第29話 賢者の石
「いったいどういうつもりなの?! 答えなさいよエドガー!!」
シスターの大声に目を覚ましたイーデン。外からの光で幌は白くなり、早朝だというのに鳥のさえずりすら聞こえてこない。どうやら揺れもしていないという事は何処かに停車したという事だろう。
「んー! 朝からヒステリーは、勘弁してもらいたいわ」
同じく目覚めたシャーロットは伸びをしながら文句を言った。
「ともかく、外に出てみようか?」
「クルルは……」
「クルルは起きてますよ!」
シャーロットの言葉を遮るように、彼女の前に逆さまになって現れるクルル。
「キャー!」
叫び声を上げたシャーロット違って、「ああ、こいつ朝は強いから……」
と、天井からぶら下がるクルルに驚く様子も無いイーデン。
3人揃って幌馬車の後ろから外へ出てみると、そこは何もない荒地。地面はジャリの混ざった灰色の大地で薄靄の掛かった見渡せる範囲には草一本すら生えていない。
「何だか寒くないかしら?」
シャーロットが感じた通り、初夏にしては肌寒い気候で空気も薄い。どうやら標高の高い場所に居るようだ。
「とりあえず、エドガー達のところへ行こう」
シスターの声が聞こえた馬車の前方を見ると火を熾したであろう煙が上がっていた。幌馬車から少し離れた所で、しゃがみ込んで焚き火に当たるブランケンハイムを見下ろすシスター・ジュスティーヌが見えた。暖を取りたいイーデンはそそくさと近づいていく。
近くに寄ってみると、鬼の形相をしているシスターに対して何食わぬ顔のブランケンハイムという対照的な二人の態度が見えてきた。
「ここは何処なの? 早く答えなさい!」
「まぁ、話は彼らが来てからだ。それまで待ちなさい」ブランケンハイムは近づく足音に気付いて立ち上がった。「おお! やっと起きたようだね」
「おはようございます。エドガー」
「こちらこそおはよう。寒いだろ? さぁ、こっちに来て温まりなさい」
火が苦手なクルルは10メートル程手前で立ち止まった。彼女を心配したシャーロットが声を掛ける。
「一緒に居ましょうかクルル?」
「大丈夫ですからイーデンと行って下さい」
「そう……」
気がかりを残しながらも、彼女はイーデンの後を追った。二人が来たところで、ブランケンハイムは咳払いをした後に話し始めた。
「先ほどからシスターに場所の事を説明しろとせっつかれていたが、みんな揃ってからの方が良いと私は考えてね」
「勿体ぶらないで、早く言いなさい!」
「僕らにも関係あることなんですか?」
「もちろん! 当たり前じゃないか?」
「早くしないと殺すわよエドガー」
「おお! 怖い怖い。じゃあ、早速話すとしよう! 実のところルートを変更した。馬車は五大湖には向かっていなかった」
「何ですって! 貴様裏切ったな!!」
「ゴリアテ!」
瞬時にナイフを取り出し襲い掛かろうとしたシスターを、いきなり出現したゴリアテが右手で掴んで持ち上げた。その様子を全く意に介さないような平然とした態度で話すブランケンハイム。
「息子は気配を消すのが得意なんだ。まぁ、そんなことより!」
「何故こんな荒地に?」
「何でだと思う?」
イーデンの問いに、彼はいつも通りの薄気味悪い笑顔を見せた。
イーデンは既に歩きながら考えていた。言い争いをしているという事は、エドガーが裏切ったのだろう。それから周りに植物も水も無い土地を選んだという事は……。
「植物が無いからクルルの力が使えないと思ったら間違ってるぞエドガー! 彼女には秘密兵器が有るんだ!!」
「それは、これかな?」
ブランケンハイムは懐に左手を入れ、種が入った袋を取り出して見せた。そして、イーデンが見たのを確認すると、入れ替わりで哲学者の水銀の袋を取り出し、シャーロットの方へ差し出した。
「シャーロット君にも手伝ってもらおう。これをクルルに渡すんだ」
「いったいどういう事だ?!」
哲学者の水銀とクルルの力を我がものとするだけじゃないのか? 水銀をクルルに渡せば、力を使って反撃されるかもしれない。僕がまだ知りえない秘密が有るのか?! イーデンは頭をひねるが彼の意図が何なのか計り知れない。
「そんなもの受けとらないわ! あんたが何を企んでるか分からないじゃない!!」
「仕方がないな。もっとスマートにやりたかったんだがね」
彼女の返答にやれやれとかぶりを振ったブランケンハイムは、袋を地面に置くと、素早くイーデンの後ろに回り込み彼の首根っこに左手を回した。
「なにを……?!」
「すまんなイーデン。聞き分けの無い彼女を持ったことを恨むんだな!!」
ブランケンハイムが取り出した右手のナイフがイーデンの右胸目掛けて突き立てられた。
「アアァ――!!」
「イーデン!」
焚き火の勢いが増し、いつの間にか背の高さまで火柱が上がっていた。そのためかクルルは一歩も近づくことが出来ない。
「大丈夫だよ! 肋骨に当てたからね。死ぬかと思ったのかな? 大丈夫、死なない程度に痛めつける技を心得ているからね」
「止めて!」シャーロットは悲鳴に近い声で叫んだ。「言う事を聞くから!! 彼を傷つけないで!!!」
彼女は地面に落ちている袋を掴み取ると、クルルの元へ駆けていった。
「何をするつもりなのエドガー?」
シスターが聞いてきた。彼女はゴリアテに捕らえられてからは無駄な足掻きは一切していなかった。
「フランスにしろイギリスにしろ、偉大なる錬金術を、ただ金を作って経済を牛耳ろうなんて、浅はかな考えしか持たない連中に使わせるのは勿体ない。薔薇十字団の創設者クリスチャン・ローゼンクロイツにしろ、わが師ゴットフリート・ライプニッツにしろ、その目的はパラケルススの説いた賢者の石を創出すること!」
「賢者の石ですって? 戯言を……」
「シスター・ジュスティーヌ。イエスズ会に全てをお教えした訳ではないんだよ」
「拾ってもらった恩は忘れたのかしら?」
「恩? そんなものは最初からない。ただ、利用するために近付いたまでさ!」
「ハァハァ……、不老不死にでも成るつもりかエドガー?」
「鋭いなイーデン。君には教えても理解してくれそうだな。クルルのことを考えてみたまえ。何故、彼女は心臓を撃ち抜かれても死ななかった? 何故、70年前にストートンが目撃したままの姿で現れた?」
イーデンはクルルを見た。ずっと同じ姿のまま生き続け、心臓が撃たれても復活し、奇跡を起こす唯一の存在。
「それは……」彼の中で考えたくない答えが導き出され、言葉が止まった。
「分からないかイーデン? それは彼女自体が不老不死だからだ!! そして彼女はエーテルの依り代。つまり、もはや人間ではないのだ! その絶大なエーテルを全て哲学者の水銀に込めれば即ち、賢者の石が錬成されるのだよ」
「そんなこと……、何でお前が知りえる?」
「失われしヘルメス文書に書いてあるのだ。賢者の石を含む錬金術の秘伝は、元々失われしアトランティス文明から古代エジプトに受け継がれたものだ。そして、アメリカこそアトランティスだという考えはフランシス・ベーコンをはじめとして数多くの者が推察していた。そして70年前、ジョージ・スターキーが哲学者の水銀を発見したことにより当時の薔薇十字団はアメリカこそアトランティスだと確信したのだ。
しかし、1665年以降の政治的変節とそれまで友好関係にあったイギリスとヨーロッパの薔薇十字団の内部対立が錬金術を日陰の存在に押しやった。それ以降も、ニュートンの輩が出て来てからは、奴め! 錬金術関連の手柄を独り占めするために散々阿漕な事を……」
「く、苦しい……腕を緩めてくれ」
「ともかく! あのクソ老人が全てをお前に明かしているわけではない。アトランティスの末裔たる彼女があんなに直ぐに現れるとは、私も信じられなかったくらいだ」
ブランケンハイムは言葉を続ける。
「さぁ、クルル! お前の愛する者を助けたいのなら、お前のエーテルを全て哲学者の水銀に注ぎ込むのだ! どうした? お前は死など恐れてはいないだろう?」
「愛する者? 何を言ってるんだ?!」
「カァー! これだから近頃の若者は!! 君らを監視していれば、誰だって気が付くさ。だから、イーデン、君のためにエーテルを哲学者の水銀に注ぎ込んだのだろ? クルルは自分よりシャーロット君の方が君にふさわしいと身を引いたのさ! 泣かせる話じゃないかね?」
「本当なのか……」
彼はそれまで考えていた。クルルは決して僕の事など見向きもしないだろうと。時に友のように、時に兄妹のように、ふざけ合ったり喧嘩をしながら。口ではバカにしていても心では羨望の眼差しで見ていた。いずれ別れの時が来ると分かっていても、今を一緒に楽しめればそれで良いじゃないかと。だから、なるべく考えないようにしていた。決して手に入れようとしてもスルスルとすり抜けていってしまうような子だと思っていたから……。
「さぁ、どうするクルル!」ブランケンハイムは叫んだ。
「分かりました!」クルルは叫び返した。「すべてのクルラをここに渡します!!」
何も言えずにいたイーデンは慌てて叫ぶ。
「止めろクルル! 僕のために命を投げ捨てるな!!」
「大丈夫、イーデン! すぐ死んだりしません! クルルの力が無くなるだけです!」
「それでも、お前がお前じゃ無くなってしまう! 早まってバカなことするんじゃないクルル!!」
「今までありがとうイーデン。私が私を知れたのはあなたに出会ったおかげ。クルルはみな繋がって一体となった魂。それはそれで楽しかったけれど、届かぬ他人を感じる事がこれほどまでに愛しい事を教えてくれたのは、あなただったから……」
囁くように話すクルルの言葉を離れた場所に居るイーデンは聞き取れなかった。彼女の言葉を傍で聞いていたシャーロットは彼女の想いに気付き涙を流した。
「クルル、あなたイーデンの事を本当に……」
「ありがとう、シャーロット。危ないから離れててです」
「そんなの……、キャッ!」
クルルは隣で泣く彼女を突き飛ばし、距離を取った。袋の中身を手に取ると銀色の小さな木が立った。目の高さにそれを両手で掲げ、大きく目を見開いた。
「クルル!!!」イーデンは叫んだ。
世界が緑の光に包まれる寸前、彼は彼女が微笑みかけたような気がした。
その場の居る全ての者が次に覚醒する時、意識の断絶を自覚した。最初に起き上がったブランケンハイムが頂点から降り注ぐ太陽の下、最後の瞬間の姿勢のまま立つクルルの元へ歩いていった。
「これが……、賢者の石」
小さな太陽のように揺らめく紅い宝玉。小ぶりなリンゴ程の大きさのそれを手に取った頃、他のものも徐々に目覚め始めた。
「クルル?! クルルは?」
朦朧とする意識の中、イーデンはフラフラと彼らの元へ歩き出した。賢者の石が離れたクルルはそのまま後ろに倒れ込んだ。
「起きたかイーデン! 我に起こる奇跡を目撃できるとは大変な名誉だと心得るが良い!!」
そう言い放つと、ブランケンハイムは賢者の石をその口に丸ごと含み、一気に飲み込んだのだった。
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