第8話 ダウン・バイ・ロウ

 ショーマット半島の北の端、第二教会から更に奥に行ったところに二人が入れられた監獄はあった。岸壁にせり出すように建つ、丸太とレンガで出来た粗末な建物は、植民地軍の管理する見張り台も兼ねていた。

 イーデンが牢屋の小さな窓から暗くなり始めた外を眺めてみると、無数の細長い桟橋が海岸沿いに並び、それぞれに小さな漁船が係留され、更にその先の海には大きな帆船が数隻、停泊していた。

「うーん、むにゃむにゃ……。は?!」

 ようやく目覚め飛び起きたインディアンの少女。彼女は捕まる直前に一度は目覚めたものの、またすぐに眠ってしまっていたのだ。一緒に捕らえられたイーデンは、窓際から振り返って彼女を見た。

「ようやく、お目覚めか?」

「ここは何処ですか?!」

「牢屋だよ。見りゃわかるだろ?」

「ろうや?」

「罪人を閉じ込めておくところだよ」

「ざいにん?」

 少女は何も知らない無垢な瞳でイーデンを見た。

「はぁ」イーデンはため息をついた。「なんでこんな訳の分からないガキと幽閉されなきゃならないんだよ」

 しかし、そんな彼の思いなどつゆ知らずに彼女は意識がしっかりしてきたことであることを思い出す。

「あー!」

「今度は何?」

「返してください!」少女はイーデンに迫った。「銀の水はクルルのモノなんだから!」

「おいおい、待て待て!」

 イーデンは、いきなり飛び掛かかろうとしてきた少女のおでこに右腕を伸ばして抑えつけた。少女は必死に手を伸ばすが、腕の長さでは勝ち目が無い。

「渡さないと、いたいいたいだよ!」

「けっ! 渡すも何も、全部、取られたよ」

「そんなウソ言っても……、あれ?」少女は彼の方に伸ばしてバタつかせていた手をピタリと止めた。「確かに、クンクン。臭わないなぁ~」

「お前、臭いで探して出せるのかよ? 犬みたいだな」

「クルル、犬じゃないです。リスさんが近いよ」

「意味わかんねぇよ……」

 呆れかえるイーデンをよそに、少女は服のスリットから中に手を突っ込み何かを探し始めた。

「あれ? あれれれれ?」

「服以外は、金もナイフもみんな取られたよ」

「あわあわあわ、どうしようどうしようどうしよう?! クルルに貰った大切な種も奪われた!」

 少女は頭を抱えて、早足で牢屋の中を無秩序に歩きまわる。

「おい、落ち着けよ! えっと、クルルだっけ?」

 少女は、クルルと呼ばれてピタッと止まり、真顔でイーデンの方へゆっくりと振り返った。

「クルルの事をクルルと呼んでいいのはクルルだけだよ」

「はぁ?! なんでだよ?」

「そういう決まりなの。クルルじゃない人は森の民と呼ぶことが多いんだよ。よう! 森の民とか、元気か? 森の民とか」

「それは部族の名前だろ? お前は森の民のクルルなんだろ」

「違うの!」彼女は早足で詰め寄った。「森の民がクルルなの!!」

「ああー! もう、めんどくせー! クルルで良いじゃん」

「絶対にダメー! もし呼ぶなら白い人もクルルにならないとダメだよ」

「なんだそりゃ? アホらしい」

「あ、やっぱ無理だ。普通の民はクルルになれない」

「はいはい、そうですか」

 イーデンはすでに関心を失って、床にだらしなく寝転んだ。

「でも、クルルと結婚して、生まれた子の守護者としてクルルと生活は出来るのです。そしたら、クルルと呼んでも良いかな」

「へぇ、じゃあ、お前と結婚すりゃ、クルルと呼んで良いのか?」

「そういう事なのです」

「じゃあ、いっちょ結婚するか? クルルと呼ぶためにだけに結婚する。

こりゃ傑作だな」

「良いですよ」

「はい?」

 クルルは寝転がるイーデンに近づいて来て、両手を伸ばし、彼の指の間に自らの指を交互に通して重ね合わせた。

「汝、クルルと契りを交わす約束を、ここに認め、夫婦になることを……」

「ちょちょちょ! 一体何してんだ?!」

「結婚の儀式ですよ? クルルと白い人、これで夫婦ですね」

 クルルは手を離し、寝転がるイーデンに覆いかぶさるように抱き着いた。

「ま、ま、待ってくれ! 僕にはシャーロットという心に決めた大事な女性がいるんだ! お前と結婚なんてできない! 手を離してくれー!」

 イーデンは、必死にクルルを振りほどこうとするも、ガッチリと背中に回された彼女の手は、まったく離れることは無い。

「何をいまさら言ってるのですか? もう契りは交わされましたですよ? もう、遅いですよ。クルルの誓いは絶対なんだよ? 離れようとしても、地の果てまで追いかけるんだよ?」

「わわわ! 悪かった! どうか勘弁してくれ! 名前を呼ぶために、結婚なんてできないよ」

 イーデンの必死の形相を見たクルルは、頭を彼の肩に置いて顔が見えないようにした。

「ククククッ……」

「え?」

「ククッ……。引っ掛かりましたね」少女は顔を上げて満面の笑みを見せた。「冗談なのです」

「ハァ?! 何だよそれ! 訳わかんねぇよ。てか、インディアン嘘つかないんじゃないのかよ?」

「クルル、インディアンじゃないよ。クルルだよ。クルルは冗談好きの楽しいクルルなのですよ。クククッ。白い人、間抜けで面白いです。騙しがいがあるですよ」

「はぁ、そうですか……」

 イーデンは、年下の少女相手にいったい自分は何をやっているんだと、何とも言えない気持ちになっていた。しかし、冷静になってきた事で、抱き着いたままの少女の体温としなやかな感触、漂って来る木と蜜が混じった何とも言えない甘い香りに気付き、ほのかな劣情が泡立ち始めていた。

(煤けてるけど、よく見ると可愛らしい顔をしているな。汚れてるから臭いかと思ったらいい匂いがするし、この感触、もしかして、服の下は何もつけてない……。ダメだダメだ! 野蛮人相手に何を考えているんだ! 僕はもっと清廉で清い愛を求めるジェントルマンなのだよ。ああ、我が騎士道精神よ。僕の理性を留めてくれ!!)

 イーデンが、葛藤しながらも彼女を突き離せずにいると、何かに気付いたクルルが手を着いて上体を持ち上げた。

「あ!」

「こ、こ、今度は何だよ?」

「クンクン。近くに有ります」

 クルルは立ち上がり、小さな窓に顔を突き出した。

「近くに有るったって、牢屋から出られなきゃ、奪い返せないだろ? あの秘密のタネみたいなのも取られてないんじゃ、手の出しようが無いと思うけど……」

「クンクン。こっちです」少女は鉄格子の扉に近付いた。「開かないですね」

「そりゃ、出入り自由じゃ牢屋とは言えないからな」

 少女は、ガチャガチャと何度か鉄格子を揺すった後、三つ編みに右手の指を差し入れ何かを取り出した。人差し指と親指で摘ままれたそれは、うねうねと動く金色の芋虫。

「虫さん。お願いね」

「な、な、何なんだそれは?!」

「金喰い虫ですよ。知らないの?」

 イーデンは、先ほどまで抱き着いていた少女が髪毛の中に芋虫を飼っている事実を知りドン引きした。少女は、金喰い虫を鉄格子の鍵穴付近に放した。すると、虫から硫黄のような臭いが漂い始め、その口元から煙が立ち昇った。瞬く間に鍵穴の部分が溶けて広がり、ぽっかりと穴が開いた。少女は虫を回収すると、三つ編みに戻し、鉄格子の扉を開けて廊下へと駆け出した。

「あ、ちょっと待って!」

 イーデンも後を追う。何としても、彼女より先に哲学者の水銀を奪回しなくてはならない。

 建物から通りに飛び出すと、通りの先に第二教会方向へと駆けていく少女の姿が見えた。

「それにしても……」

 イーデンは、少女の後を追いながら、逃げたしたとき、監獄の中に自分たち以外に誰も見当たらなかったことを訝しく感じていた。


 そして、その後ろ姿を建物の影から見送る3人の人物。

「良いんですかい? あのまま行かせて」

 眼帯をした薄気味悪い男――ブランケンハイムが、横に立つ彼と同じくらい背の高い修道女に聞いた。

「エーテルが無きゃ、意味ないでしょ? まだ、あの森の民がエーテルを扱えるのか確認できてないし」

 修道女は、灰色の冷たい眼差しをブランケンハイムに返した。

「おいら、ゲロしてぇ。アイツら、クソマズかったぞ」

 後ろに立つ、ゴリアテが苦い顔をした。

「しょうがないなゴリアテ。監獄の中に吐いとけ。すぐに火を点けるから」

「オェー、ブロロロロ!!!」

「ちょっと、クッサいわね。私が居ないときにやってよ」

「ゴメンよ、シスター……。うぅゲロゲロロロ……」

「あんまり、息子をいじめないでくれシスター」

「お前たちは、やる事成すこと雑過ぎるのよ。ここは我々のテリトリーじゃない。痕跡はなるべく残さないようにしなくてはいけない」

「だったら、もうちょっと人員を頂けないもんですかね。あの小僧だけでも大変なのに、何ですかあの娘は? 聞いてないですよ。街中で魔術を使うなんて」

「勘違いするんじゃないわよ、エドガー」シスターはいつの間にか取り出したナイフをブランケンハイムの首筋に当てていた。「ライプニッツ亡き後に、道端で野垂れ死の運命だったあなた達を拾ってあげたのは、誰かということを、ちゃんと胸に刻んでいないのかしら?」

 シスターのナイフがゆっくりと首筋から胸元へ降りていき、心臓の上で停止した。

「後片付けを始めて宜しいですか、シスター」

「ふん……」

 シスターは、音も無く暗闇に歩み去った。

「コワイねパパ……。あのオンナ……」

「ああ、嫌な上司だよ。だが、もう少しの辛抱だ。最後は、イエスズ会のクソ女など我らが出し抜いてやるさ」

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