第30話 荒野に立つ一本の若木
岩だらけで草一つ生えてない荒野に一本の若木が立っている。標高も高く、昼夜の寒暖差も厳しい。そんな荒野に何故、一つの命のみが生き永らえているのだろう。その理由は、その若木そのものの生命力の強さも有るが、何よりも、水の無いその土地では、世話をしてくれる人物の影響が大きい。
彼は毎日、数十キロの険しい道を下って川に至り、両手にバケツいっぱいの水を汲んで運んでいたのだ。彼は毎日、木に水をやりながら話しかける。日々の話題は、出会った野生動物や季節の変わり目に芽吹く花や果実、そして移ろいやすい天候のこと。
月日を重ねるうちに、男の足の裏に着いた土が徐々に荒地に堆積していくだろう。そして、そこに含まれる種子や鳥たちが落とす糞に含まれる種子が花咲く事だろう。やがて、一本の若木の落とす落葉が腐葉土を作り、新たな生命の息吹が荒野を埋め尽くすだろう。しかし、それまでは男と若木のふたりぼっち。
今は、彼らの会話を邪魔する者など誰も居ない。鳥たちが羽を休めるのも、もう少し若木が成長して男の背の高さを越えてからの話だ。
男は家も持たず、夜は木の下で寝ていた。雨の少ない地域だったので、濡れることは少なかった。それでも雨が降るときは、自身が濡れる事よりも若木に水が行き渡ることを喜んだ。
やがて、いくつかの季節が廻り、若木は男の何倍も高くなった。下生えも広がり、土の中では虫たちが蠢き、何処からともなく飛んできた虫たちが樹液を吸いに集まってくるように。邪魔になりそうな木の芽や増え過ぎた寄生虫などは男が摘み取っていた。そして、それまではすすきのような長い花が咲いても、決して実をつけることの無かった雌しべが初めて授粉したのだ。秋にはトゲの生えた殻に覆われた大きな果実に成長し、男はその木が栗の木だったのだと初めて理解した。
モノを知らない男が栗の木の事を知っていたのは、以前、父と一緒に貧しい放浪生活を送っていた頃、殻のままの栗を焚火に投げ込み、弾けた果実を食べた思い出があったからだ。空きっ腹に甘い栗の実は大変なご馳走だった思い出がある。
男は、栗の木に話しかけて彼の実を食べる許しを求めた。そして、薪を集めて昔のように栗の実を焼いて食べた。
「ンメエな。パパ……」
男には木が「そうだろうとも」と、答えたような気がした。
男と栗の木がどうなったのかは定かではない。ただ、その地域の部族に物語として伝わるのみだ。今は絶滅してしまったアメリカ東海岸の栗の木たちと同じように……。
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