09-2 俺からは何も言えない

 世記の表情をちらりと見やってから鈴木が続ける。


「もう一つは、とても個人的な感情ですが、やはり柏葉さんが迷っていたからですね。ノリノリで暴力団に協力していたらすぐに証拠をあげて拘束したかもしれません」


 それまでの雰囲気をがらりと崩して鈴木は微笑んだ。


 あぁ、やっぱ、鈴木のおっさんはこうでないと。

 最初に挙げた理由の方がメインで、個人的感情はおまけだったとしても、この気遣いが嬉しかった。


「さて、私の話はこれぐらいでいいでしょう」

 鈴木は世記、リュウ、寿葉へと順番に視線を移した。

「柏葉さんが敵のスパイだったという事実に一番被害を被ったのはあなた達です。どうしたいですか?」


 世記はリュウと寿葉を見た。

 彼らも世記を見つめてくる。

 二人とも、あれこれと考えているがなんといっていいのか判らないという顔だ。


「俺からは何も言えない。そりゃショックだったし思うところはいろいろあるけど。直接被害を受けかけたリュウと、長年一緒にいたのに裏切られた二階堂さんの考えが大事だと思う」

 だから、と世記は続ける。

「二人には本音を言ってほしい。もしも食い違うなら両方が納得いくまで話し合えばいい。俺もうまくまとまるよう協力するから」


 俺の助けなんていらないだろうけど、と付け足しておどけてみせた。


 緊迫した空気が、少しだけ和やかになった。


 世記がリュウと寿葉を交互に見る。言いたいことがあるなら言ってくれと促すように。


「ミナエねーさんは悪くないぞ。おれのこと、さっさとあいつらに渡そうと思ったらいつだってチャンスはあったはずなのにやらなかったし」

 リュウがあっけらかんと言った。

「悪いのはボーリョクダンだ。そうだろ?」


 同意を求められて、世記はうなずいた。


「だよなー。……ことは姉ちゃんは? ミナエねーさんのこと、ゆるせない?」


 リュウに話を振られて寿葉はかぶりを振った。


「柏葉先生を恨む気になんて、なれません。むしろ、一番近くにいたのに先生がずっと苦しんでいることに気づかなくてごめんなさい。……気づこうとしなくて、ごめんなさい」


 五年前から明らかに柏葉の様子が変わったのに、そのことに対してなにもリアクションしなかった。

 理由を尋ねることができたのは、寿葉だけだったのに。


「個人のことに深く立ち入ってはいけないって、建前です。本当は先生の答えを聞くのが怖かった。何が怖いって説明できませんが、怖かったんです」


 過去を悔いる寿葉の声が震えた。


 答えを聞くことで何かが大きく変わるかもしれない。

 言い知れぬ怖さがあるだろうと世記は納得した。


「わたしはまた、大切な人の苦しみを取り除くことができなかった。……ごめんなさい」


 寿葉の謝罪の言葉が痛々しい。

 世記はぎゅっと眉根を寄せた。


「お嬢様……、謝らないでください。すべてはわたしと、身内の不手際のせいなのです」

「悪いのは、おどしてくるような悪いヤツらだぞっ!」


 リュウが力強く言った。

 世記も大きくうなずく。


「俺らの考えはまとまったぞ。柏葉さんはどうなるんだ?」


 世記は鈴木を見る。


「どうもなりませんよ。みなさんのご協力のおかげで暴力団の活動を大幅に縮小させることができました。この一週間ほどに起こったのはそれだけです」


 鈴木はにやりと笑った。


「くおんだな」

「くおんだね」


 世記とリュウは顔を見合わせて笑った。

 何のことか判らない寿葉は首をかしげている。


「皆様、ありがとうございます」


 柏葉が深々と頭を下げた。

 ぽたりと床にしずくが落ちた。


「さて、この件に関してはこれで――」

「ねぇ、ミナエねーさんの問題はけっきょくどうなるんだ?」


 鈴木が話を締めくくろうとしたところにリュウが疑問を口にした。


「おれらのことは片付いたけどミナエねーさんは? もう悪いヤツらにおどされたりしないのか?」


 鈴木はうーんとうなった。


「強引な手段で金銭を請求するということは、しばらくはないと思われます。しかしずっとないかというと、判りません」


 ほとぼりが冷めた頃にまた何かしら脅迫めいたことをしてくるかもしれないと鈴木は言う。


「それじゃ、またこの先も何か仕掛けてくるかもしれないってことか?」

「慰謝料自体は正当な手続きを経ての請求のようなので、彼らには請求の権利があります。引き続き接触してくるでしょう。それが脅しという形であれば警察も動けるでしょうが、どう出てくるかは判りませんね」


 世記の問いへの鈴木の答えを最後に部屋の中は静かになった。


「みなさん、ありがとうございます。しかしこれ以上みなさんにご迷惑はかけられません。わたしはニカイドーを、お嬢様のそばを離れます。そうすればもうあなた方を巻き込むこともありません」


 柏葉があきらめの表情で言った。

 だが、世記はかぶりを振った。


「それは、判らないんじゃないかな。逃げたら二階堂さんに危害を加えるって言ってるんだろ?」

「そうですが、竹島組にも中川組にも警察の捜査が入ったなら、いくら何でもそこまではしてこないと思うのです」


 それも一理ありそうな気がする。

 世記は鈴木を見た。

 鈴木は視線の意味を理解して意見を述べた。


「先ほども申した通り、しばらくはおとなしくしているでしょう。しかし今後安心かは判りませんね」

「それならリュウくんのことも完全解決かどうかなんて判らないんじゃないですか? 今はあきらめたふりをしてもまたさらおうとしてくるかもしれません」


 寿葉が言う。


「リュウ君に関しては、手出しをさせない方向で調整中ですが……」


 鈴木は困り顔だ。

 柏葉のことまではフォローできないとはっきり言えない、言いたくはないのだろう。


「ねぇ、それだったらさ、ミナエねーさんを脅してるヤツをつかまえるのは?」


 リュウが目を輝かせて言う。どうだ名案だろうと言わんばかりの顔だ。


「こちらから仕掛けるということですか?」

「うん。それで、悪い事したらおっちゃん達がつかまえて、解決!」


 そんな簡単に行くかなと世記は思った。


「まぁ、どうしても捕まえたい相手におとり捜査を仕掛けることもありますが……。そういうのはすごく準備が大変なのですよ」


 鈴木は渋っている。

 だろうなぁと世記はうなずいた。


「なんだよにーちゃん、ミナエねーさんを助けたいと思わないのか?」

「思うけどさ。うまくやるには鈴木のおっさんの協力が絶対いるんだぞ。そのおっさんが渋ってんだからなぁ」


 世記の反論にリュウは目をウルウルさせだした。椅子をおり、鈴木の目の前に立って顔を見上げる。


「おっちゃん、お願いだ。協力してください!」


 泣き落としかっ。

 世記は思わず笑いそうになる。

 そんな手が通用する相手じゃないだろう。

 と思っていたら。


「仕方ないですねぇ。あなたにそんな顔をされたら断りづらいです」

「ええぇっ、マジでっ!?」


 思わず叫んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る