死への誘ない

三輪君みわノきみ小鷦鷯おさざき

 という名を、蝦夷えみし入鹿いるかに示した。あの男は、天王てんのうへつらうのみで、物の役には立たぬから、この際に消してしまうが良い、とうのである。

 入鹿いるかは、父が指名したこの人物を、とにかく追い詰めはした。小鷦鷯おさざきは、きもの小さい性格であったので、罪をなじられる苦しみを想い、討手うってがかかる前に、みずかくびを刺して死んだ。それで入鹿いるかにとっては、その手で無実の処刑をせずに済んだとはいえ、小鷦鷯おさざきの血に染まった死体は、一目でまぶたの裏に刻まれて、眠ろうとしても浮かんで見えるのであった。

 生まれたばかりの王子みこは、間もなく后宮きさきノみややまいして死んだ。産後の肥立ひだちが悪くて、常世とこよの神に召し還されたものとされた。

 崗本天王おかもとノてんのうは、この事があってから、怏怏おうおうとして楽しまず、宝王女たからノみこおそれる心をたかぶらせて、きさきの居処を避けるようになった。あたかもあくる月、崗本宮おかもとノみやに火災があって、被害は炊屋かしきやを焦がした程度であったのに、天王てんのうはこれを不吉なりとの口実で、軽王子かるノみこを頼って、その家である田中宮たなかノみやうつって住まいとした。

 王宮はそれでも、なお崗本宮おかもとノみやである。田中宮たなかノみやは、やや不便な所に在った。主君は田中宮たなかノみやに在る。崗本宮おかもとノみやで、宝王女たからノみこ蝦夷えみしは、必要のあるごとに、田中宮たなかノみやへ使いを立てて、天王てんのうの決裁を仰ぐ。天王てんのうはその奏請そうせいを、そうせよ、とそのまま返す。

 治世の第九年、十年と、それなりに平穏無事ではあったが、国の課題は滞っている。

 十年の冬十月、天王てんのう摂津有馬温泉ありまノゆ行幸みゆきしたまま、あくる年の春正月上旬まで、やまとに還らなかった。天王てんのうとしては、身の回りに恐ろしいことでも起こりさえしなければ、それで結構だという思いであった。

 その間に宝王女たからノみこは、崗本宮おかもとノみやには戻りたくないという天王てんのうの為に、新たな王宮を建てる計画をした。場所は、天王てんのうの祖父他田王おさだノおおきみゆかりある、広瀬ひろせなる地域の中で、渡来人が多く住み、百済里くだらノさとと呼ばれる辺りに決めた。そこに王宮と大寺おおでらを並び立てるという、これまでに無い構想をする。

 その建設が進むのを知らぬかのように、天王てんのうはまた十一年の冬十二月から、伊予国いよノくに温湯に旅した。宝王女たからノみこはなお事あるごとに使いを立てて、天王を仰ぎはする。天王は形ばかりのことに飽きてたまらず、

「重きことにあらざれば聞こえさするに及ばず」

 との沙汰さたを伝えさせ、きさきに権限をゆだねる。それを待ってようやく、宝王女たからノみこは思うままに腕を振るい始める。

 

 天王てんのう倭国やまとノくにに還ったのは、十二年の夏四月であった。田中宮たなかノみやへさえ戻る気にならず、軽王子かるノみこの別荘である厩坂宮うまやさかノみやを借りる。厩坂うまやさかという土地は、二百年以上昔に、時の百済王くだらおうから倭王わおうに馬を贈ることがあり、その為にうまやを置いた所だと伝えられている。その際に名は阿直吉士あちきしという王子せしむが来て、やまと王子みこに学問を教えたとも云われている。

 百済宮くだらノみやは、もう完成していた。宝王女たからノみこは、しきりに天王てんのうを招く。天王はためらった。それでも、その冬十月、高向漢人たかむくノあやひと玄理げんり南淵漢人みなぶちノあやひと請安しょうあんが、からの道から還ったことは、何となく心強い感じを与えた。

 にいしき王宮は、飛鳥あすかから斑鳩いかるがへの道の半ばほどの所に在った。わざわいを覚える崗本宮おかもとノみやからは離れているし、祖父の王宮があった土地も近い。きさきへのおそれは、しばらく顔を見なければ薄れて来る。立派な王者として二人の帰国を迎えたいという思いもある。それでついに遷御せんぎょの要請を受けたのである。

 淡海あうみに浮かぶ楽しみは、あの事件があってから、何年も遠離とおざかっている。もう一度、宝王女たからノみこと三人の子を連れて、近江国ちかツあうみノくにを旅できればと想う。そう、次の夏から秋にかけての間にでも、暇を作るくらいは訳もないことだ。きっとそうしよう。

 そう考えているうち、十三年の春の終わりに、百済国くだらノくにより使いがあり、国王こにきし薨去こうきょしたとしらせられた。亡き百済王くだらおうは、武王むおうおくりなされた。武王むおうくらいに在ること四十年余り、傾いた国を立て直すことに力を尽くした。武王むおうより預けられた、その孫である豊璋ふしょうらは、葬喪そうそうの礼に参列する為に、里帰りをする。三人の王子せしむの背を見送る。

 百済宮くだらノみやの北の門より出て、かの王都である泗沘しひの方角を求めて立ち、武王むおうの死をいたむ。偉大な王者の訃報は、気落ちを誘うものだ。宮のほとりに、川が南から北へ流れている。その向こう岸には、百済大寺くだらおおでらが建設されつつある。九重ここのこし舎利塔しゃりとうは、もう高くそびえていて、遠くをく人にも、伽藍がらんの存在を大いに示している。

 精舎しょうじゃの鐘のは、時に高く鳴って、諸行無常しょぎょうむじょうの響きを、内裏だいりにも聞こえさせる。

 ある静かなあさがた、鐘の響きに耳を打たれるのを感じて、目をます。いつになく、寺からの物音がよく聞こえるようだ。どうしてだろうか。雀も鳴かぬらしい。宮の内に人のある気配もしない。キンと来る余韻が、耳から引いた後に、ほうしたちのとなえる声がする。

 読経どきょうの声などは、風に乗った、一塊ひとかたまりの音としか聞こえない。いつもならそのはずだ。しかし今日は、どうしてだろうか、ことばらしい輪郭があって、この鼓膜を震わせている。

 ――ぶつこく弥勒菩薩みろくーぼさち諸天人等しょーてんにんとう無量寿国むろうじゅこくー声聞しょうもん菩薩ぼさちー功徳くどくー智慧ちーえー不可ほっかー称説しょうせちうーぎー国土こくつー微妙みみょうー安楽あんらく清浄しょうじょう若此にゃくしーがー不力ほっりきいーぜんねん道之自然どうしーじねんーじゃくおー無上下むーじょうげー洞達ずうだち無辺際むーへんざい……

 もっともこう、声がことばらしく聞こえた所で、意味はよく解らない。そのはずであるのに、ゆくりなくも、仏の教えがすっと胸に落ちる。

みほとけの、弥勒菩薩みろくぼさち諸々もろもろ天人てんにんらにのたまわくは、無量寿国かぎりなきいのちノくににある声聞しょうもん菩薩ぼさちどもの、功徳くどく智慧ちえとなれば、げて説くべくもなし、またその国土くにとなれば、微妙くわしきこと、安楽やすらけきこと、清浄きよらかなること、みなごとくありけるよと。なにすれぞ善をすにつとめず、道の自然おのずトなることをおもわず、かみしもも無にかず、辺際かぎり無きを洞達さとらずあるや」

 判ったと思った所が、ふと気付いて振り向くと、そこにはいつ入ったものか、山背大兄王子やましろノおおえノみこ跏趺かふして坐り、聞こえる経文きょうもんを訳して、分かるようにんでくれているのであった。他には誰一人いない。大兄おおえは歌うように続ける。

「さあ各々おのおの精進しょうじんするにはげみて、みずからこれを求めるに努力つとめれば、必ず超絶さかりて去ることを安楽やすらぎの国にぞきて生まれ、五つの悪しきことの道を横截たちきりて、悪しきことの道は自然おのずと閉じて、道を昇ること究極きわまり無きに、くことやすけれど人はすくなし。その国は逆違たがうことなく、自然なるガままみちびく所にこそある。なにすれぞ世の事などを棄てず、道ののりを求めることに勤行はげまざるや。すれば長く生きることは極まりを寿いのちは極まりあること無きを楽しまんものを」

 大兄おおえと差し向かいに座り、何年ぶりかでその顔を見て、そのほがらかな声に耳を傾ける。

「されど世の人々は薄俗うすうすしくして、みなしてまらぬ事をいさかいつある。ここにはげしき悪と極まる苦しみの中にて、身は営務なりわいつからせて、もちてなおみずかすくうにるのみ。とうときと無くいやしきと無く、貧しきと無く富めりと無く、わかきもいたりもも、みなして銭財かねたからうれう。てるものも無きものも同然おなじ、うれう思いは適等ひとしく、屏営うろたえ愁苦たしなみて、おもいをかさおそれを積み、心は走り使いがごとくなりはて、安らぐ時もあること無し……」

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