第4話 船旅

 ニュートンとの邂逅から2週間後、イーデン・ウッドハウスは郵便船でマサチューセッツ湾植民地ボストンへ向けて旅立った。

 1722年当時、アメリカ大陸への定期便は就航していなかった。大規模な移民団以外は専用の船を用意する事など出来なかった。なので、貨物船や郵便船もしくは軍艦などに便乗して大西洋を渡るのが一般的だった。

 彼を運ぶ全長30メートル級の郵便船には、他に12人程旅客が乗り込んでいた。新天地を目指す若夫婦や留学から帰るアメリカ生まれの紳士、植民地政府に呼ばれた鉱山技師たち、片方の目に眼帯を付けたどう見に手も堅気に思えない商人などなど。その中でも、船に乗り込んだ時から彼の目を釘付けにした娘がいた。シャーロット・バーチというその娘。齢はイーデンと同じくらい。整った輪郭に透き通る白い肌、サファイアブルーの目、豊かに実った麦の穂のようなブロンド髪と魅力を表せば枚挙にいとまがない。デザグリエの講座で数多くの貴族令嬢などを目にしてきていたが、彼女ほど魅力的な女性は今まで出会ったことが無かった。

 それほどまでに惹かれていたものの、食事時に挨拶する程度で中々お近づきには成れなかった。何故かといえば、シャーロットは父親と二人連れ、必ずいつも彼女の厳格そうな父が悪い虫が付かないようにと周囲に目を光らせていたのだ。


 しかし、船旅も2週間目に差し掛かったある日、機会が訪れた。

 それは、船員たちとブラグ(トランプ賭博の一種)をしていた時の事だ。その頃のイーデンは退屈を紛らわせる手段として次第に船員たちの休憩所へ入り浸るようになっていた。テーブルを囲むのは6人。イーデンの他は休憩中の船員や鉱山技師たちだ。

「ベット」イーデンはチップをテーブルに置いた。

「良いのか? イーデン。今日はツキに見放されてるだろ?」

 向かい側に座る鉱山技師のマイケルがワザとらしく心配そうな顔をして見せた。

「へっ!」イーデンは言い返す。「ようやくツキが回って来たんだよ。降りるんなら今の内だぞモグラの旦那!」

「レイズ」マイケルが2倍の掛け金を置いた。「さぁどうする?」

 イーデン以外はこの時点で降りた。

「ベット」イーデンはチップを置いて手札を表にした。「スペードのフラッシュ」

 手札は、スペードの2と4と9。

「へへっ、ご愁傷様」マイケルが見せた手札は、ハートの4、スペードの5、ダイヤの6のラン。

「クソッ」

 ブラグでは、ポーカーのストレートにあたるランの方がフラッシュより役のランクは上なのだ。

「今日は、すっかりボウズだなイーデン」ディーラー役のこの中では年長の船員が言った。

「はぁ、ツイてないぜ」机に突っ伏すイーデン。「こんな時は、シャーロットに慰めてもらいたいぜ」

「積み荷にそんな名前のメス山羊は載ってないぜイーデン」ご機嫌なマイケルがはやし立てた。

「お前らと一緒にすんな! ロンドンじゃ沢山のレディーたちから拍手喝采受けてたんだぞ」

「無理すんなイーデン。あのお嬢ちゃんは諦めるのが身のためだと思うぞ」と、ディーラー役。

「そんなことない。シャーロットは、目が合うと微笑みかけてくれるし。きっと僕に気があるに決まってる!」

 ――ギギー。

 扉が開き、扉を背にしていたイーデン以外の男たちは急に静かになった。

「まぁ、そのくらいにしといた方が……」ディーラー役の男が声を潜めて言った。

「なんだよ? 急に静かになりやがって! あっちの方が僕に夢中なんだよ! だから、あのクソ厳めしい親父が居ない時に話しかければ、一発だ!」

「何が、一発なのかしら?」

 船員のたまり場には似つかわしくない澄んだ声が言った。イーデンは、びっくりして思いっきり後ろに振り返った。

「シャーロット!」

 蝋燭の薄明かりでも、戸口に現れた真っ白でふんわりとしたスカートを見間違えようが無かった。しとやかな笑みをたたえていた彼女の顔がイーデンの視線を見て取ると、すぐさま真顔に戻り、くるっと体をひるがえした。

「待ってくれ、誤解なんだシャーロット!」

 イーデンは部屋を飛び出して彼女の後を追った。しかし、廊下に出た途端、腕組みした彼女が待ち構えていた。

「うわっ!」

 不意を突かれたイーデンは、後ろにバランスが崩れ尻もちをついてしまう。

「それで……」シャーロットは彼を見下ろしながら言った。「なんで、私があなたに夢中という話になってるの?」

「そ、それは……」

 父親に付き添う清楚な少女と思っていたシャーロットが、まるで女王陛下にでもなったかのような尊大な態度で見下ろしている。

が、私に夢中なんでしょ?」

 その言葉の後に彼女見せる天使の笑顔。廊下の薄暗がりの中でも、イーデンには後光が射しているかのように見えていた。

「イエス……」

 彼はまるで悪魔に魅入られたように、思わず素直な気持ちが口から洩れてしまう。しかし、彼女の方はその答えでは満足してないようで、すぐさま苛立たしげな顔に戻った。

「はいそうですマイレディーじゃないの?」

「え?」

「はいそうですマイレディー」

「はい……、そうですマイレディー」

 イーデンは催眠術にかかったかのように、従うしかなかった。

「よろしい」彼女はまた笑みを浮かべた。「どこぞの片田舎から出てきた坊やには、私のような可愛い子を見たらのぼせ上がっちゃうのも無理ないわよね。あなたは蠅よ」

「ヒドイ……」

「今までも、馬糞にたかる蠅みたいな連中は五万といたもん」

「それじゃ、君が馬糞ってことに……」

「ぎゃっ!」

 彼女の容赦ない蹴りが太ももに襲い掛かった。

「それより、あなた船倉のこと分かる?」

「痛ててて……、そりゃ、分かるけど」

 その前に、いきなり蹴ることは無いんじゃないの? とは言えないイーデン。

「じゃあ、失礼を働いたお詫びとして案内しなさい。船員さん」

「僕は船員じゃないよ。服装を見れば分かるだろ?」

「ふふっ。冗談よ」シャーロットはいきなりイーデンの手をつかんで引っ張り起こすと、「さぁ、行きましょう」と言うなり彼を引っ張って走り出した。

「あの、お嬢様」

 憧れの女の子に手を握られている事のドキドキ感と、彼女の傍若無人さとのギャップでイーデンの頭は混乱していた。

「シャーロットで良いわよ」

「どうして、船倉なんか見たいんだい?」

「だってさ、退屈じゃない? 何週間も海ばかり見ていたら飽き飽きしてくる。それで……」

「それで?」

「ウワサを小耳に挟んだんだけど、どうやら、この船。怪物を運んでいるんですって!」

「カイブツ……」

 イーデンは、見当がついていた。船倉のひとつに、船員ですら出入りを禁止されている部屋があった。その部屋は、あの怪しいブランケンハイムだかいう眼帯を付けた商人が契約していた。船員たちはきっとヤバいモノでも中に有るんだろうと、色々予想する与太話に花を咲かせていた。それが尾ひれがついて乗客にも伝わったのだろう。

「あら?」シャーロットは立ちどまり手を離した。「怖いのイーデン?」

「そうじゃないよ。ただ、あそこはブランケンハイム氏の部屋だから、彼に直接聞いてみたらどうかなって」

「聞いて素直に答えてくれると思う?」

「そりゃまぁ、答えないかも」

「はいそうですかって教えてくれるわけないに決まってる。商人だとか言ってるけど、ぜんぜんそれっぽくないし。あのガリガリのきっしょく悪い顔でヒヒヒッとか笑うんだもん。あんな気味悪い人と商売したい人なんていないと思う。どちらかと言うと海賊と言った方がしっくりくるくらいよ。だって、眼帯付けてるし。だから、大人たちが食堂でお酒を飲んでる時間に見に行くんじゃないの」

「なるほど……」

 早口でまくし立てるシャーロットに圧倒され、ただ従うしかなかった。それに、イーデン自身もなんだか楽しくなってきていたのだ。

 案内しなさいという彼女の言うままに、船倉の奥へと歩みを進めた。

「さぁ、ここがその部屋だよ」

 船倉の奥に急ごしらえの板張りがなされ、その一角に扉がついていた。鍵は付いていないので、扉を押せばすぐに開く。

「ちょっと、待ちなさい!」

 シャーロットが、カンテラを持っていない方の腕にしがみついてきた。日の光の下であったら、真っ赤にした顔をみられたであろうイーデンだったが、予想と違う押しつけられたコルセットの堅い感触で冷静さを取り戻した。

「離れないように、しっかり摑まって」

 直ぐ近くにある彼女の顔は、期待と恐れが入れ交じり引きつり気味だけど、なんとも愛おしいものを感じずにはいられない。

 二人は扉を開けて中にゆっくりと中へと入っていった。部屋はイーデンの寝泊まりしている客室より10倍は広い。しかし、ガランとしていてモノが無く、ベッドや机も普通の客室と比べて粗末なモノだった。奥の方にある小さな窓から、月明かりがさしこんでいた。

「なんだ」シャーロットが腕を放した。「つまんないの」

「ちょっと、シャーロット!」

 シャーロットは彼を置いて部屋の奥へと歩いていった。イーデンの方は、無断侵入したことがバレるんじゃないかと、扉の近くで外の様子を気にしていた。

「はぁ、まだ一ケ月も掛かるんでしょ。退屈でやんなっちゃう」

「僕みたいに船員たちとトランプするのはどうだい?」

「私が居たら、猥談に花を咲かせられないでしょ」

「な、な、なんで知ってるのさ?!」

「暇つぶしに、戸口の裏で聞いてたこともあったけど、男の人って、良く飽きずにあの女はどうだとか……、あら?」

 シャーロットは寄りかかった壁に変な弾力があることに気付いた。

「どうしたのさ、シャーロット?」

「なんか、この壁、ブヨブヨしてるんだけど」

 彼女は、壁に向き直り、両手で押し出した。

 ――グフッ、グフフッ。

「何変な声だしてるのよイーデン?」

「え? 君じゃないの? そっちから聞こえて来たけど」

 その時、大きな床の軋みと共に壁が動いた。そして、窓からの月明かりが遮られた。イーデンは急いでシャーロットの元へ駆け寄りカンテラを上に向けた。そこには人の2倍の大きさがあるんじゃないかというハゲ頭の巨人が天井に頭を擦りつけながら立っていた。

「キャー!!!」

 怪物を目の当たりにしたシャーロットは叫び声を上げた。

「ヴァー!!!」

「ギャー!!!」

 巨人が叫び、驚いたイーデンは叫びながら腰を抜かした。彫りの深い双眸は不気味に光り、大きく開かれた口の中から3本だけになった前歯が見えた。巨人は上半身裸で灰色がかった筋肉が分厚く骨格を覆っているのが分かる。そのまま巨人が二人に手を伸ばし、体を鷲掴みにされた。もはやこのまま喰われるかに思われた瞬間。

「うるさいぞ!」男の怒鳴り声が後から響いた。

 すると、二人を掴んでいた巨人の手が離され、床に投げ出された。

「勝手に入られては困るんだがね」

 眼帯の男が床に大の字になっていたイーデンの顔を真上から覗き込んだ。

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