天井というもの

 ――泊瀬仲王子はつせノなかツみこたおれる。

 寝耳に水のそのしらせが、斑鳩宮いかるがノみやから摩理勢まりせの家に、急ぎの使いによって知らされた。冬十月も半ばを過ぎた、冷たい風の吹く朝のことである。摩理勢まりせが馬を走らせて、斑鳩宮いかるがノみやに着いた時には、泊瀬仲王子はつせノなかツみこはもう息を絶やしていた。

 ――あさがたには変わらぬ御様子であられた。

 ――朝餉あさげを召されてから、顔容かんばせを悪くされた。

 ――医者くすしを呼ばせたが、待たれずに逝かれた。

 云々うんぬん、とのことを、摩理勢まりせ仲宮なかツみや近習きんじゅたちから聞かされた。

 摩理勢まりせには、

(毒をば朝餉あさげに盛られたにはあらずや)

 という疑いが浮かぶ。いな、そうに違いあるまい。しかし、誰がであろうか。蝦夷えみしめがいくら田村王子たむらノみこを王座にかせんとて、こんな荒い手を使おうとは思われない。あるいは田村たむら派の他の誰かがはかったのかもしれぬが、やはりこれほどのことを敢えてするような者は思い当たらない。

 ちらと、山背大兄王子やましろノおおえノみこ容子ようすうかがう。優しい大兄おおえは、泊瀬はつせの急な死に、異母はらちがいの弟であるに過ぎぬにもかかわらず、悲しみを隠されない。後ろから、妃の舂米王女つきしねノみこが、大兄おおえの肩に手を添えている。

(おや)

 と何か、嫌な感じが、心にきざす。舂米王女つきしねノみこの顔色は、どうもめすぎてはいないか。舂米王女つきしねノみこにとって、泊瀬仲王子はつせノなかツみこ同母弟いろどである。それにしては、目付き一つにも嘆きが感じられぬような気がする。

(まさか)

 とは思うが、有り得ないとは言えない。それどころか、最も有りそうなことでもある。泊瀬はつせは、あの後も、大兄おおえを翻意させようとして、諦めずにいた。それは外に聞こえれば、危険を招くことなのである。大兄おおえが王位を争わないと決心した以上は、せめてもの身の安全を図らんが為に、泊瀬はつせを消しておこうとは、舂米王女つきしねノみこならばくわだてかねない御方ではないか。

 真相は、闇の中である。突き止める手は無いし、そうする意味すらも、るという状況ではない。

 摩理勢まりせは、泊瀬はつせいたむこともほどほどにして、家に戻った。

 ――おのれすでに敗れたり。

 という、ここ十日余りは胸の底によどんでいた思いが、すっかり全身に行き渡り、かえって清々すがすがしいほどの心持ちになる。もう何一つせんすべは無い。

 泊瀬仲王子はつせノなかツみこを殺したのが誰であるにもせよ、誰かがそうしよう所までが、蝦夷えみしの計算であったのだ。実に意外、驚いたことだ。いつまでも母親の腕で泣いている甥ばかり想い出すのに、その手腕は兄上の在りし日と少しも変わらぬとは。

「もし負けるにもせよ、花々しく闘いて後に散らんとこそ思いしが、それすら叶わぬさまとなりはてたわい。なんじらには気の毒にてあるが、この父の子と生まれた運命さだめとぞ、諦めてくれよ」

 二人の子にはそう言い聞かせる。


 豊浦とゆら蝦夷えみしの屋敷では、この日になってにわかに慌ただしい動きがあり、倉から矛が運び出されている。

 そのことを聞き付けて、押っ取り刀で馳せ参じたのは、巨勢大麻呂臣こせノおおまろノおみである。どうやら田村王子たむらノみこの即位が決まったらしく、世間の噂は流れている。山背大兄王子やましろノおおえノみここそきみたるべきと、あの日に言ってしまったことは、今となっては失態でしかない。それを打ち消す働きがしたいのだ。変わり身は早いに越したことはないのである。

 大麻呂おおまろは庭に落ちた枯葉かれはをざくざくと踏み、北風の中で汗をかきかき、蝦夷えみしの所に駆けつける。

「おお、大臣おおおみ大臣おおおみ手数てかずることこそあらば、この大麻呂おおまろめに申し付け下されよ」

 蝦夷えみしは郎党に矛を持たせて、厳しい顔で指示を出していたが、大麻呂おおまろには鷹揚おうように笑って答える。

「なに、大麻呂臣おおまろノおみ。これはわが蘇我そが内輪うちわの揉めごとにてあれば、巨勢氏こせうじを煩わせることにはあらざる。さあかぶとなど脱いで休まれよ」

 大麻呂おおまろはなお訴える。

「なんの、わが巨勢こせ蘇我氏そがうじと同じく、武内宿禰たけしうちノすくねのちとはとなえたる者にてあれば、どうか力添えをさせて下されよ」

 蝦夷えみしには、大麻呂おおまろの功名心などは、かゆいくらいであった。摩理勢まりせならば、負けを認めた上は、逃げ隠れはしないと知っている。手数てかずることも無いし、事を大袈裟にさせもしない。大麻呂臣おおまろノおみこころざしはしかと忘れぬよと、一言を付け加えて、その申し出は丁重に断る。


 入鹿いるかは、この日の動きには加えられていない。自分ではもう立派に仕事が出来るつもりなのに、父から役割を与えられない居たたまれなさに、豊浦とゆらの屋敷を抜け出して、とぼとぼと道を歩いた。

 豊浦とゆらからほど近い、真神ヶ原まかみガはらという所に、祖父の発願ほつがん建立こんりゅうされた、飛鳥寺あすかでらこと法興寺ほうこうじはある。倭国やまとノくにで最初の、本格的な伽藍がらんである。

天井てんじょう

 というものが、伽藍がらん建築にはある。

 天井てんじょうというものは、寺の瓦舎かわらやに入って、上を見ればそこにある。頭の上に板が張ってあり、はりなどの屋根裏の構造は隠されてある。天井てんじょうの板には、仏の道のことわりを表した絵が、彩りも美事みごとえがかれてある。

 入鹿いるかは、この天井てんじょうというものが好きであった。板という物は、泥田どろたに水を引く溝を支えるのにでも使ってあるのを見ては、ただ汚く思われるばかりであるのに、天井てんじょうては美しさに心を奪われる。あんなに凹凸おうとつの多い樹というものが、どうしてこんなに平らかになるのだろうかと、驚かされる。

蝦夷えみしはのう」

 と、善徳ぜんとこ法師は語りかける。善徳ぜんとこは、馬子うまこの長子であり、蝦夷えみしの兄、入鹿いるかには伯父おじに当たり、もう三十年以上も、ここで寺司てらノつかさという役目を負っている。

「父上に似てきみ忠実まめな男にてあるゆえ、あれが田村王子たむらノみここそとするのであるなら、それがついみことのりかなうことなのであろうよ」

 と述べて、山背大兄王子やましろノおおえノみこには法衣ほうえをお召しになる道も相応ふさわしかろうかな、と付け加える。入鹿いるかも、それには一理あろうとは思う。この三、四十年ほどの間に、ほうしあまの数ばかりは増えたとはいえ、帰依きえする心の無い形だけの出家者も多いと云う。寺院の規律をひきしめるには、王族の誰かが仏門に入るのは有効であろうし、そうなると大兄おおえこそ最も相応ふさわしかろうことは疑いない。

(さてそんなこともあろうかな)

 などとぼんやり考えつつ、天井てんじょうを見詰めながら、日暮れ時までを過ごした。


 摩理勢まりせかどの前に出て、次子の阿椰あやともに待ち、蝦夷えみしの手の者に、あらがいもせずくだった。長子の毛津けつは、いつやら姿をくらましていた。しかし隠れた尼寺あまでら狼藉ろうぜきを働いたので、すぐに見付かり、逃げて畝傍山うねびやまに隠れるも、追い詰められて、自らくびを刺して死んだ。その醜態が、父の耳に聞こえることは、永遠に無かった。

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