第6話 木登りたちの村

 レッドウッドの森に朝が訪れる。

 地上を覆う霧の大海から突き出た無数の太い幹。それぞれの木々には森の民と呼ばれる人々が住んでいる。地上60メートル付近に生える太い枝の上で、緑色した大きな瞳の少女がハックルベリーを摘んでいる。樹齢千年を超える巨木には様々な果樹が寄生木やどりぎとして生えているのだ。しばらくすると、幹の上から小さな訪問者が降りてきた。彼女はいつものように、濃い紫色をした漿果を掌に載せて前に差し出した。

「おはよう、リスさん。よかったらハックルベリーはいかが?」

 リスは器用に前足で掴み齧りだした。次に現れたのは青い小鳥。彼女の肩に止まり朝の挨拶をしてきた。

「おはよう、ルリツグミさん。ちょっと待ってね」

 彼女は近くの枝からハックルベリーを摘み、肩に持っていった。鳥は急いで一粒呑み込むと、もう一粒咥えて飛び去った。

「赤ちゃんによろしくね!」

 飛び去ったルリツグミに手を降っていると、幹の下の方から、野太い男の声が響いてきた。

「クルル。お呼びだぞ」 

「何かしら?」少女は少し小首を傾げた。

「おーい! 聞こえてるか?」

「今行く!」少女は立っている太い枝から身を乗り出し、下を覗き込んで叫び返した。「じゃあ、またね。リスさん」

 少女は名残惜しそうにリスに語り掛けると、器用に幹を伝って下に降りた。10メートルほど下った所で彼女より頭一つ分背の高い中年男性と落ち合うと、連れ立って枝伝いに他の大木に飛び移っていき、ついには森の中で一番大きく背の高いレッドウッドへ到着した。幹を登っていくと、小さなうろが見えてきた。案内役は外に残り、少女だけが虚の中へと入った。中は狭く、待ちかまえていた目の開かなくなった皺くちゃの小さな老婆と少女が入っただけでいっぱいいっぱいだった。

「よう来たクルル」老婆が言った。「お前は行ってよいクルル」

 虚の外に控えていた男は、立ち去った。

「朝からどうしたのクルル?」

 少女が老婆に質問した。彼らは皆クルルであり、固有の名前は持ち合わせていない。

「戻ってくる」

「誰か出掛けてたっけ?」

「そうではない。奪われた銀の水が戻って来るのだ。夢でお告げがあった」

「この前、海の向こうに行っちゃって取り戻せなかった奴?」

「そう。何としても取り戻さねばならぬ。クルルよ。代表して行ってくれるな?」

「もちろん!」

「この前とは状況が違うだろう。クルルよ、頼れる地元の連中は居ないものと思え。その代わり、幾つか貴重なタネを持たせよう」

「大丈夫だよ。クルルじゃ一番若いんだし、力は有り余ってるもん」

「その事は心配ではない。他の民とあまり関わったことが無い事が心配なのだよ。もはや昔のあいつらではない。白き人の魔術にすっかり魅了されてしまっている」

「わかってるって。悪しき欲に絡みとられた連中を注意せよでしょ? 大丈夫だよクルルだけで何とかするからさ」

 少女は口を横に大きく開いた笑顔を見せた。


 しかし、老婆の心配は的中することになる。

 それは、少女がレッドウッドの森を出て長い旅の末、アパラチア山脈の北の麓でモホーク族の村に立ち寄ったすぐ後の事だ。その頃、時を同じくして村に商売をしに来ていた白人の行商人たちがいた。彼らは長老に、見慣れない服装のインディアン少女は誰かと質問した。

「客人だよ」たくましい体をした壮年の長老はそっけなく答えた。

「何しに来たんだ?」歯がほとんどなくひょろ長い見ずぼらしい姿の行商人が聞いた。

「ボストンへの旅の途中だ。彼らには昔、恩があるから手厚くもてなす義務がある」

「旅の仲間は?」

「ひとりだ」

「あんな少女が一人で?」

「そうだ」

「へぇ……」

 男は気持ち悪い顔にニタニタ笑みを漏らさずにいられなかった。

 一方、少女の方は、西洋の品々が取り入れられたモホーク族の生活に興味津々だった。

「この斧、石じゃないみたい。何で出来てるの?」

「白人から買った、鋼鉄製のトマホークだよ」斧の手入れをしていた青年は誇らしげに答えた。「石斧なんて今どき使ってる奴なんかいないぜ。あんた、ほんとにすごい田舎から出て来たんだな」

「いなか? クルルが住んでいるのは森だよ。だからあんたたちは森の民とクルルのこと言うじゃん」

「山の向うは、大平原だろ? あんたの故郷、もっと奥地なのか?」

「平原の先は砂と岩の土地、その先にあるレッドウッドの森がクルルの住処だよ」

「遠すぎるなぁ」青年は彼方に視線を向けた。粗末な恰好をしているが、健康そうだし、嫁にするのに丁度いいと彼は考えていたのだが、牛などの持参品を貰うには遠すぎて不可能だろう。

「ん?」

 少女が不思議そうに彼の事を見ていると、青年は立ち上がって去っていった。さっきまでは、しつこいくらいに彼女の世話を買って出ていたのに、それ以降は近寄りもしなかった。彼女は、この民族は世話焼きかと思ったら、素っ気なくなったりと気まぐれな人々なのだなと勝手に納得したのだった。


 一晩の宿と食事を得た少女は、翌朝早くに村を出発した。

 川沿いに進んで、西への旅を続けていると、後ろから幌馬車が近づいてきた。幌馬車は彼女を追い越してから止まると、中から見ずぼらしい行商人が降りてきた。

「ホラ!」男は掌を見せてインディアン風のあいさつをした。彼はモホーク族の村で少女の事をいろいろと嗅ぎまわっていた白人だった。

「あなたの言葉で大丈夫だよ」

「なんだ英語喋れるのか」

「どうかしたの?」

「お嬢ちゃん一人でボストンまで行くんだろ?」

「そうだよ」

「俺らもボストンまで帰る所なんだ。よかったら幌馬車に乗ってかないか? 一人だといろいろ大変だろう?」

「ありがとう。でも、一人の方が早くたどり着けるし、いいよ」

「そんなことないぞ。まっすぐボストンまで帰るから馬車の方が早いに決まってる」

「クルル休まず歩けるからクルルの方が早い」そう言うと、少女はさっさと歩み去ろうとした。「じゃあね」

「まぁ、待てよ!」男は横をすり抜けようとした彼女の左腕を掴んだ。「そんな、慌てるこたぁないだろ? なぁ! ウヒヒヒ……」

 男が歯抜けの口からヨダレを垂らし、気持ち悪い顔を更に気色悪いものにしてニタニタ笑った。それまでニコニコしていた少女も、眉間にシワを寄せ小声で呟いた。

「離して……」

「あ? 聞こえねぇなぁ」

「離さないと、痛い痛いだよ? 良いの?」

 彼女は服のスリットから空いている右手を入れて服の内側に隠してある袋の中身を掴んだ。

「おー! 怖いねぇ!! お嬢ちゃんに睨まれたぁ! カッハハハ……」

「警告したんだかんね」

 少女が、握りしめた拳を服から出して、中身を男に投げつけようとする寸前。

「離してやれサム!」幌馬車の御者台から小太りの男が降りてきて叫んだ。サムと呼ばれたヒョロ長の男は言われたとおり少女の腕を離した。

「済まなかったねぇ」身なりの良い小太りの男が二人の側までやってきた。「こいつはレディーの扱いに慣れてないもんでな」

「へっ!」サムは唾を吐いた。「ジェントルマン気取りかよメル」

「離してくれたから、もう良いよ」

「それにしても」メルと呼ばれた小太りの男が言った。「一人旅なんて偉いなぁ」

「えらい?」

「そうさ! 偉いとも! こんな小さいのに長い旅を続けているんだろ? 毎晩の食事や寝床の準備なんかも誰にも頼れない。大変じゃないかね?」

「クルルはあんまり食べないから大丈夫。それに寝床は見つからなければ寝ないもの」

「本当に過酷な旅なんだねぇ。儂らと一緒に幌馬車に乗れば、ずっと寝ているだけでボストンについちまうのになぁ」

「寝てるだけ? 歩いたり、お馬さんの世話しなくて良いの?」

「もちろんだとも! そんな事は儂らがやる事だ。お嬢ちゃんが寝ている間にボストンさ」

「うーん。もうちょっと寝ていたいけど……。でも、クルルお礼にあげるもの何も無いよ」

「そんなん良いって! 困ってる人は助け合わなきゃ」

「うーん……」

「嫌になったら、途中でいつでも降りて構わない。どうだろう? 一度乗るだけ試してみては?」

「じゃあ、乗ってみる!」


「この奥に入ってくれ」

 少女は言われるままに、幌馬車の荷台の奥にある鉄格子の檻に入った。

「危ないから、ここにカギ掛けとくよ。トイレはその壺にしてくれれば大丈夫!」

「いろいろ親切にありがとう」

 少女はニッコリと太陽のような笑顔を見せた。

 こうして、奴隷狩りの白人に捕まった少女は檻に入れられ、ボストンで売り飛ばされる運命かと思いきや……。


「おい! 居ないぞ?!」小太りメルが叫んだ。

「え? そんなはずは……。ホントだ!」後から来たヒョロガリサムが目を丸くした。

 ボストンに到着して、幌馬車を港近くに止め、二人が酒場へちょっと飲みに行っている間に逃げられたのだ。

「とにかく、まだ遠くに行ってないはずだ! 手分けして探すぞ!」

「分かった!」

 実は、ボストンに到着する間際から少女は感じていたのだ。奪われた銀の水がすぐ近くに迫っていることを。そんなわけで、少女は幌馬車が止まった途端に抜け出して、銀の水を持つ人物の元へと急いだのだ。そして、少女は港の近くで彼を見つけた。哲学者の水銀を持ってアメリカに来た青年――イーデン・ウッドハウスを……。

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