一字の錯節

 まずいな、と入鹿いるかは思った。宝王女たからノみこの肩越しに、薬師如来やくしにょらい像の光背こうはいに刻まれた銘文を見る。そこには、橘王たちばなノおおきみ発願ほつがんによって法隆寺ほうりゅうじとこの薬師やくし像が造られた次第が記されている。橘王たちばなノおおきみ池辺宮いけノえノみや居処きょしょとしたので、別に池辺之王いけノえノおおきみといった呼び方をすることはある。しかしこの銘文の字は、宝王女たからノみこかんさわる所があるに違いない。

 読めば、こうある。

池辺大宮之いけノえノおおみやノほし丙午ひのえうまやどりし年、玉身おおみみ臥病みやまいしたまいし時、今のきみ太子みこを召したまい、発願ほつがんしてみことのりしてのたまわく、やまいたいらかに癒ゆることをほりす、かれ仏舎てら薬師やくしみかたを造りたてまつらん、と。されど当時そのかみ崩御かむあがりたまいて、ついに作ることを得ず。ほし丁卯ひのとうやどる年に至りて、今小治田大宮之おはりだノおおみやノ東宮聖王かむツみやノみこと、勅命おおみこと承受うけたまわりたまい、ようやくこれ造りたてまつるなり」

 宝王女たからノみこは、いかりを目に表さない。しかして腹に収めもしない。

「はて、これなるは、何時いつにか刻み付けたるや」

 宝王女たからノみこは問う。前は無かったのではないか、とうのである。山背大兄王子やましろノおおえノみこは、声をひくくして答える。

「このごろ勧める人ありて、蔵をからにして刻みきものにてあります」

 だとすると、おかしいことがある。この銘文では、小墾田天皇おはりだノてんのうを指してとしているので、内容はもっと古いものでなければならない。舂米王女つきしねノみこが付け加えて言う。声は抑えている。

「かつて父上が記したまいしふみを、失われぬようにと、今にありて刻み付けたるものにてあります」

 宝王女たからノみこはなお、

「さて」

 と冷たい声を吐いて、光背こうはいの銘文を見詰める。舂米王女つきしねノみこはさらに付け加える。

「このふみのことは、小墾田天皇おはりだノてんのうの在りし日に、知りおきたまわる所」

 もう眉を闇には隠さず、憎い相手をキッとにらむ。この小女子こむすめえある斑鳩宮いかるがノみやを暗い場所にしたのだという怨みがある。

 宝王女たからノみこは、めた様子で言う。

「さにもあろうが、これはその昔のふみのままに刻みたるや」

 何が気に入らないのかは、明らかである。宝王女たからノみこは、始めて天王てんのうという称号を用いた炊屋姫尊かしきやひめノみことにこそ限って、追尊ついそんして天皇てんのうという諡号しごうを与えたのであった。天王てんのうとは、天上界に在って仏法を守護する神であり、また人間界に在ってそれに準じる王者を指すのである。橘王たちばなノおおきみは、死の怖れに迫られて、ようやく仏を頼っただけであった。天と書くのはおろか、天とするのさえ相応ふさわしくない。が如何にこの国を発展させたかを思え。せいぜいとでもしておくが良い、というのだ。

 舂米王女つきしねノみこは、反駁はんばくする。仏教には追善ついぜんということがあり、父祖に追尊ついそんすることは異国にもある。公であった者に王号を与え、王であった者に帝号を贈るたぐいである。橘王たちばなノおおきみもわがくにの先君の一人であり、死の間際のこととはいえ仏を信じる心を起こしたもうた。炊屋姫尊かしきやひめノみことと並び天乃至ないしと呼ばれても良いではないか。

 実の所、宝王女たからノみこは一つの結論をあらかじめ持っているのだ。それは入鹿いるかにはわかっている。舂米王女つきしねノみこさとっている。

「さようなあとには当たるまいな」

 と宝王女たからノみこは、舂米王女つきしねノみこの主張を一蹴いっしゅうする。権力はわが手に握っている。それだけが真実なのだ。地上の全ては、権力に従属するのみである。

みほとけにはかたじけなきことながら、この薬師やくしみかたには、さがなき所がある。かれ下げよ」

 宝王女たからノみこの命令が、入鹿いるかに降り掛かる。はたと困る。公的には宝王女たからノみこに仕える身ではある。君命に従わざらんとはよほどの事である。今は背くべくもない。そうだとて、山背大兄やましろノおおえには私的だとしても好誼こうぎがある。ここをやりすごすだけのこととしても、従兄いとことの親愛の情からは離れがたいのだ。

 ちらと、大兄おおえの顔をあおぐ。山背やましろの方では、ずっと前から入鹿いるかていたらしい。

おおせごとのままにせよ。いささかも荒立てることまな

 山背大兄やましろノおおえは穏やかな顔をして、目はそう語っているようだ。ならば入鹿いるかにはどうにも出来ない。法隆寺ほうりゅうじ薬師如来やくしにょらい像は、吉備姫王女きびツひめノみこみささぎからは取り除かれて、山背大兄やましろノおおえ斑鳩宮いかるがノみやの一族も、葬喪そうそうの礼が行われるのを、遠く離れて見守ることとなった。


 葬喪そうそうの礼は九月三十日におわり、冬十月となった。

 十月に入ると、蝦夷えみしやまいを称して、朝廷に出なかったので、入鹿いるか豊浦とゆらの屋敷を見舞う。六日のことである。かどまで来ると、叔父おじ倉麻呂くらまろが帰るのにう。挨拶あいさつをして別れたが、どこかおかしいなと思う。

 それはそれとして、中に入ると、父はとこに寝もせず、つねと変わらぬ容子である。やまいを称するとは、理由を言わずに休む時の常套句じょうとうくであることくらい、この入鹿いるかも知っている。そうなのであろう。

 大臣おおおみくらいを象徴する紫冠むらさきノこうぶりが、敷物の上に置いてある。父は、それを取れ、と言ってこう続ける

「わしはやまいにてある。次のなんじゆだねなんと思う」

 この父もさすがに老いて気が弱り、あとのことを決めようというのであろうか。それを被ってみよ、と命じる。

「その紫冠むらさきノこうぶりまことなんじのものとならんかは、次のあやまたずにやりおおせるかによるぞ」

 とう。

 この紫冠むらさきノこうぶりというのは、小墾田天皇おはりだノてんのうの治世第十一年に制定された十二階の冠位の、第一である大徳だいとくこうぶりよりも、さらに上に位置するのである。これがもうすぐこの入鹿いるかのものとなるのであろうか。その重みを頭で感じつつ、それよりも胸をギクとさせるのは、次のという一言である。それが何であるかは、父はまだ言わない。だがこう続ける。

「わしは昔から、国に乱れあらざるやということをば、何よりもおもみして今にある。なんじも先とすべきことをこそ誤りあるな」

 入鹿いるかからは、挨拶あいさつと返辞をするより他には、口を開くべくもなかった。紫冠むらさきノこうぶりを父に返して、帰りみちを行く足は、いつになく重く感じられる。次のとはどんなことであるか、それは察しが付くのである。それはすぐに知れる。

 十月十一日、宝王女たからノみこ山背大兄王子やましろノおおえノみこの従者、三輪文屋君みわノふみやノきみ飛鳥板蓋宮あすかノいたぶきノみやに呼び出して、

さきの月にり行える吉備嶋太母尊きびノしまノおおみおやノみこと葬礼みはぶりにて、斑鳩寺いかるがでら金堂こんどう薬師瑠璃光仏やくしるりこうぶつみかたの、光背こうはいに刻まれけるふみには、小墾田天皇おはりだノてんのうみよそしる所があるを見た。

 さればさかしき山背大兄命やましろノおおえノみこといては、かのふみを削りて誤れる所を正されることにてあらんと思う。さもあらずば、うたぐる人ありて、大兄命おおえノみことには国に乱すこころありとか言わんかと恐れる。

 かれ今より一月ひとつきを限りとして、必ず正されんことを望ましく思う」

 と申し伝えたのであった。

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