裴世清の記

 海石榴市宮つばきちノみやを包む、海石榴つばきの花の紅く咲く季節は過ぎていたから、緑の葉がつやつやと日の光を照り返していた今であった。

 宮の庭には、ずい皇帝みかどから贈られた品々が、とよく積み並べられた。左右の堂には、王子みこたち、臣連おみむらじどもが、身分の序列に従って席を取っていた。大殿おおどのの上では、上宮太子かむツみやノみこ倭王わおうとしてのきに臨んだ。その奥に真の国主である天皇てんのうがいたことを、ずいの大使であった裴世清べせしょうは知らなかった。

 世清せしょうは、皇帝おうたいふみを手に持ち、両度再拝して、使いすることの旨を述べた。鞍作福利くらつくりノふくりが訳して伝えた。福利ふくりは、やまとの人がと呼ぶのを裴世清はいせいせいと、と言うのを皇帝こうていと直した。倭国やまとノくにで古くから読みならわした漢字の音には、南方のなまりがあって良くないのだとう。世清せいせいふみを差し上げて立った。

 時に阿倍鳥臣あへノとりノおみがあり、進み出て、そのふみを受け取って大殿おおどのに向かった。大伴囓連おおともノくいノむらじが、迎えてふみを取り次ぎ、大殿おおどのの前の机の上に置いた。その文はこう読めた。

皇帝クァンテイよりファンう。

 なんじが使いの因高いもこらが参至まういたりて、そのおもいをつぶさに述べることありき。

 われ天命あまツみことけたまわりて、天下あめガしたを包み看つ、徳のはたらきを弘めて、よろずの物どもにまでこうむらしめなんと思いつあり。めぐはぐくまばやとのこころに、遠き近きの隔てはあらざる。

 なんじファンわたほかひとり居りつも、たみどもをやすんじ、境内くには安らかにあらしめ、風俗ひとあまない、深き心ばえに至れる誠ありて、遠きもなお朝貢みかどまいりを修めつということを知りぬ。これ丹款まごころみさおなるよと、われよみしこそある。

 ようよう暖かになり、こちらは常の如くあり。

 かれ鴻臚寺クンリョシ掌客しょうきゃく裴世清バイシェイシェンらを遣わし、いささかなるもく所のこころらしむ。あわせて物を送れること、別表の如くあり」

 云々うんぬん、と。

 倭王わおうとして上宮太子かむツみやノみこが、答えて述べる。

われ聞かくは、海の西に大隋だいずいなるありて、礼義いやまいの国なりとぞ。かれ朝貢みかどまいりを遣わすことあり。おのれ夷人えびすにてあり、遠く海の隅に在りければ、礼義いやまいのことを聞かずにありける。ゆえに内に留まりて、ただちには相まみえずありぬ。今は道を清め宮を飾りて、大使なんじを迎えたゆえ、大きなる国の新たにあることを聞きてしかなとぞ思う」

 福利ふくりが訳して、世清せいせいに伝え、世清せいせいが答えれば、福利ふくりが訳して云う。

皇帝こうていの徳は天地あめつちに並びたまい、ひかり四方よもの海にも流れて、きみはそのはたらきを慕われます。かれ行人やつかれが遣わされて、このみことのりを伝えまつる」

 この日の式典が終わって後、世清せいせいらが還りの船にいたのは、秋九月のことであった。その間に、蝦夷えみしなどはしばしば宿を訪ねて、異国の事情を聞き取った。また世清せいせいの方でも、倭国わこくのことを聞き知る機会となった。馬子うまこはといえば、再度の遣使を行う為の準備に忙しくしていたものである。

 世清せいせいが還るのに付けて、小野臣おのノおみ妹子いもこ鞍作福利くらつくりノふくりらが再び、長安ちょうあんへ送り出された。この時に妹子いもこの手に預けられた国書も、蝦夷えみしは控えを取ってあった。やはり父の起草によるものであった。こうある。

「東の天王てんのうつつしみて西の皇帝みかどもうす。みことが使い裴世清はいせいせい参至まういたりて、久しきおもいもたちまちにうち解けぬ。

 秋のすえにして、ようようすずしくなりつあり。みこと如何いかにおわすや。想うに穏やかにか。こちらなれば常の如くのみあり。

 今また因高いもこらを遣わしてまいらせんとす。つつしみてもうす。つぶさならず」

 前の国書といい、この時のものとしても、敢えて外交文書の型を外して、仏教の文献に範を取って書いたのであった。そしてこの遣使に付けて、日文にちもん請安しょうあん玄理げんりなどは、長い旅に出ることとなったのである。

 蝦夷えみしは、一通り要点のぬきがきを作り終えると、裴世清はいせいせいが帰国して書いた復命の文だというものを、久しぶりに読み込む。わがくにのことが、外からの視点で記されてある。こういう物の見方に触れることは、改めてわれを知ることにもなるし、外交に当たる為の気構えというものを作ってもくれる。そこにはこう書かれてあった。

「その島々は、気候は温暖にて、草木は冬も青々しいものあり、土地は肥沃にてあり、されど水が多く陸は少なし。

 そのたみどもの俗には、くびに小さきをかけ、水に入りて魚を捕らしめることあり、日に百尾をも得る。食うことには、皿や盆は無く、かしわの葉に載せ、手を用いてこれを取る。婚嫁こんかすることには、同姓を取らずということなく、男と女と相よろこぶ者あらばめとる。うらなうことを知り、かんなぎが信じられている。正月一日に至るや、必ず射戯しゃぎや飲酒をする。その他の季節のことは、およそわが文明に似ている。囲碁、双六すごろく賽子さいころたぐい博打ばくちすることを好む。

 死せる者は、ひつぎに入れ墓室に納められる。親類や縁者はしかばねいて歌い舞い、妻子や兄弟は白い布を喪服とする。貴き人なれば三年も外にもがりすることあり。たみどもは埋める日をうらない、葬ることに及ぶや、しかばね舟形ふながたに乗せ、陸地にこれをき、または小さき輿こしもってして、墓所まで運ぶ。

 人はすこぶる淡泊で、争訟や盗賊は少なく、性は質直で雅風がある。しかし殺人、強盗や姦淫をなす者あらば死なせ、盗みしは価値を計りて物を償わせ、財が無くば身を没してやっことする。他の軽き重きの罪は、或いは流し或いは杖打ちする。罪をい究めるのに、認めずある者には、木をもって膝を圧し、或いは強弓こわゆみを張りて、つるをそのくびのこぎりする。或いは沸ける湯の中に小石を置き、いさかう者にこれを探らしめ、理の曲がれる者は手がただれなんと云う。或いはかめの中に蛇を置き、これを取らしめ、曲がれる者は手を噛まれると云う。

 その国には、城郭は無い。たみどもは多く跣足はだしにして、金銀を飾りとすることを得ざるも、士大夫たるやにしきあやもっこうぶりつくり、金銀をちりばめて飾りとする。官に十二等あり、こうぶりはそのくらいを表す。服飾は短衣にを付け、その袖は小さくある。履くものはかわぐつの形の如くして、その上にうるしして、これを脚に結ぶ。婦人は髪を後ろに束ね、やはり短衣にを着て、裳裾もすそには縁取りをする。兵には弓、矢、刀、弩、斧、矛などあり、革にうるししてよろいとし、骨にて鏑矢かぶらやつくる。かくなる兵ありといえども、戦争は少なし。王が朝会するに、必ず儀仗を設けてつらね、その国楽を奏でる」

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