第10話 半島の外へ
閑散としていた通りがにわかに騒がしくなってきた。道行く人々は、イーデンたちとは反対方向に走っていく。その様子を見て彼はビクビクと周りの様子を伺った。
「なんだ?! なんだ?!」
彼らが火事場に集まる野次馬たちとは、逃げることに集中しているイーデンには考えが及ばなかった。そんな風に、周りを気にしながら二股の分かれ道に到達したところで、目の前に立ちはだかるイーデンと同じくらいの歳に見える一人の青年。
「おい!」青年は声を掛けてきた。「あんたたち、昼間に港で暴れて掴まった奴らだろ?」
「げげっ!」イーデンは思わず声を漏らした。「走るぞクルル!」
「うん!」
一斉に駆け出し、遁走を試みた二人であったが、二股の道をそれぞれが逆に進もうとして力の弱い方が引き倒された。
「イテテテテッ……。どっち行ってんだよ! 港は危ないだろ?!」
「そっちは、こっちより細い道だし、行ったことないから行き止まりかも知れないじゃないですか!」
喧嘩する二人を見て、青年は腹を抱えて笑い出した。
「ハッハッハッハ! 脱獄した後に監獄に火を点けるなんて、どんな極悪人かと思ったら、ずいぶん間抜けだな君たち」
「は? 何言ってんだ?!」
「じゃあ、君らの後ろで燃えてるあれは何なんだい?」
「あ!」イーデンは後ろを振り返って、ようやく気が付いた。「燃えてる……」
低層の建物が並ぶ半島の外れで、ひときわ目立つ背の高い監視塔兼監獄が火の手に包まれ、火柱と黒煙が夜空に高く舞い上がっている。一緒に振り返ったクルルは慌てた様子で訴えた。
「クルルがやったんじゃないですよ。クルルは火が苦手ですし」
「確かに監獄は入れられていたけど、あれは僕らじゃない。てか、そんなことより早く逃げないと!」
「そのまま、どっちの道を進んでも、ショーマット半島から出るには一つの橋しか無いぜ」
青年の言葉に、イーデンは足を止めた。
「それじゃ、逃げられない?」
「まぁ、これだけ騒ぎになりゃ、橋に検問が出来ているだろうし。怪しい二人組は止められるだろうね。だけど、心配するこたぁない。僕もコットン・マザーは嫌いでね」
「助けてくれるのか?」
「まぁ」青年は目を細め、ニヤニヤしながら答えた。「条件付きだけどね」
「金ならないぞ」
「そうじゃないさ。情報が欲しいのだよ。とびっきりのスクープをね」
「君は一体?」
「ご紹介が遅れました。僕は後ろにある新聞社で記者をしているベンジャミン・フランクリンだ」
三叉路の真ん中に立つ新聞社はお世辞にも立派な建物とは言えず、単なる平屋の見ずぼらしい工場の様だった。実際のところ彼は本当の新聞記者ではなく、兄の経営する印刷所の奉公人だった。もちろん主な発行物は兄の作っている『ニューイングランド・クーラント新聞』だし、今も、火事場に駆け付けた兄に代わって印刷所の留守番をしていたわけだ。しかし、サイレンス・ドゥーグッドという偽名で新聞社に度々投書し、その優れた内容が評価され――兄は弟の記事だとはまったく知らずに――何度もニューイングランド・クーラントの紙面を飾っているのだ。
結局イーデンたちは、事の顛末を投書ネタを探していたベンジャミンに話す代わりに、彼のボートでショーマット半島からの脱出を手助けしてもらうことになった。
小さな半島は少し歩けばすぐに海に出る。ベンジャミンは半島北側の土手に放置された手漕ぎボートを押して海面に落とすと、そのままの勢いで飛び乗った。
「さぁ、お二人さん。乗った乗った!」
「おい、もたもたするなよ。行くぞクルル!」
後に続いたイーデンは、なかなか来ないクルルに向って叫んだ。
しかし、いつもは元気いっぱいのクルルが、打ち寄せる波の前では臆病な子猫のように縮こまり、水の中へ足を踏み込めないでいた。
「ううぅ、クルルは海が苦手なのですよ……」
「何言ってんだ! 早くしろよ」
「海水を浴びると、へなへなになっちゃうです」
「ああもう! 仕方ないな!!」
イーデンはボートから飛び下り土手へ取って返すと、クルルをお姫様抱っこして海を進み、そっとボートに彼女を乗せた。
「ほほう。流石、英国紳士ですな」
「お前、バカにしてるだろフランクリン」
イーデンがボートの縁に掴まって乗り込み、一路、沿岸部を目指してボートは進みだした。
月明かりの下、葦の群生を避けながら穏やかな汽水域をボートは進む。
「さてと」ベンジャミンが言った。「騒動を見物していた野次馬たちに聞き込みをしたんだけど、コットン・マザーは、君の事を魔女呼ばわりしてたそうだね? 本当に、君は魔女なのかい?」
「クルルは、魔女じゃないですよ。白い人に分かりやすく言うと、森に住むインディアンです」
「見たことない服装だけど、何族なんだい?」
「他の民は、クルルの事を森の民と言うです」
「ほほう、では、森の民のクルルさん……」
「白い人! クルルをクルルと呼んで良いのは……! ふががっ?!」
イーデンがクルルの口を手で覆った。「ああ、めんどくせー! こいつをクルルと呼ばないでくれ。とにかく、マザー牧師は、こいつの緑の瞳を見て、「魔女だ!」と、捕まえたんだよ」
「緑の瞳? 暗くてわからなかった。インディアンは民族的に黒か茶色のはず。火を点けて確認してみるか」
「ダメダメ! こいつは火も苦手だから」
イーデンは、鞄の中をゴソゴソしだしたベンジャミンを慌てて諭した。ベンジャミンは不思議そうに彼の顔を見た。
「なんだか、彼女の保護者みたいだな君」
「こいつは行動が不思議過ぎるから、僕が先回りしないとトンデモナイことになるんだよ」
「通りにいきなり生えた大木みたいにかい?」
「それについては僕も知りたかった。おい、クルル?」
「何ですか?」
「いきなり生えた木はどうやったんだ? エーテル、いや、クルラをどうやって注ぎ込んだんだ?」
「祈るんです」
「祈る?」
「大地に祈りをささげると、大地がそれに答えてクルラを分けてくれます」
「何か、実際にやってみろよ。あ! 船が沈まない程度でな」
「クルル、海の上だから、ちゃんとできるか……。あ、これならクルルの中のクルラだけでも大丈夫かな……」
クルルは服に手を突っ込み、
「美しい……」
ベンジャミンから漏れた言葉は、光る鬼灯に対してか彼女に対してか、にわかには分からなかったが、崇高なものを見るような感嘆の表情を浮かべていた。
「おい、ちょっと明るすぎるだろ」
対するイーデンは、彼女が目を開けた後も光が強くなり続ける事が心配になってきた。
「あわわ、思ったよりクルラが海から流れてきますー!」
遂には、鬼灯がクルルの手を離れて宙に浮かび、風船のように夜空へと舞い上がる。そして、
――パンッ!!
静かの海に、破裂音が響き渡った。
「ヤバい! おい、フランクリン! ボートを早く岸へ!!」
「言われなくたって……」
男二人は、必死にオールを漕いで陸を目指す。しかし、程なく光と音を聞きつけた警備艇に発見されてしまう。細長い手漕ぎボートの警備艇は、4人組で漕いでいるらしくスピードでは敵わない。たちまちのうちに、目の前に迫ってきた。
――ピピーッ!!
『そこのボート! 止まるんだ!』
「岸はまだか?」
「ダメだ! 間に合わない」
「きゃうっ! しょっぱい水がかかりますぅ!!」
警備艇が横に並び、オールから跳ねる海水が降りかかってきた。巧みに進路を抑えられ、葦原に追い込まれそうになる。
「クルル! また種使って、何とかできないか?」
「何とかって、分かんないですぅ!」
遂には、舳先をくっ付けてから、巧みにオールを使ってボートを横づけしてきた。
「あっちのボートをバラバラにとか出来ないのかよ!」
「それなら!」
『手間かけさせやがって!』
警備艇の乗組員がこちらのボートに手をかけてきたのと交差するように、クルルの手が警備艇の縁を掴んだ。
――ギギギ……、バリバリバリバリッ!!
クルルか掴んだ辺りから、ボートを形づくる板が歪みだした。四角い板の角が丸くなり、板と同士に隙間が出来るとともに勢いよく水が入り込む。程なく警備艇は沈没した。
――ざっぱーん!!
「すごいや……」
「でかしたクルル! ん? どうした?」
「み、水を……」
警備艇の沈没で起きた水しぶきをおもいっきり被ったクルルは、へなへなとへたり込んでしまった。
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