよ?」

「女の子に年齢を聞くのは失礼だとシャーロットが言ってましたよ?」

「何てことを吹き込むんだよシャーロット!」

「私、そんなこと一言も言ってないと思う……けど、すっかり忘れてるだけなのかしら?」

 二人の様子を見てニヤニヤが止まらないクルル。ようやく騙されたことに気付いたイーデンは、彼女に掴みかかった。

「こらクルル! 大事な話でウソをつくんじゃない!!」

「痛い痛い! 止めてイーデン!! それに……」

「止めなさいよ! 女の子相手にみっともない」

「何言うんだシャーロット? こいつは……、クルルは怪力なんだぜ! このくらいじゃびくともしないよ!」

「どう見てもそうは見えないんですけど……」

 シャーロットの言う通り、クルルは顔を赤くし目尻には涙を溜めて、今にも泣き出しそうだった。イーデンは彼女の予想外の反応に押さえつけていた手を緩めざる負えない。

「私はもうクルルじゃないんですよ! 今ではイーデンより力持ちでも無いんです!! これからは何にもできない幼気いたいけなレディーとして扱って下さい!!!」

「性格は腕白なまま変わってない気がするけど……。ただまぁ、なるほど! クルラを失ったからクルルじゃない……。てことは理解したよ、でも、だとしたら、お前は何なんだ?」

「いったい私は何なんでしょう?」

 途方に暮れる彼女を見て、シャーロットが慌てて慰めの言葉を口にする。

「クルルは、今でも私たちにとってはクルルよ! それは何も変わらないわ!!」

「却下です」

「そんな……」

 彼女を想っての発言を無下にされ、シャーロットは涙目になる。

「どうして? 良いじゃん。呼び名なんてそのままでも」

 イーデンは、また面倒くさい戯言が始まったと体を横たえダラダラしだした。しかし、そんな態度の彼に元クルルは猛烈に抗議するのだ。

「ダメですぅ! クルルは尊い存在なのです! 普通の人が軽はずみに使って良い名前ではないのです!!」

「じゃあ、新しい名前が必要ね! 何が良いかしら? そうだ! エリザベスとかどうかしら?」

「プッ! シャーロット、どう見てもエリザベスという見た目じゃないだろ」

「じゃあ、何が良いって言うのよ?」

「そうだな。インディアンは身の回りの動物とか植物から名前を取るんじゃなかったっけ? こいつ自分の事をリスとか言ってたから、スクワラル(リスの英名)で良いんじゃないか?」

「何か、響きがあまり良くない気がするけど彼女が気に入るなら……」

「どうだ? 元クルル。お前の名前はスクワラルだ!」

「リスさんは友だちなので、他の名前が良いです。ていうか、お二人の話を聞いていたら、自分で決めたくなってきました!」

 結局その場では、何も決まらないままイタズラにに時だけが過ぎていった。本来なら、これからの事を話しあわねばならないはずだったが、何となく三人とも現実的な話をする気力も無かったし、それに、今のお互いの関係を直視するのが怖くて、何かを選ばなくてはいけない立場に立たされるのをもう少し先延ばししたい気分だったのだ。


 夕方、馬車が止まり、外で火を熾して簡単な夕食を囲んだ。イーデンはずっと話せなかったシスターに質問する。

「シスター・ジュスティーヌはこれからどうするんですか?」

「あなた達を送ったら、ケベックにある修道院に帰るわ。エドガーはああなっちゃったし、ゴリアテは彼の元を離れないみたいだし。イエスズ会と薔薇十字団の関係も見直されることになるでしょうね」

「寂しくなるなぁ」

「あら? かわいいこと言ってくれるじゃないの!」

 シスターは彼の頭を掴んで胸に抱き寄せた。彼女は仕事から解放された所為か、緊張が解けた所為か、食事を始める前からワインを瓶からラッパ飲みしていて、かなり酔っぱらっている。イーデンは役得と思いつつも、周囲の刺すような視線を気にせずにはいられない。

「今のあなたは用無しだけど、特別に連れ帰って下僕にしてあげようかしら?」

 夢見心地だったイーデンも、その言葉を聞いて、すっかり目が覚めてシスターの元から飛び退くのであった。

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