古人の多忙

 海外から聞こえる、不穏な情勢にも関わらず、倭国やまとノくには平穏であるように見える。ようよう暖かになり、野山には彩りが鮮やかになりゆき、家々には煮炊きの煙が立って、たみどもはくわすきの手入れをする。いつものような春の移ろいがある。

 入鹿いるかには、このたいらかさが、今は不気味である。

 飛鳥板蓋宮あすかノいたぶきノみやの造営は、春三月の末から夏四月の頭頃には、おおよその作事さくじおわりそうな見通しになっている。そうすると、古人大兄王子ふるひとノおおえノみこの手はくはずだし、先のことについて話し合う機会も持てるであろう。

(いささか待つべき時にてあらん)

 そうは思いながら、ただ待つだけでは居ないつもりでもある。

 入鹿いるかは去る年の十二月の事があってから、世の噂がひどく気にかかるようになった。もっと精確に言えば、噂にうとい自分が気に病まれるのである。世の中で何がどうささやかれているのか、誰がどういった評判で通っているのか、知っておかねばならないと思う。

 その為に頼りとする交友は、あの軽薄な巨勢徳太臣こせノとこだノおみである。入鹿いるかは林の屋敷に酒と肴を設けて、度々たびたび徳太とこだを招く。徳太とこだは色々な話を持って来る。下らないことも多い。詰まらないことを聞いてしまった後で、入鹿いるかはいたく興味を感じていたことに気付く。自分でもどうかしていると思うのに、徳太とこだがまた口を開けば、また下らないことに耳をかれてしまう。

(酒のせいなるや)

 と疑う。それはそれとして、時には内裏だいりから漏れ伝わったとかで、入鹿いるかも知らないような、王室の事情を聞かせることもある。

 る時に、徳太とこだは、

牝鶏めんどりあさを告げれば家がほころぶ」

 という句が書物にありけるが、と切り出して、中大兄王子なかノおおえノみこ法興寺ほうこうじ蟄居すごもりおおせ付けられたのは、それがもとにてあるなり、と話す。思わず、

「どうしたことにかあるや」

 と聞き返す。これこそまことに耳を寄せるべきことではなかろうかと思われる。

 徳太とこだが話す。中大兄王子なかノおおえノみこは、経典きょうてんの文句をあれこれと挙げて、女王が立つのは国を滅ぼすことであるとか、宝王女たからノみこに対して長々と説いたとか。宝王女たからノみこは怒ったであろう。しかしいかりをあらわにはしなかったであろう。そういう人である。宝王女たからノみこはこう言ったという。

おのれいきおいなくして責めを受けるのはやむをえぬが、この小治田宮おはりだノみやにおわした炊屋姫天皇かしきやひめノてんのうそしることはゆるされぬ」

 それから急ぎで馬をり、僧旻そうみんを召して、王子みこの物の言い方について問うた。僧旻そうみんは、額の汗を土に吸わせながら答えた。

「国ごとにその国のふうかな政治まつりごとがあること、古典いにしえノのりに見えてあります。いかでかわがくにに女帝がおわして悪きことなどあらんや。それ王子みこにおさとりあらぬは、ただ身どもに至らぬ所ありて、学ぶに成り足らぬ所ある故にて、何卒しばしおゆるたまわりませ」

 そこで宝王女たからノみこは、

「されば葛城王子かづらきノみこには、学問の成るまでは宮の内に足を入れさすことまな飛鳥寺あすかでら蟄居すごもりして物習うことにのみ努めさせよ」

 と命じたのだと云う。

 この噂は、本当であろうか。本当らしいと思われる。この入鹿いるかも数年来、法興寺ほうこうじ中大兄王子なかノおおえノみこを見ている。幼い時分から学問をさせられて、書物を読み付けているので、儒者流じゅしゃりゅうかぶれるのも無理はない。それであの母親に反抗するくらいである。儒学じゅがく杓子定規しゃくしじょうぎけて、長幼の順序を重んじもするなら、兄である古人大兄王子ふるひとノおおえノみここそきみたるに相応ふさわしいとも言い出すかも知れない。あるいはそう言わせることが出来そうにも思われる。

 さて中大兄王子なかノおおえノみこは、法興寺ほうこうじに謹慎させられている。入鹿いるかも時に法興寺ほうこうじへ、僧旻そうみん請安しょうあんに教えをいに行く。そうした機会に、どうにか王子みこの考えでも探ろうかとしてみると、そこに気に入らないことがある。

 あの中臣連なかとみノむらじ鎌子かまこである。

 中大兄なかノおおえの姿を見れば、必ず鎌子かまこが付いている。胡麻擂ごますりでもしているのか、王子みこも気を許しているらしい。

中臣連なかとみノむらじなどいう身分きわで――)

 そう思ってみても、寺の中ではいかりをおもてに出すわけにいかない。こんな奴と同席したくなければ、中大兄なかノおおえにも近付いていられない。まあ何か事が有る時には、一番にこいつを斬ってやろうと、心に決めておくのみである。

 夏四月二十八日になり、宝王女たからノみこ小治田宮おはりだノみやから、飛鳥板蓋宮あすかノいたぶきノみやうつった。古人大兄王子ふるひとノおおえノみこは、宮を造るつかさという務めから解放された。入鹿いるか古人ふるひとと会いたかった。その連絡つなぎが付かない内に、宝王女たからノみこの母、吉備姫王女きびツひめノみこやまいがあった。

 吉備姫王女きびツひめノみこは、この前後から体調が優れず、寝込むことが多くなって、薬師くすしうことには、先が長くはおわさず、ということであった。そこで宝王女たからノみこは、昼はみずかとこの側に付いて看病をする。夜は代わって番をせよと命じられたのは、古人大兄ふるひとノおおえなのであった。

 入鹿いるかは、機会をつかそこねた。

 それを除くと、五月から八月頃までは、大した事は無く過ぎた。月に欠けることがあったとか、どこかの池の水が腐って虫が湧いたとか、そんなことばかりが人々の口にのぼった。王位のことなどは、少なくとも表向きの話題にはならなかった。

 秋九月六日、紅葉もみじが乾いた音を立てて、崗本天王おかもとノてんのうひつぎは、仮に納められていた滑谷岡なめはざまノおかから、押坂陵おしさかノみささぎへと運ばれて行く。このみささぎは、天王てんのうの父である押坂彦人王子おしさかノひこひとノみこの墓であった。新たに塚を築くこともなく、葬喪そうそうの礼はもう済んでいるからとの理由で、改装はひっそりと行われるのみである。

 宝王女たからノみこには、亡き天王てんのうより、母の身が大事であった。

 吉備姫王女きびツひめノみこは、九月十一日、ながの眠りにいた。宝王女たからノみこは、母に吉備嶋太母尊きびノしまノおおみおやノみことおくりなし、はかはといえば、広庭王ひろにわノおおきみみささぎの近く、檀弓岡まゆみノおかと定めて、埋葬の日は十九日とすることを、ただちに決めた。

 その日は、あさがたから冷たい雨がしとど降り、時にはひょうにもなるという荒れた天気である。宝王女たからノみこは、日延べをするとは沙汰をしない。おみむらじ伴造ともノみやつこどもは、笠にあぶらを塗ってつどわねばならなくなる。誰にとっても、寒い一日になると思われる。

 檀弓岡まゆみノおかふもとで、入鹿いるかは久しく見なかった、古人大兄ふるひとノおおえの姿を、やっと目にした。笠を深く被っていて、表情は窺えない。それでも、どことなく疲れているらしく見える。無理もないことだ。一言でも励ましになればと、腰を屈めて小走りに近付く。

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