第23話 事の顛末

「ごめんなさい。アレクサンダーさん」

「それはいったいどういう……」

 返答を待つまでもなく、シャーロットは壇上から駆け下り、召使たちの山に押しつぶされているイーデンの元へ。

「退いて下さらない?」

 彼女が召使たちに使った言葉使いは丁寧だったが、言う事を聞かなければ実力行使に出るぞと言わんばかりに、指をポキポキと鳴らした。しかし、その必要は無かったようだ。

「放してやれ!」アレクサンダー卿が命令した。「小娘にそれほどの価値は無い。その代わり……、イーデンと言ったかな? どうやって稼いだか聞かせてもらえるかね?」

 男爵の視線はすでにバーチ氏の零した金の礫に注がれていたのだ。

 召使たちから解放されたイーデン。立ち上がって男爵に説明しようとする前に、強く彼を抱きしめたシャーロット。

「ありがとうイーデン。私もどうやってあれだけの黄金を集めたのが知りたい」

「それは……」



 事の顛末はこうだ。それは2週間前、鉱山で別れた後から始まった。

「待て、シャーロット!」

 追いかけようとしたイーデンだったが、後ろから脚に掴みかかったクルルのせいで前につんのめってコケてしまった。

「何すんだよ?!」

「泣いてる子を追いかけるのは、良くないです」

「とにかく、離せよ」

「ダメです」

「何でだよ?」

「ダメったらダメなんです!」

 クルルの馬鹿力にしっかりと組み伏せられ、シャーロットが居なくなってもしばらくはそのまま押さえつけられていた。


「もう大丈夫ですかね」

 クルルが離れ、ようやく立ち上がるイーデン。

「まったく、久しぶりに現れたと思ったら……」

 何処に行ってたんだよと、言いかけて言葉を飲み込む。屋敷を追い出されてから数日、クルルとは離れ離れになっていた。しかし、何もできない自分に失望し、哲学者の水銀や彼女の事などどうでもいいと、やさぐれていたのだ。

「マイケルさんに頼まれて、タスカローラ族を雇い入れに行ってたんですよ。だから、イーデンはもう、鉱山では用無しだってマイケルさんが言ってましたよ」

「何だって?! 話が違うじゃないか!!」

「クルルに言ってもしょうがないですよ? それより銀の水を早く作って下さい」

「ああ、そっか。バタバタしてたから忘れてたけど、ここに着いたら作る予定だったもんな……って、あ!!!」

「どうかしましたか?」

「クルル! 銀の水が出来たら、エーテル、お前らのいう所のクルラを注入してくれないか?」

「レッドウッドの森に帰ったら、すぐにでもしますよ」

「そうじゃなくて、この町ですぐにやってくれって事だよ!」

「それはダメだって、何回も言ってるじゃないですか?」

「お願いだクルル! 哲学者の水銀を完成させれば、シャーロットを奪い返す持参金を用意できるんだ! お前だって彼女を救いたいだろ?」

「だとしても……、ダメです」

 クルルはそれまでの笑顔から顔を曇らせ、なんとか言葉を絞り出すように答えた。イーデンは目を見開いて信じられないといった顔を見せる。

「何でだよ?! シャーロットはお前のソウルメイトだとか言ってたじゃないか?」

「銀の水の力を使わせる訳にはいかないのです。もしあなた達が使ってしまったら、その先に有るのは欲望に飲み込まれた破滅だけです」

「なんで分ってくれないんだよ!」

「分かってないのはイーデンです!」

「お願いだ!」

「ダメです!」

「お願い!」

「ダメったら、ダメったら、ダメですぅ――!!」

 その後も無益な押し問答続き、気が付けば夕方になっていた。坑道を閉じる時間になり、二人は追い立てられるように外に出される。

「何処の行くんですかぁ?」

「寝床に決まってんだろ!」


 鉱山の近くには、掘っ立て小屋が所狭しと立ち並ぶ集落があった。ニューアレクサンドリアの町は男爵が住む屋敷はどちらかと言うと郊外に位置し、鉱山に近いこの集落の方がもっとも栄えている賑やかな場所なのだ。

 今宵、集落の端っこでは、何やら怪しげな見世物舞台が組まれていた。正面に立って演説を振るう片目に眼帯を付けた人物を見て、イーデンは驚きの声を上げた。

「ブランケンハイムさん!」

「なんか、胡散臭い匂いがプンプンします」

「見た目は怪しいけど、そんなに悪い人じゃないぜクルル。まぁ、気味悪いっちゃあ、気味悪い人だけど」

 娯楽の無い片田舎ということもあり、すでに老若男女たくさんの人だかりができていた。ブランケンハイムは聴衆に向って明日から行われる巨人のショーについて弁舌を振るっていた。舞台の背後からゴリアテがちょっとだけ顔を見せると、その異様な容姿と巨大さに驚きと悲鳴が沸き起こった。


 見世物舞台の宣伝が終わり、観衆の興奮も治まって、粗方はけてきた頃。

「やぁやぁ! ウッドハウス君。久しぶりだねぇ」

 ブランケンハイムは野次馬達に混じって彼を見つめていたイーデンに話しかけた。どうやら、彼らがやって来た時から気付いていたようだ。

「今晩はブランケンハイムさん。大盛況ですね。それにしても、なんでここに?」

「船旅の中でニューアレクサンドリアの事は聞いていたのだよ。とても繁盛しているってね。……おや?」

 イーデンの陰に隠れる小柄な少女、に物珍しいモノを見るような視線を送るブランケンハイム。

「これはクルルです。おい、挨拶くらいしたらどうだ? すいません。いつもは、もっと人懐っこいんですけど」

「気味悪がられてるのは慣れてるさ。そんなことより、シャーロット君のことは残念だったね」

 シャーロットの事に考えが及び、途端に顔が曇るイーデン。そんな彼を見て、ブランケンハイムは天を仰いだ。

「やれやれ、そんな落ち込みなさんな若者よ! さぁ、今夜は再開を祝して大いに呑もうではないか?」


 ブランケンハイムは強引に彼を酒場まで引っ張っていった。一緒についてきたクルルだったが、酒場の中の空気が苦手らしく、自分の寝床に引き上げて行った。

 酒も入り、久々に愚痴を聞いてくれる人物に出会って、イーデンは洗いざらい――秘密にしておかないといけない事まで――彼にぶちまけた。

「なるほど、それは大変だったな。しかし、本当にもう諦めてしまったのかい?」

「だって、哲学者の水銀を作っても、クルルはエーテルを分けてくれる訳でもないし」

「それはどうかな? 君の熱意が伝われば、状況は変わるかもしれないぞ? 何事も失敗を恐れて前に進まないのであれば、進歩というものは生まれないのじゃないかね?」

「ブランケンハイムさん」

「これからはエドガーと呼びたまえ友よ」


 ブランケンハウスに叱咤激励されたイーデン。彼は翌日から部屋に閉じこもって哲学者の水銀作りに没頭した。

 まずは、硝子のフラスコの中で沸立つ水銀に硫黄を加える。しばらくすると銀色だった液体が黒に変化した。更に加熱していくとやがて腐った卵の臭いがしてくる。

「どうですかイーデン? ちゃんと出来そうですか?」

「馬鹿! 今話しかけるんじゃない。オェッ……!!」

フラフラになりながらも、何とかフラスコに蓋をして部屋の外へと飛び出したイーデン。

「何だか温泉みたいな臭いですね」

「あのな、一歩間違えば死んでるところだぞ!」

部屋の換気をしてから戻ると、フラスコの中は白くなっていた。蓋を開けて、加熱を続けていると、最後は煌々と赤く光り出した。

「さてと、仕上げに……」

 最後に砂金を加えてひと煮立ちすると、元の銀色に変化した。

「何だか……、違くないですか?」

「うーん、なんでだ? ニュートン卿の実演では上手く行ってたのに」

その後も毎日同じ作業を繰り返すが、樹状の拡がりを見せることはなかった。実際のところ、ロンドンでは彼ひとりで作業をしたことは無く、ニュートンの助手のように振舞いながら彼のレクチャーを受けていただけで、独力で哲学者の水銀を完成させたことは無かったのだ。


 結婚式の前日、その日も実験は失敗に終わり、すっかり嫌気が差したイーデンは、酒場に繰り出し、酒に溺れて何もかも忘却の彼方へ捨てさろうと大きくコップの中の液体をあおった。

「おやおや! まるでやさぐれた中年親父みたいじゃないかイーデン!」

「エドガー、もう無理だよ。毎日毎日どんなに頑張ってみても、結果は同じ。ついには、時間も尽きてしまった。やっぱり錬金術なんてまがい物なんだ。きっと、僕が見せられた哲学者の水銀は、ニュートン卿が何か手品のようなトリックを使って本物のように見せたんだ」

「そんな事は無いと思いますけど……」

 イーデンが心配で、珍しく酒場まで付いてきたクルル。ロンドンから彼が持ってきた哲学者の水銀を実際に感じ取った事を言いかけて、口をつぐんだ。

「フフッ、なるほどな」

「何だよ! エドガー!!」イーデンはブランケンハイムに掴みかかった。「こういう時だけ大人ぶりやがって! あんたに何がわかるんだ!!」

「わかるさ。君たちは二人とも本気で信じてない。だから駄目なのさ」

「それはどういう……」

「ニュートン卿の事は噂には聞いたことがあるよ。狂気の人だとね。しかしそれは、常人の立場から見た姿だ。狂気ともいえる熱意、あるいは信仰。奇蹟を奇蹟たらしめるのは、全てをなげうってでも信じる心の強さなのじゃないかな? それがどうだね? 君らは傍から見たら狂気と言えるほど没頭してたのかね? 何処かに疑念を持ちながら作業をしていたんじゃないか?」

 イーデンはニュートンに初めて会った造幣局での一件や、一緒に実験室に入った僅かな間の事に思いを馳せた。確かにニュートンは自らが取り組むどんな物事に関しても常人を越えた狂気で取り組んでいた。それはのぼせ上がった過信ではなく、物事に純粋に没頭し、世界の謎を解き明かそうとする純粋な熱意なんだ。

 イーデンは立ち上がった。

「行くぞクルル!」

「あ! 待ってください!!」


 部屋に戻ったイーデンは夜を徹して作業に取り組んだ。普段はすぐに寝てしまうクルルも真剣に見つめ続けていた。

「赤くなったぞ。あと、もう少しで……」

 フラスコの下の火を消して、後は冷めるのを待つばかりという所で彼は崩れ落ちる。それまでも徹夜続きだった彼の体力は限界に達し、もう睡魔から逃れることは出来なかったのだ……。


「若者よ」ニュートンは言った。「煮え立つ水銀に思いを注ぎ込むのだ」

「ニュートン卿、それって、科学的とは言えない、まるで呪術じゃないですか?」

「錬金術はこの世のことわりを超越するすべ。自らが神へと至る道なのだよ」

「そんな!」

「私が唱えた物理法則はこの世の現象を説明するが、それは一面的なものの見方を切り取ったに過ぎない。あの1664年。彼との邂逅により私は世界というものへ至る道を見いだしたのだ。見える世界だけが全てではない。光は粒子であり、すべての質量は互いに引かれ合うのだ。若者よ! 目に見えるものだけに囚われずに心を開くのだ。そうすれば……」

「そうすれば?」

「お前の望むモノが見つかるだろう」

 その時、彼はニュートンを通して世界と調和出来るという確信が心を満たした。見えない世界も見通せるようなそんな思いが……。


「イーデン! 起きて下さい」

「何だよ? もう少し眠らせろよ」

「出来上がってますよ!」

「何が?」

「銀の水が」

「銀の……なんだって?!」

 夢から覚めたイーデンは、飛び込んで来た情景に夢が続いているんじゃないかと目を疑った。何故なら、目の前のフラスコの中でゆれる銀の大地から天を目指して育った小さな木が枝を伸ばしていたのだから。それはまるで生きているかのように枝を揺らしている。彼は自らの頬をつねった。

「イテテテッ!? ってことは!」

「完成したんですよ!」

「やったー!」

 イーデンはクルルに抱き着いて、部屋の中をグルグルと回転しながら喜びを爆発させた。胸の中の彼女の顔が少し寂し気なことなど気にもせずに。

「でも、エーテルを流し込んでないのに何で?」

「そんなこと、ワタシは分かりません。でも、金を作るには十分です」

「細かいことはいいか。時間がない。早く鉱山に急ごう!」


 彼らは急いで支度をして、明け方でまだ誰も居ない鉱山へと向かった。

「イーデンは外で待っていてください。入り口の近くにいちゃダメですよ」

「何で僕が入っちゃダメなんだよ?」

「普通の人が使ったら死が近づきますよ?」

「だったら、お前も……」

「クルルは大丈夫です。そういう体質ですから」

 彼女が何か秘密をまだ隠しているかもしれないと思ったイーデンだったが、現在の最優先事項はシャーロットを助けるために金を生成することだと思い、外で待つことにした。

 クルルが銅貨の詰まった袋を手に坑道へと入っていき、しばらくすると緑色の強烈な光が穴から一瞬漏れてきた。その後、戻ってきた彼女から袋を手渡される。

「出来ましたよ」

「ありがとうクルル! すごい! ホントに金になってる!!」

 袋の中を覗き込んで興奮するイーデンは、さっそく結婚式の会場へ行こうとクルルの手を取った。しかし、

「クルルはここで待ってます」

「何で?」

「少し疲れました」

「そうか、無理させて悪かった。ゆっくり休んでくれ」

「イーデン……」

 彼は彼女の言葉を聞くことなく、駆け出したのだった……。

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