死を想う夕辺

 昔この国では、葬喪そうそうの礼では墳墓ふんぼの上に、埴輪はにわと呼ぶ土細工つちざいくを並べる習わしがあった。今は、仏教美術の精妙さを見慣れた眼によって、埴輪はにわなどいうものは、古臭く劣ったものと看做みなされて、避けられるようになった。

 宝王女たからノみこはその代わりに、王子みこたちやおみむらじともみやつこどもに、各々おのおの発願ほつがんによって建てた寺から、金銅こんどうの仏像を運び出させて、墳丘ふんきゅうならべることを発案した。その仏像も箱詰めされたままで、仮屋かりやひさししたに、雨宿りをしている。

 雨はみそうになって、なおまた叩き付ける。

 入鹿いるかは、古人大兄王子ふるひとノおおえノみこに声を掛けた。

「多く言うことまな

 古人ふるひとはそう言って、入鹿いるかの励ましを拒む。声にも疲れが感じられる。顔には笠が影を落とす。眼はらしている。のどれ声で続ける。

われかくは、鼠は穴にかくれて生き、穴を失わずせば足れりとすと。おのれまたそれにて足れりとせばやと思う。なんじも身こそしめよ。危うきに近付くな」

 それだけのことを言うと、入鹿いるかから離れて行く。その背を見送る。どうしたことであろう。雨は降っている。笠は絶えず、天から叩かれる。

おん疲れ召されたるのみにてあらなん)

 そう思いたい。この葬喪そうそうの礼が過ぎて、いささかお休みになれば、また前向きな思いを取り直されるに違いあるまい。しばらく古人大兄ふるひとノおおえのことはこう。さあ山背大兄王子やましろノおおえノみこは、何処いずこにおわすか。その姿を探す。

 山背大兄やましろノおおえは、王位のことを辞退してから、日々の暮らしにも世を避け、斑鳩宮いかるがノみやを訪れる客も少なくなっていた。それが近頃は、大兄おおえ去就きょしゅううかがい知ろうとする目が、ひそかながらにもそそがれている。もしもという事が今にもありそうだと、誰しもが感じているのだ。今この場にあっても、恭々うやうやしく挨拶あいさつをしつつ意向を探ろうとしたり、それとなく様子を観察するらしい気配がある。

 そこへ、入鹿いるか山背大兄やましろノおおえを見付けて、しずかに近付こうとすると、

「あ、入鹿いるかや。久しく会わぬことにてあるかな」

 その姿に気付いて、先に言葉をかける。入鹿いるかにはその顔色は、長らく乾いていた灯心とうしんが、ようやく油を吸って、ぽっとあかく火をともしたかのように感じられる。幼い頃から同母弟いろどであるかのように接してくれた、この従兄いとこが好きなのであった。この人が好きだ、と今も思う。

「やあ、何をかそなわしたまうや」

 入鹿いるかは問い返す。

 山背大兄やましろノおおえは、世俗のことなどはさておき、仏像を詰めた箱が雨宿りをしに、仮舎かりやしたに運び込まれるのを、遠目にながめていたのであった。

「さて、あのように数のみぞ、何と増えたるらん、とな」

 大兄おおえは言う。仏像や寺院の数ばかりが多くなった。その一方で、仏の心を知る者は少ない。埋葬の法なども、いまだに古朴こぼくなまま、大きくは変わっていない。仏教は火葬ということを勧めるのに、この国の人々は、耳に入れるだけで済ませて、そうしようとはしていない。

 雨はまだまず、空は雲に覆われて暗い。

「そこでわれのみに」

 大兄おおえは言い掛けて、やや言いよどむ。

われにありては、いずれこの命を終える時にのぞめば」

 声を低くして続ける。

あとのことを人任せにはすまい。今生こんじょうを去るより前に、自ら身をかばやと思いつある」

 あっ、と突然に、心臓が抜けて落ちそうになる入鹿いるかである。あ、何を、何をかおおせになるや、と言おうとして、喉が鳴らない。

 気付けば落ちる水を感じず、雨が土を叩く音も消えている。黒い雲は東へ向かいつつあり、西の空は茜色を示している。儀式は進められていない。

 ようやく、仏像が箱をかれて、墳丘ふんきゅうの上へと運ばれて行く。夜の闇が迫って、篝火かがりびが焚かれて、そのあかい輝きが照らして、如来にょらい菩薩ぼさち金銅こんどうの肌が返す光は、欲望を煽るように、教えに反しても照り揺らめく。その光の中を、宝王女たからノみこが行く。仏像はぐるりとならべられている。宝王女たからノみこが、仏像をけみするというので、それぞれの仏像の施主せしゅである臣連おみむらじどもも、その光の揺らめきの中に身を置く。山背大兄やましろノおおえと、そのきさきである舂米王女つきしねノみこも、斑鳩いかるが法隆寺ほうりゅうじから運ばせた、薬師如来やくしにょらい像の横に控える。

 薬師如来やくしにょらいというのは、大医王仏だいいおうぶつとも呼ばれて、衆生しゅじょうを病苦から救う仏とされる。釈迦しゃか無勝世界むしょうせかいが西方にるのに対して、薬師やくし浄瑠璃世界じょうるりせかいは東方にるとわれる。

 宝王女たからノみこは、しょくを手にって、一つ一つの仏像をあらためてまわる。入鹿いるかも役目なので、それに従って行く。ぐるりと巡って、最後に山背大兄やましろノおおえが待つ所に来る。

 法隆寺ほうりゅうじと、その薬師如来やくしにょらい像は、かつて橘王たちばなノおおきみが死のやまいした時、平癒へいゆを願って造立ぞうりゅう発願ほつがんしたとされている。実際の創建は、小墾田天皇おはりだノてんのうの治世第十五年までくだり、上宮太子かむツみやノみこがその建立こんりゅうたずさわったものである。寺も像も仏教興隆初期の傑作であり、今日こんにちでも第一のものだという誇りが、山背大兄やましろノおおえ上宮太子かむツみやノみこ縁者えんじゃにはある。

祖父尊おおじノみこと発願ほつがんかか薬師瑠璃光仏やくしるりこうぶつみかたにて、御母尊おんみおやノみことみもに仕えまつる」

 山背大兄やましろノおおえは、一つ下の世代になる宝王女たからノみこに対しても、忘れず謙譲けんじょうの態度を示す。宝王女たからノみこは、薬師仏やくしぶつ灯火ともしびを当てて、その出来栄できばえを余さず看るように、上へ下へ、そして後ろへと回る。

 仏像の後ろには、光背こうはいというものが付いている。この薬師仏やくしぶつ光背こうはいには、その縁起えんぎを刻み付けてあった。こうある。

「池辺大宮之天皇、歳次丙午年、玉身臥病之時、召今上与太子、誓願詔曰、欲疾平癒、故将奉造仏舎薬師像、然当時崩御、遂不得作、至歳次丁卯年、今小治田大宮之天皇及東宮聖王、承受勅命、乃奉造焉」

 宝王女たからノみこがその文字を読み取るのを、舂米王女つきしねノみこは苦々しくにらみながら、その眉は暗がりにまだ隠している。

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