従兄弟たちの密会

 宝王女たからノみこにとって、崗本天王おかもとノてんのう急逝きゅうせいは、意外ではあっても痛手ではない。実権はその手に掌握しつつあった。にいしき百済宮くだらノみやにも、別に未練は無い。天王てんのうの為に建てさせたものだから、ほとんど無駄になったとはいえ、いずれ百済寺くだらでら施入せにゅうでもすれば良いことだ。今はそのまま、ここをもがりの宮とし、大殿おおどのの北にひつぎを安置させる。当面のことが済んで、来年の春正月になれば、崗本宮おかもとノみやへ戻ることに決めた。

 中大兄王子なかノおおえノみこは、十六歳になっている。急にひっそりとした大殿おおどのから出て、父のひつぎの前にひざまづき、その死をいたことばを述べるのを、宝王女たからノみこは聞いていない。

 おみむらじともみやつこどもにとっては、十三年ぶりに、王位継承について案じるべき時が来た。今その候補として挙げられるのは、宝王女たからノみこ同母弟いろどである軽王子かるノみこと、天王てんのう前妻うわなりの一子である古人大兄王子ふるひとノおおえノみこであろう。中大兄王子なかノおおえノみこはまだわかいとはいえ、宝王女たからノみこの後見を受けて王座にかされることはあるかも知れない。山背大兄王子やましろノおおえノみこも、まだ相続の権利を全く失ったとは言えない。世間ではそうしたことがひそひそと取り沙汰されている。

 入鹿いるかも、そのことを想っている。十三年前には、まだ弱冠はたちを過ぎた年頃であり、父の指図を受けることに甘んじていた。今は四十を前にした男盛りだ。自分の意志で動いて、王位継承に関わってみたいものだ。

 心では、やはり山背大兄やましろノおおえを推したいという気持ちがある。かつて親しくした従兄いとこである。しかしもう一度というのは、難しいのであろうか。古人大兄ふるひとノおおえは、蘇我そがはらに生まれたもう一人の王子みこで、やはりよく知った仲の従弟いとこである。もし古人ふるひとが立つとすれば、山背大兄やましろノおおえは支持するであろう。あるいはやはり、その逆ということも考えたくなる。

 いずれにせよ、ただちに決まるという状況でない限り、天王てんのう葬喪そうそうが終わるまでは、王位争奪の準備をする時間になるはずだ。それまでには、まだ数ヶ月間の猶予があるであろう。

 空位の間は、きさきが政治をるのが習いである。宝王女たからノみこが朝庭にのぞむのは、もう前からのことなので、臣連おみむらじどもとしてもやりやすい。必要なことは全て、滞りなく決裁されて、あたかも空位でないかの如き錯覚を起こさせる。

 宝王女たからノみこは、決めた通りに、崗本宮おかもとノみやに還った。

 入鹿いるかはこの春から、父の目もぬすんで、密かに時々会おうという約束を、山背大兄やましろノおおえとの間に交わした。大兄おおえが応じてくれたことは、大きいよろこびを感じさせる。脈があるのだ。場所は、百済里くだらノさとからそう離れていない、静かな林間に構えた別荘である。

 入鹿いるかは祖父の影響もあって、建物に趣向を凝らすのが好きであった。この別荘は、ぐるりと竹を植えて囲み、背の高い生け垣のようにしてある。中に居ると、清々すがすがしい竹林たけばやしいこうかのように感じられるという仕掛けである。それで世間では、これを林の屋敷と呼び、入鹿いるかのことは林大郎はやしノたいろう林臣はやしノおみなどと渾名あだなをする。

 山背大兄やましろノおおえは、人目に立たぬように、わずかのとものみ連れて、微行しのびで歩いて来る。時には古人大兄ふるひとノおおえも呼ぶ。三人は、互いに十年ずつほど歳は離れているとはいえ、仲の良い従兄弟いとこであった。それでも身分というものを抜きには出来ないのが世の定めで、入鹿いるかは二人の王子みこ上座かみざしょうじて、下座しもざに居て迎える。

 こういう場でも、王位継承の問題などは、あからさまには話せない。言葉は政治そのものである。口にするということは、それだけでも実践になる。もし迂闊うかつな一言が漏れでもすれば、命取りにならぬとも限らない。人払いをしてはいても、それとない言い方で問い、また答えるのことが必要とされる。

「我ら三人みたりうちにて、最も世にあらわれるのは、思うに林臣はやしノおみか」

 古人ふるひとはそんなことを言って、王座への意欲などはにじませもしない。古人ふるひとは亡き天王てんのうの長子ではあるが、宝王女たからノみこ中大兄なかノおおえをいずれ跡取りにと考えている。それは間違いないであろう。もし古人ふるひとがその妨げになると思われては、事はまさしく命に及ぶであろう。こうした立場は難しいものである。死を与えられることを避けたければ、闘って権力を奪うか、努めて無欲を装うかせねばならない。

 入鹿いるかとしては、こういう古人ふるひとであればこそ、わが手わが力で助けて、わがきみとして立てることが出来ればとも思う。

 山背大兄やましろノおおえもまた恬淡てんたん容子ようすを示して、政治向きの話などは慎重に避けている。

「かようなことはきさきが嫌うゆえ、まだ話さずにあるが」

 そう山背やましろが言うのは、一家の財産についての問題である。山背やましろは王座を辞退してから、謀反むほんの疑いでもあらぬようにと、父から相続した領地や領民を、ようよう手放して来た。食封じきふが減ればそれだけ、年貢ねんぐの上がりも少なくなる。

ずべきことにはあれど、やっこどもの養いにさえ欠くこととてある。かれ蘇我氏そがうじしたで何かの仕事に使われるようにありたしと思う」

 また残りの多少の領地についても、この際に処分をしたい、と言う。

 入鹿いるかには、一つの考えが浮かぶ。父もよわい七十路ななそじに及んで、そろそろ死後のまいを作ろうかと思っているようである。墓造りの指図などは、この入鹿いるかに任されるであろう。山背大兄やましろノおおえより預かるやっこなどは、その作事にえきすることが出来よう。

おおせのままにつかまつらん」

 と答える。

 ということは、もしいざという事がある時には、その作事さくじに使うくわほこに持ち替えさせて、山背やましろ古人ふるひとを守る為に動かせるようにしようという含意がんいがある。山背やましろ古人ふるひとのどちらが王位にくとしても、互いにとって安心なことであるし、入鹿いるかとしてもよろこびこれにまさることは無い。

 三人が三人とも、そうした考えを持っていると、入鹿いるかが信じるに至ったのは、天王てんのうが他界した翌年の夏のことであった。

 この年は、春三月から夏四月頃にかけては、霖雨ながあめがあったわりに、夏六月から秋七月となると、よく晴れた日が長く続いた。八月には、また雨がちな時期があり、それが過ぎた頃に、宝王女たからノみこより入鹿いるかに問われることがあった。

「もし新たに宮を建てるとせば、何かおもしろい工夫はあらずや」

 というのである。

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