私が武田家に仕えていた時の話。


 私の主は琵琶湖びわこ近くの生まれで、奥方も都育ちであった。

 主は信玄公の代に甲斐かいへ来たのだが、織田家と争う武田の命運を悟り、ひそかに私を呼んだ。

「おそらく私も討ち死にするだろう。そうなると、この甲斐に妻が身を寄せる場所はない。そこで上方生まれのおまえに頼むのだが、妻を都へ連れて行ってくれないだろうか。妊娠をしている身だから、その後のこともよろしく頼む」

 断りたかったが主命には逆らえず、奥方と私はだれにも告げずに都へ向かうことになった。

 主からは路銀だけでなく、家宝の刀も託された。

「道中の用心にも役立つし、生まれてくる子に対する私の形見にもなる。万が一にも生き残ったら、私も後からは都へ上る」


 常日頃は邸で過ごし、遠出となれば駕籠かごを使う方を連れての旅。

 しかもその方がいまは妊婦ときている。

 それに加えて、織田の拠点や関所を避けるために遠回りをしたり、兵をやり過ごすために身を隠したりしなければならなかった。

 心が急くなかで時間ばかりが過ぎて行き、奥方が臨月になっても甲斐をさまよう始末だった。


 その日、奥方を脅したりなだめたりしながら脇道を歩いていると、昼前に彼女が産気づいた。

 見知らぬ山道を休み休みに歩き、どうにか夕暮れ前に仏堂へたどりつけた。

 まわりに家などはなかったが、堂の横で男が簡素な茶店を開いていた。

 男に湯をもらって、奥方に薬を飲ませるなどしていたところ、陣痛がひどくなってきた。

 どうすればよいのかわからなくなった私は、男に事情を打ち明けた。

 男によると、仏堂から人里までにはかなりの距離があるだけでなく、この辺りには化け物が出るとのことで夜はだれも通らないとのことであった。

 男が「少し遠いですが、どうか私の家に来てください」と言ってくれた時は、追い詰められた状況だったこともあり、ひとしおうれしかった。

 しかし奥方が「一歩も動けません」と仰られたので、どうしようもなかった。

 男は店の道具を貸してくれただけでなく、たきぎも分けてくれた。

「どうか、ご用心を。私もお手伝いしたいのですが、ここで夜を過ごすのは……」

 そう言い残して男が帰ってしまうと、私はとても不安になった。

 

 日が暮れる前に、仏堂の中で女の子が産まれた。安産であった。

 どうにか子を取り上げて、産着に包んで奥方に渡した。

 それからかゆをつくって奥方に勧め、残りを食べた。

 その後、たき火を見つめながら途方に暮れた。


 それは夜半過ぎのことだった。

 少女が仏堂に入って来たので「だれだ」と尋ねると、先ほどの男の娘だと言う。

 父親の話を聞いて手伝いに来たとの話だが、にわかには信じられなかった。

 しかし、実際にあれこれやってくれるのを見ているうちに気が緩んでしまった。

 これがいけなかった。


 しばらくして女が「お子さまは私が抱いていましょう。あなたさまもお休みなさいませ」と言ってくれた。

 奥方は疲れ切った様子だったので、女に赤子を任せた方がいいだろうと思い、言葉に甘えてしまった。

 女が楽しげに赤子をあやす様子を見ても、ゆだんするつもりはなかったのだが、長旅の疲れがどっと出てしまい、壁沿いに腰を落として、つい眠ってしまった。

 奥方の叫び声が堂内に響いたのは、その直後だった。


「私の赤ちゃんを食べないで」

 奥方の声で目覚めてみると、彼女を娘が抱えて外へ出ようとしていた。

 逃がすものかと私も外に出たところ、女は空を飛んで仏堂の上へ消え去った。

 仕方なく仏堂に戻ってみれば、天井裏から「何てことでしょう」と奥方の声が漏れ聞こえた。


 そのまま耳を澄ませていると、何かを貪り食う音が天井裏から響いた。

 音の様子から、奥方を食っているのは一人ではないようだった。

 「男も連れて来れないか」と枯れた声が言った。

 すると例の少女の声で「刀が邪魔です」と答えがあり、それに対して「それでは仕方がない。ほれ、おまえの分だ」と別の声が聞こえた。


 天井裏へ上がりたかったが、暗くてどこから上がれるのかが分からなかった。

 主命が果たせなかったので腹を切るのが筋だと思ったが、夜明けを待ってかたきを取るのが先だろうと思い直した。


 夜が明けると、きのうの男がやってきた。

 もしやこの男もばけものかと怪しんだが、それはないだろうと考えなおし、男に夜中の出来事を告げた。

 男は我がごとのように悲しんでくれたあとで、「まずは天井裏をのぞいてみましょう」と仏堂に入っていった。

 ふたりで中を確かめていると、男が「ここの隅から上がれそうです」と言うので、彼を踏み台にして天井裏へ上がった。


 天井裏にばけものはおらず、辺り一面に骨が散らばっていた。

 その中から、奥方のものと思われる新しい骨を見つけた。

 骨に肉はまったくついていなかった。すべて食われてしまったのだろう。

 赤子の方は骨すら見つからなかった。


 主のもとへ戻るか。それとも都に行くか。

 どうしようかと思い悩んでいるうちに、武田が織田に滅ぼされてしまった。

 家臣はほとんど討ち死にしたと聞き、主もお果てになられただろうと思った。


 都に上り、奥方の縁者を探したが見つからなかったので、主の刀を布施にして、ある寺でおふたりを弔った。

 私はその寺で僧となり、いまもふたりの霊を慰めている。



参照:高田衛編・校注「江戸怪談集上」の宿直草『甲州の辻堂に化け物のある事』

面白い話。原文がよいのでそのまま読むことを勧める。訳しにくかった。長いし。

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