第14話 幌馬車

 村はずれの野営地に停車した幌馬車隊。降り立った乗員たちは、夕食の準備や水の汲み出しに出向くなど、暗くなる前に作業を終わらせようとテキパキと働きだした。

「シャーロット! どこに居るんだ?」

 イーデンは、大声で呼びかけながら、野営地を歩き回って彼女を探した。すると、奥の方に停めてあった幌馬車から彼女が顔を出した。

「生きていたのねイーデン!」

 シャーロットは、彼の姿を見て、喜びを爆発させた。すぐに荷台から飛び降りた彼女は、イーデンの元へと駆けだした。そのまま彼女が広げた腕に抱きしめられるかと彼は期待していたのだが……。

「グェッ!」

 直前になって振りかぶられた彼女の掌底が彼の頬を貫いた。予想外の出来事になすすべもなく、ノックアウトされるイーデン。彼は頬をさすりながら、彼女を見上げ、衝撃で舌が回らない中、何とか抗議の声を振り絞った。

「あ、あにすんだぉ!」

「どれだけ心配したと思ってるの! 牢屋が焼けたときは、これでおしまいかと思ったのよ。翌日にマザー牧師が逃げ込んでないかと幌馬車を調べに来たから生きてるんだって分かったけど。連絡くらいしなさいよ! このバカバカバカ!!」

 彼女は目に涙を浮かべて何度も容赦のない蹴りを入れ続ける。彼は必死に体を丸めて、情けない声を上げた。

「やめろ、痛い! 蹴るのはやめよう!」

「ふん……」

 シャーロットは蹴るのを止め、ぷいっと顔を横に向けた。イーデンは、彼女の子どもっぽい怒り方と表情が何だかおかしく思えてきて、「プッ!」と、吹き出してしまう。

「なによ! まだ蹴られ足りないのかしらね!!」

「ごめんごめん。なんかさ、こんなに心配してくれたのが嬉しくって。それだけ僕の事を気にかけてくれていたんだなぁと、感動しているのだよ」

「言ってる言葉と表情が全然噛み合ってないんですけど! もう知らない!!」

 完全にそっぽを向いてしまった彼女を宥めようと立ち上がって、彼は彼女の正面に回り込んだ。

「なぁ、悪かったって! 僕だって愛しい君に逢いたい一心で、ここまでやって来たのだから」

「何よ……。急に改まっちゃって」

 シャーロットは声の調子も弱々しくなり、頬もどこか紅い色が差していた。彼女の満更でもない雰囲気を感じ取り、イーデンはここぞとばかりに捲し立てる。

「まだまだ駆け出しだけど、これから僕はロンドン科学界でビッグになるんだ。そんな僕には、君のような美しく聡明な令嬢こそが相応しい」

「ダメよ。あんたなんか、まだ子どもみたいなもんじゃない。まだ何にも実績を残して居ないでしょ」

「じゃあ、実績を上げれば、僕のモノになってくれるかい?」

「そ、それは……」

 形勢を逆転され、返す言葉が見つからないシャーロット。少ししか経ってないのに、以前と比べて彼が男らしくなってるような気すらし始めていた。しかし、イーデンの奮闘も空しく、ここで邪魔が入る。


『キャー!』

 幼い少女の叫び声が突然響き渡り、イーデンとシャーロットは声のする方へ振り返った。

「あいつ、何を?!」

 叫び声の方へ二人が駆けつけると、8歳位の少女の頭部を両手で挟み込むようにして掴み、目の色を変えてペロペロとその少女の顔を舐めるクルルの姿があった。二人は急いで彼女を引き剥がした。シャーロットは少女を介抱し、イーデンは少し離れた所にクルルを引っ張っていく。

「何してんだよ?」

「め、メイプルシロップが顔に付いて汚れていたから舐めてあげたんですよ!」

 どうやら大人の手伝いをしていた少女が、メイプルシロップをチョットだけ盗み食いしている所に突然クルルが目の前に現れ、驚いて頬にかけてしまったらしい。そして、クルルは彼女の頬をベロベロ舐めたのが事の顛末だった。しかし、どこかしらばっくれている様な違和感をイーデンは感じた。普段のクルルなら、もっと自信満々に答えたはずだと……。

「さては、甘いモノが大好物なんだな?」

「だとしたら何ですか! 確かにクルルは甘いもの大好きですけど……」

「だからって、見ず知らずの人の顔を勝手に舐めて良いわけないだろ」

「そんな事ないです! クルルは初めて会う狼さんや熊さんにだって喜んで舐められます、実際に舐められたことだって何回もありますし」

「お前が良くても、相手が嫌ならダメだろ? あの子、お前に舐められて泣いてたぞ!」

「そ、それは……。すみませんでした」

 クルルはようやく理解したのか、少女の元へ謝罪しに行った。シャーロットのお陰で落ち着きを取り戻していた少女は、少し怖いものを見る目はしていたがクルルを許してくれた。怖がる少女の元から離れて、3人になったところでシャーロットが口を開いた。 

「気になってたんだけど、マザー牧師の協力を得られないなら、これからアンタたちどうするつもりなの?」

 その言葉を聞いて、待ってましたとばかりにイーデンは彼女の手を両手で包み、目を潤ませた。

「お願いだ! 愛しい愛しいシャーロット!! 何でも雑用をするから、君の幌馬車に僕らを載せて行って欲しい。食べ物も自分たちで何とかするから迷惑はなるべくかけないよ。ちなみにお金の方はまったくの一文無しで謝礼を払うことは出来ない」

「無理よ。父が許すはずが無いわ。こうして男の人と話している所を見られただけで何を言われるか……」

『その通りだ。シャーロット』

「お父様?!」

 あれだけ騒ぎになれば、10台しかない幌馬車隊のキャンプで気づかない訳がない。やせ型の体型ながら立派な口髭と威厳を持った姿勢で立つ、その場には場違いなほどの英国紳士然とした正装に黒髪のカツラを被った中年男性が、慇懃な視線を彼らに向けていた。

「分かっているのか? お前は向うの家に嫁ぐ身分なんだぞ! 変な虫が付かないように私がどれだけ苦心してきたか!!」

「嫁ぐ?」その言葉を聞いた途端、イーデンの視界がギューンと狭くなった。

「さぁ、こっちに来なさい!」

 父親に引っ張られて、シャーロットは抵抗するわけでも無く、その場を後にした。余りのショックに棒立ちに立ち尽くすイーデン。クルルは、そんな彼の袖を引っ張って注意を自身に向けさせた。

「なんだよ?」

「これで、イーデンともお別れですね」

「は?」

 クルルがいつになく真面目な顔をして言ってきた言葉の意味がイーデンには理解できなかった。

「だって、彼女が銀の水を作る材料持ってるんでしょ? だから、逢いに来たんじゃないんですか? 分かってますか? 銀の水が作れないのならイーデンには用がありませんのですよ!」

「そうか! その手があったか!!」

 彼は何か閃いたようだったが、彼女の方はそのことに気付かずに、言葉を続ける。

「じゃあ、クルルは行きますよ。本当に行っちゃうんですよ!」

「クルル。哲学者の水銀の材料は、彼女が持っているんじゃない」

「はぁ? 意味が分かりません! じゃあ、何しにここに来たというんですか?」

「彼女は持っていない。けれでも、この幌馬車隊に居る奴が持っているんだ。こんなところで挫けてたまるか! 奴の幌馬車に同乗して、どんな野郎が相手なのか確認してやる。そして、そいつより僕が上だと証明してやるんだ!」

「ところで、それは誰なのですか?」


「おう! 生きてたのかイーデン」

 イーデンが訊ねて行った男は、鉱山技師のマイケル――船の上での博打仲間――だった。むさ苦しいヒゲ面のバイキングのような見た目の男だが、この移民団の目的地からの要請でこの地に来ている有能な技術者なのだ。彼なら水銀や硫黄などの哲学者の水銀に必要な材料を持っているし、一文無しのイーデンにとっても、王立協会がらみで派遣されている自分の身元を知っている分、後払いで材料と幌馬車に載せてもらう交渉に持ち込めると踏んでいた。しかし、

「無理だな」

「なんで? あんたなら王立協会とも仕事をしたことだってあるだろ? 僕はニュートン卿から直接勅命を受けているんだ。とりっぱぐれる心配は無いよ!」

「お前さんが、生きてロンドンに戻れるならそうだろうが、ここいらの連中と事を構えてんだろ?」

「エーテルの謎さえ分かれば、あんなザコどもなんて、物の数にも入らないさ!」

「相変わらず、大口を叩くなイーデン。しかし、俺らに得にもならねぇ事をわざわざヤル義理も無いね」

「そんな……」

「イーデン。本当にこの人は、銀の水の材料を持っているのですか? イーデンが無理なら、クルルが大切な種か虫と物々交換しましょうか?」

「そんなもの、こいつらには必要ないから黙ってろ!」

「イーデンが、上手く話を進められないから言ってあげてるんですよ!」

 二人の口喧嘩を聞いていたマイケルはあることに気が付いた。

「このインディアン。流暢に英語を話すな」

「白い人、クルルはインディアンでは無いですよ! 異民族からは森の民と呼ばれています」

「へぇ、聞いたことない部族だな。よろしくなクルル!」

「クルルをクルルと呼んで……ふががっ!」

「ああ、めんどくせぇ! マイケル。こいつをクルルと呼んで良いのはかなり打ち解けないとダメなんだ。とりあえず森の民と呼んどいてくれ」

「見た目と違って自己主張の強い部族なんだな。俺もアフリカ大陸や色々回ってるからな、ユニークな習慣には慣れっこだが、まぁそんなことより、森の民さんよ。あんたはイロコイ語とか喋れんのか?」

「モホークだろうが、ナバホだろうが、スーだろうが、なんでも話せますよ」

「そりゃ、好都合だ!」


 こうして、インディアン相手の交渉に役立つであろうクルルの語学力のお陰で何とか幌馬車に載せてもらえることになった。しかし、

「おい! さっさと料理しろイーデン!」

「酒を早く持ってこいイーデン!」

「ハイ! ただいまー! はぁ、絶対許さねぇ……」

 何も与えるものの無いイーデンは、雑用係としてこき使われることになったのだ。

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