第7話 ボストン

「見つけました!」緑の瞳の少女は、イーデン・ウッドハウスに馬乗りになって叫んだ。

「はい?」イーデンは、状況が飲み込めない。

「返してください」

「何を言っているんだ?!」

「あなた達にあげたんじゃありません。いいから返してください」

 頬っぺたを膨らませて、怒っていることを示しているらしかったがまったく怖くない。

「返せって言ったって、初めて会ったばかりじゃないか?」

 イーデンが拍子抜けしていると、少女は上に覆いかぶさったまま彼の体をまさぐり始めた。

「あ、ちょっと! なにを……」

「もう! 何処に隠しているんですか! 銀の水!!」

「銀の水? もしや、哲学者のすい……。うわぁ!」

 少女の手が下腹部の大事な部分に襲い掛かり、イーデンは慌てて少女を突き飛ばした。

「きゃうっ!」

 少女は勢い余って、ぐるぐると後ろ向きにでんぐり返しで転がっていった。

「な、なんて野蛮な……。これがインディアンって奴なのか?!」

 顔を真っ赤にしたイーデンは、ようやく立ち上がり、うつ伏せで倒れている少女に軽蔑の眼差を向けた。

「あれ?」

 倒れたままピクリともしない少女。心配になりだしたイーデンは恐る恐る近寄った。すぐそばまで来て見下ろすと――襲われたときは気づかなかったが――彼女は袖のない、膝下の丈も短い、ほとんど麻袋をそのまま被ったような粗末な服を着ていたのだ。そして袋のような服の先からは、スラっと伸びる華奢な両腕や肉付きの良い太ももが無防備に剥き出しになっていた。

「うっ……」

 大人相手にハッタリをかますイーデンとはいえ、16歳のウブな青年である。素肌を見せない貴婦人たちのドレスとは全く違う、無垢であるが生々しい肢体を目の前にしてつばを飲み込んだ。

「引っかかりましたね!」

「なに?」

 イーデンが油断している隙を突いて、気絶していたかと思われた少女の両手が彼の足首をしかと掴んだ。

「とりゃあー!」

 間の抜けた叫びとともに、イーデンはまたたく間にひっくり返されると、立ち上がった少女に足首を掴まれたまま――小さい体のどこにそんな怪力が眠っているのか?――掛け布団のようになすすべもなく上下に振り回された。

「うわ! やめ、やめてくれー!!」

 逆さまに振り回された所為で、頭から帽子や鬘が吹っ飛び、ついにはシャツの内側、首にかけていた革袋が表に露出した。

「見つけた!」

 少女は目を大きく見開いて純粋無垢な笑顔の花を咲かせた。そして、容赦なく彼を地面に叩きつけた。

「ぐぇっ……」

 腕を後ろに廻していたので、辛うじて後頭部を守ることが出来たが、背中を強か地面に打ち付けられ、のた打ち回るイーデン。少女は、そんな彼に飛びつくと器用に首から紐を取り外し革袋を奪取したのだ。しかし。

「させるかぁ!!」

 イーデンは、両脚で少女の体にカニばさみにして固定し、クルッと回転して体勢を上下入れ替えた。

「きゃうぅ、やめ、止めて下さい! いやぁ」

「何を言うか、この盗人が!」

 少女が粗末な自分の服の中に隠した革袋を探すため、馬乗りになったイーデンは、胸元を隠す彼女の手を脇に退けて押さえつけ、掴みかかかるもう一方の手もろとも無理やり反対の手を少女の服の中に突っ込んだ。

「だめぇ、いやぁ……」

「うるさい! 動くんじゃない!」傍から見れば少女を襲う悪党といえなくもないイーデンだったが、すでに彼の理性はどこかへ飛び去っていた。「お? よし見つけた!」

 イーデンはようやく革袋を探し当て、彼女の服の中から手を引き抜いた。そのとき、横から叫び声が聞こえた。

『やめなさい!!』

 というよりも、先ほどから叫ばれていた声が、袋を奪還したことで興奮が冷め、ようやく気が付いたと言った方が良いかもしれない。

『この、変態がー!!』

「ん?」イーデンは叫び声の方へ振り向いた。「うがっ……」

 その瞬間、飛び蹴りが彼の顔面にクリーンヒットした。少女の上からまた地面へ吹っ飛ばされ、尻だけ上げた無様な恰好で地面にのびているイーデン。

「イーデン・ウッドハウス!」聞き覚えのある少女の声が叫んだ。「あなたは一体何をしているの?!」

 彼女の声を聞いて、イーデンはすぐさま立ち上がった。

「シャーロット?!」

 声の主はシャーロットだった。謎のインディアン少女を介抱しながら、彼に向ける視線は痛々しいほど鋭いものだった。イーデンは、痛む顔面をさすりながら彼女たちの方へ歩み寄ろうとした。

「近づかないで! 変態!!」 

「何を勘違いしてるか知らないが、誤解なんだシャーロット!」

「何が誤解よ! あなたがこの子を襲っていたのは事実じゃないの。幼気な少女の服の……、中に……、手を! キャー!! ヘンタイヘンタイヘンタイ!!!」

「この白い男は、クルルの大事なモノを奪おうと、ぐっすぅ……」

「何言ってんだ! この嘘つきインディアン女め!! 僕から盗もうとしたのはそっちだろ?」

「まぁ、イーデン! 呆れたわ。船の中では、あれだけ進歩的な考えを持っているだとかのたまわってたのに、とんだ差別主義者だったのね」

「だ・か・ら! そうじゃないって、こいつは僕の持っている哲学者の水銀を盗もうとしたんだよ」

 イーデンは、手に持った革袋を突き出した。

「あ! 返して!」

 少女が立ちあがって、イーデンにまたも襲い掛かろうとしたが、新たな人物がその間に立ちはだかった。

「騒がしいと思って来てみたら。ウヒヒヒヒ! やっと見つけたぜ、嬢ちゃん」

 逃げ出した少女を探していた奴隷狩り――ひょろ長のサムだ。

「あ! サムさん。こんにちは」

「あ! サムさん。じゃねぇよ! 何勝手に逃げてんだよ嬢ちゃん」

「逃げる……?」

「そうだよ。俺たちが目を離した隙に居なくなったじゃねぇか!」

「クルルは、ボストンに付いたから降りただけだよ」

「あー! お前とは話がかみ合わねぇ! 良いから、一緒に来い!」

「ダメですサムさん! 今は忙しい……」

「うるせぇクソガキ!」

 サムは容赦なく少女の頬を平手打ちした。

「きゃうっ!」

 更に、地面に倒れた少女の頭部を容赦なく踏みつけた。

「手間かけさせんじゃねぇ!」

「ううぅ……」

 騒ぎを聞きつけた野次馬が集まってきていたが、どうやら逃亡奴隷を捕まえようとしているんだと、誰もサムの行為を咎める者はいなかった。しかし、一番近くにいた正義感の強い彼女は違った。

「止めなさい!」シャーロットは、毅然とサムを睨みつけた。

「はぁ?」サムは気色悪い顔を彼女に向けた。「お前も殴られてぇか! あん?」

 流石の彼女も、薄気味悪いならず者の凄みに足を止めざる負えない。サムは後ろで少女の手を紐で縛り上げ引っ立てた。そのままインディアンの少女は連れていかれるかと思いきや。しかし、これまた正義感の強いイーデンが黙っているはずも無かった。

「おい!」イーデンが大股で肩を怒らせてサムに近づき、顔を間近まで持っていった。

「何だぁ? やんのか坊主」

「その娘を離せ」

「ヒヒヒッ……。これを見てもそんな事言えんのかい?」

 サムは、腰から刃渡り30センチはあろうかという片刃のナイフを取り出した。顔の前にナイフを見せられ、後退るイーデン。

「まままま、落ち着いて! ぼ、暴力はよそうじゃないか……」

 喧嘩慣れしたイーデンでも武器も持たずに、ナイフを持ったならず者に襲い掛かるほど馬鹿ではない。それに、冷静になってみれば、自分を襲ってきた少女を助ける義理など無いじゃないか。しかし、このまま無様に引き下がったら、シャーロットにどう見られるか? 心配でもあった。

「けっ、腰抜けが……」サムは吐き捨てるように呟いた後、少女に話しかけた。「おい! 何さっきからぶつくさ言ってんだ!」

 少女は、後ろ手に縛られてからずっと、聞き取れない小さな声で呪文を呟きつづけていたのだ。そして、この瞬間にそれは完成し、握りしめていた手を開いた。すると、小さな粒が一つ、地面に落下していった。それは、再度イーデンに襲い掛かる前に服の内側から取り出し、握りしめていた一粒の種……。

「黙れ! このクソアマァ!」

 サムが少女に手を上げようと腕を振り上げたと同時に、種が地面に落ちた。瞬間、緑の光がパっと明滅した。

「な?」

 サムは何が起きたかわからなかった。いきなり視界が遮られ、体が軽くなったのだ。少し離れた所で見ていたイーデンは驚愕した。一瞬、サムと少女の間から緑の発光が起きたかと思うと、茶色く濁った泥水が天高く吹き上がった。しかし、それは水ではなかった。それは、天高くそびえる茶色い大木だった。太い根が地面を這い、直径60センチほどの幹が真っすぐ伸びる。上を見上げると、拡がった広葉樹の葉の生えていない枝が背後に聳える3階建ての屋根にまだらな影を落としていた。上方をよく見てみれば、絡み合う枝に捕らえられ、逆さまにぶら下がるサム。

「もしかして、これは……」イーデンは周囲を見渡して少女を探した。「あいつは……」

 必死に木の上や周りを探索したが見当たらない。しかし、木の根元に目を移したときに、しゃがみ込んだシャーロットの後ろにいる少女を見つけることが出来た。シャーロットが抱え込んでいてすぐに見つけられなかったのだ。

「シャーロット。彼女は大丈夫か?」

「思ったほど怪我はしてないようだけど……」


 二人して、インディアン少女を介抱していると、騒ぎを聞きつけやってきた植民地軍の騎兵が5人、それに続いてコットン・マザー牧師。

「こ、これは……!」マザーは昨日まで無かった木を見上げた。「魔女の仕業か?!」

「魔女の仕業?」イーデンは、目を血走らせ木を見上げているコットン・マザー牧師に近付いた。「いったい何を知っているんですか?」

「き、君こそ何を知っているんだね! これは、君がやったんじゃないのか?」

「違いますよ。僕は魔法使いでも錬金術師でもない。ただ、常識では考えられないおかしな現象が起きただけです。マザー牧師。あなたは以前にも見た事が有るんですね?」

「私は無い。それは私が生まれる前の事だ」

「生まれる前? それじゃ誰が?」

「私は何も知らん! そんなことより、そんなことよりも、もしやニュートン卿が、魔女を飼いならそうなどと考えるているのであれば、それはとんでもない思い上がりだ。ウッドハウス君、君らの行動がアメリカに厄災をもたらすようなものであれば、こちらとしても君らに対する対応を改めなくてはならない」

「マザー牧師!」馬を降りた兵士が大声で呼びかけた。「怪しいインディアンを見つけました」

 木の根元には騎兵が集まり、少女を抱えて離さないシャーロットを取り囲んでいた。

「こんな服装のインディアン部族、今まで見たことないぞ! これはいかにも怪しいではないか。君、牢屋に閉じ込めて置いてくれ!」

「ま、ま、待ってください!」イーデンが言った。「彼女は僕が雇った通訳です。いきなり木が生えてきてビックリして気絶してるんですよ」

「通訳? こんな年端もいかない少女が?」

「優秀だったら年齢は関係ないでしょ? 怪我もしているから早く連れ帰って治療もしないと」

「怪我なら私が今、見てやろう」

「あ、ちょっと! マザー牧師!」

 こんな事なら、さっさと彼女を抱えて逃げれば良かったと、イーデンは後悔した。

「私はボストン第二教会のコットン・マザー牧師だ。お嬢さん、このインディアン少女の怪我の具合を見てもよろしいかな?」

「あ、牧師さま。どうぞよろしくお願いします」

 兵士たちには警戒していたシャーロットだったが、人当たりの良い微笑みをたたえた牧師には心を許さざるおえない。彼女はすぐさまマザーに少女を委ねた。

「眠っているが、脈拍と呼吸は正常の様だな。見たところは擦り傷くらいで大事は無いが、念のために教会に連れて帰り詳しく検査してみよう」

「マザー牧師! 大丈夫ですから! 僕の宿に連れて帰りますよ!」

 イーデンは、このインディアン少女が哲学者の水銀に深く関係していることを察し、マザーに関わらせるのはマズいんじゃないかと考えていた。特に、マザーがいきなり生えた大木のことを魔女の仕業だと言う現場を目撃したのだから……。

「ううぅん……」

「お? 目を覚ましたようだ。大丈夫かね? お嬢さん」

「は、はぅうぅ……。力を久しぶりに使ったから、使いすぎちゃったですぅ」

「そうか、そうか。それは大変……、ん?」マザーは、開かれた少女の瞳を凝視した。「ウッドハウス君」

「何ですか?」

「この娘は君の関係者だと言っていたね」

「はい、通訳と……」

「なるほどな」マザーの瞳に不気味な影がよぎった。「この男を牢屋に連行しろ!」

「ちょ、ちょ、どういうことですか!? マザー牧師!」

 こうして、インディアン少女とイーデン・ウッドハウスは港を北に上がった所にある海沿いの牢屋へ連行されていった。

「牧師様!」シャーロットがその場に残り木を見上げ続けるマザーに縋りついた。「どうして、彼女まで牢屋へ連れて行くんですか!」

 しかし、彼女の事など気にもかけぬ様子で呟いた。

「緑の瞳……。ウイリアム・ストートンの言っていた通りだ」

 コットン・マザーはウイリアム・ストートンに聞いていたのだ。彼の生まれるずっと前、1650年。ストートンの妹スザンナと彼女の夫ジョージ・スターキー医師が留学する彼と共にロンドンへ行かなければならなかった本当の理由を……。

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