第5話 コットン・マザー

「怪物なみにデカいだろ?」ブランケンハイムが言った。「各地の劇場や見世物小屋で興行をするために新大陸に持っていくのさ」

 ブランケンハイムの船室で床に座り込み、二人は話を聞いていた。彼に見つかり、というか彼がやって来たことで助かった訳だが、二人の侵入者に対してそれ程怒っているという訳でもなく、イーデンの謝罪――シャーロットを無理やり誘ったのは自分だというウソ――も軽く受け流し、椅子が無いので床に座るようにと言われたのだ。

「なんで、ずっと船倉に閉じ込めておくんですか?」イーデンは質問を投げかけた。

「こいつは、デカいからね。上の客室まで昇り降りしたら船が傾く。だから、この広い船倉で過ごしてもらってるのさ。快適に過ごしてるよなゴリアテ?」

「ンダ」

「あ、言葉分かるんだ」大人しくしていたシャーロットが思わず口を開いた。

「エイゴニガテ」

 不気味な顔をクシャクシャにしながら答える巨人に親しみを覚えたのかシャーロットは立ち上がって彼のそばに近付いていった。

「名前は何て言うの?」

「おいらゴリアテ、オメェはナマエなんダ?」

「シャーロットよ。さっきはごめんなさいね。脅かしちゃって」

 シャーロットは、しゃがみ込んでいるゴリアテの二の腕に手を置いた。

「オメェ、コワくネェの?」

「どんな人か分かったら怖くなんて無いわ。ゴリアテさん」

 彼女に微笑みかけられ、ゴリアテは頭を掻きむしった。近くで見ていたイーデンは、彼女の物怖じしない大胆さやそれまで散々見せられてきた向こう見ずさに、若干、引いていた。


「ありがとうイーデン。上手く取り繕ってくれて」

 ブランケンハイム氏の部屋を後にして、シャーロットが言ってきた。

「君に命令されて侵入したとバレたら、男として立つ瀬無いからね」

「この借りは、いつか返すから!」

 そうは言ったものの、それからの船旅でふたりが話す機会は訪れなかった。ブランケンハイムが何か告げ口をしたわけでもなく、最大限の発見をしたことで彼女の冒険熱が冷めたのかもしれないなとイーデンは考えていた。それから約一ケ月後、船はマサチューセッツ植民地のボストン港へと入港した。船を降りる際、すれ違いざまにシャーロットが手紙を渡してきた。そこには、開拓団の予定と行き先が記されていて、最後に、いつか訪れるときがあったら歓待するわと書いてあった。

 イーデンの行程からは少しずれていたが、狭い船の中ではないのなら、今度こそ彼女をモノにするチャンスはあるんじゃないかと、ほのかな希望を持つに至った。


 降り立ったボストンの街は思っていた以上に田舎だった。港の周辺には煉瓦造りの3階建てや大きな倉庫が立っていたが、通りをちょっと奥に入れば、粗末な木造バラックが並ぶしけた雰囲気の街並みが広がっていた。港のあるショーマット半島を北に進み、突端の丘の前に最初の目的地である第二教会があった。

 第二教会の牧師は、マサチューセッツ植民地の有力者コットン・マザーが勤めていた。彼は根っからのピューリタンであり数百冊の宗教的書籍を書いてる大作家としてアメリカ植民地では広く知られている人物だ。しかも、それだけに止まらず、トウモロコシの交配実験や前年に近親者に投与して物議を醸した天然痘の種痘など、科学者としての功績も数多く残していた多才の人なのだ。未だ王立協会会員には認められていなかったが、英国領アメリカ植民地に於いては、王立協会と一番の繋がりのある人物なのだ。

 港から歩いて30分ほどで煉瓦造りの教会にたどり着いたイーデンは、ニュートンから預かった王立協会の封蝋が押された手紙を入り口付近で掃除をしていた牧師の一人に見せた。

「ロンドンより王立協会の使者として参りました。イーデン・ウッドハウスです。コットン・マザー師に会見をお願いしたいんですが」

「わざわざ遠いところからご足労を。どうぞ、中に入りお待ちください」

 マトモな身なりと新調した鬘――船の中では付けていなかった。――が功を奏したのか、丁重な扱いを受けて応接間に案内された。

「これはこれは! ようこそお越しくれた」

 黒い牧師服を着た老人が、部屋に入ってくるなり許されれば抱きつくんじゃないかというほどの勢いでイーデンの両手を握りしめてきた。

「コットン・マザー師ですね。私めは、王立協会会長アイザック・ニュートン卿より……」

「なんと! あのニュートン卿直々にお寄越しになられたという事は! ああ、ついに! 私の長年の研究が認められたということですな! アメリカ大陸初の王立協会員という名誉。このコットン・マザー喜んでお受けさせてもらう所存です。ありがとう。本当にありがとうございます!」

 マザーは今度は本当に抱きしめてきた。イーデンはというと、ああ、この爺さん完全に早とちりしてるよ。と思いながらも、余り傷つけないように訂正しなくては、今のところ頼りになるのはこの爺さんしかいないんだし、逆恨みされたりしたら大変だ。などと思考をかけ巡らせていた。

「あの……」イーデンは慎重にマザーから体を離した。「そのことに関しては、今回のご協力次第とニュートン卿は申しておりました」

「なん……だと?!」温厚そうな老人の顔が一瞬、怒気をはらんだ鬼の形相に変わった。しかし、すぐさま頬を引つらせながらも元の温厚な顔に戻った。

「ともかく、この手紙を」

 マザーは、封蝋を開けてニュートンからの手紙に目を通した。手紙を読み進めていくうちに彼の顔は白くなっていき、ワナワナと口元が震えだした。

「どこまで……、いったいどこまで君は知らされているのかね?」

「何のことですか?」

「手紙の内容だよ!」

「封蝋がされているとおり、何が書いているかは知りませんよ。僕は、ただジョージ・スターキーの足跡を辿るように申し付けられて来ただけで、ドーチェスターのストートン家をご紹介願いたいと訪問した次第でして。彼の義理の弟、ウィリアム・ストートンとは盟友とお聞きしましたが? 特にセイラムの件では……」

「わかったわかった! 皆まで言わんで良い」

 イーデンは老牧師の慌てようを不思議に眺めていた。手紙を渡したらこちらに従うだろうというニュートンから事前に聞かされていた予想通りに物事は進んでいるのだ。

 実際のところ、イーデンはすべてを教えられていたわけではなかった。何故コットン・マザーはこんなにも慌てふためくのかというと、アメリカの歴史に黒い影を落とす1692年のセイラム魔女裁判――スターキーの妻スザンナの実の兄弟であるウィリアム・ストートン判事、彼が何人もの罪のない人々を魔女と認定して死刑判決を下し、盟友コットン・マザーが彼を援護した――が深く関係している。そして、当事者たる二人しか知りえない真実がニュートンからの手紙には書いてあったのだ。

「ウィリアム・テイラー将軍」マザーが言った。「彼がウイリアム・ストートンの死後、ストートン家を相続している。ただし、将軍は今のところノバスコシアとのいざこざで出払っているかもしれん。確認が取れ次第、追って連絡するので、数日はお待ち願いたい」

「わかりました。よろしくお願いします」


 その後、イーデンは歓待されるわけでもなく、逗留先のホテルへ向かうため教会を後にして通りを港へと引き返した。ホテルがもう目の前に迫ってきた所でいきなり視界の外から何かがぶつかってきた。

 ――ドン!

「うわぁ!」

 いきなりぶつかられて、彼は無様に転倒してしまった。

「何?! なんだいったい?」

 仰向けに倒れたイーデンが起き上がろうとすると、彼の上に馬乗りになった人物の所為で身動きが取れない。どうやら、ぶつかってきた当人らしい。

「おい、退きたまえ君!」

「見つけました!」

 上に乗っかる人物が顔を上げて口を開いた。見てみると、ほんのり褐色がかった東洋人風の顔、子どもっぽい緑色の大きな瞳、三つ編みで後ろに束ねられた漆黒の髪、粗末な蔦か何かを編んだ服。どうやら、インディアンの少女らしかった。

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