04-2 秘技、三角関数!

 トイレの入口で中を見張る。

 犯人を逃がさなければいい、と思っていた世記としきだが、個室からはっきりと「いや」と女の子の声がした。


 これは、まずい。

 犯人を外に引きずり出さないと女の子が危ない。

 どうすればいい?


 無理やりドアを開ける? いや、それは物理的に無理だ。出来なくはないが下手をすれば中の女の子にけがをさせてしまう。

 外から声をかけるか? だがそれではしらばっくれられる。

 女の子を連れ込んでいることを指摘すれば、開き直ってもっとひどいことをするかもしれない。


 トイレは、入り口から左手に洗面台、少し進んで右手に小便器、個室は洗面台の奥に二つある。ドアが閉まっているのは突き当りの壁側の方だ。


 ふと、自分のブログに昨夜書いたことを思い出す。


『三角跳びの方が断然いい』


 奥の壁を蹴って三角跳びをして頂点で個室の中を撮影すればいいんじゃないか。

 多分画像はブレブレだ。だが証拠を取られたと思った犯人はそれを取り返しに出てくるだろう。


 そのためには写真を撮ったことを気づかれないといけない。

 うーん、と世記は首をひねり、一つの案を思いつく。


 携帯電話を連続撮影モードにして右手に持つ。

 闘気を軽く開放して個室のドアの横の壁に向けて走る。

 壁にジャンプしながら叫んだ。


「秘技、三角関数!」


 壁を蹴り、上昇しながら携帯電話を構え、頂点に達した時に撮影ボタンを押す。連続するシャッター音が鳴り響いた。


 個室の中に中年男と小さな女の子の姿が見えた。女の子が便座に座らされて下着をずらされている。


 世記がわざと大声を出したことで、男はドアを見て固まっていた。

 綺麗に着地した世記は思わずガッツポーズだ。


「よし、理想の三角形だな。ついでに証拠写真が撮れた」

 世記はおどけて笑った。


 正直言って撮影がうまく行ったかどうかは二の次だ。中の男に、何やら撮影されたらしいことが伝わればいいのだ。


「おいこらふざけんな!」

 狙い通り男が個室から飛び出てきた。


「はーいそこまでですよおじさーん。女の子を個室に連れ込んでイケナイことしちゃだめですよー」

「アホなこと言うな! あれは俺の子だっ。まだ女子トイレに一人でやるわけにいかんだろ!」


 えっ!?

 とんでもない勘違いをしてしまったのか?


 一瞬、頭がかっと熱くなるが、いやいや落ち着けと自分に言い聞かせる。


「じゃあ、なんでこっちが大丈夫かって尋ねた時に荷物がとかいうんだよ」

「子供が男トイレを嫌がってるとか言ったら疑われるだろっ」


 マジかっ?

 二度目のパニックに陥った。


 今度は本当に自分が間違っていたと感じた世記は頭を下げる。


「えっと、すみません」

「いいから、撮った写真は今削除しろ」


 世記は男の言葉に従いかけた。

 だがその時。


「パパじゃない」

 服をただした女の子が個室から出てきた。

「しらないおじさん」

 女の子が男を指さして言った。


 ちょうどそのタイミングでリュウに手を引っ張られた警備員が前のめりになりながらやってきた。


「くそっ!」


 男が吠えると世記を突き飛ばしてトイレの入口に突進した。

 後ろを振り向いていた世記は反応できずにバランスを崩してしまって男を追えない。

 何とか倒れずに踏みとどまって男を目で追うと、もうリュウの目の前。


 せめて警備員がなんとかしてくれと願う世記の目の前で動いたのは、リュウだった。

 男をにらみ上げながら体をかがめたリュウは、横をすり抜けようとする相手の足を思い切り蹴った。

 「普通の」小学生男児にはあまりできない動きだ。そして、彼から闘気に似た「気」を感じた。


 世記は目を見張る。


 リュウの蹴りはちょうど男のすね辺りに当たり、男は大きくつんのめった後に派手に転んだ。


 やった! と世記は喜んだが、男が転ぶ時に手がリュウの頭にあたり、帽子がはじかれて落ちてしまった。

 鮮やかな金髪があらわになる。


 リュウの髪の色を知っている世記でさえ、はっと息を呑む輝きだ。


 トイレを遠巻きにした野次馬の姿もちらほらとあり、彼らからどよめきが起こった。

 恐らく、リュウの行動と彼の金髪に対する声が半々といったところだろう。


 警備員が我に返って男を取り押さえに行った間にリュウは帽子を拾ってかぶり、世記にハイタッチをしてきた。


「にさんがどうめい、初勝利だなっ」


 嬉しそうに、得意そうに笑うリュウに、そうだなと返しながら、世記は極めし者の卵を連れてそそくさとその場を離れた。


丹生にぶさん、リュウさん!」


 小さく鋭い声に名を呼ばれ、そちらを見ると柏葉がいる。

 戻るのが遅いので心配して様子を見に来たというのだ。


「この人だかり……、一体どうしたのですか?」

「車に戻ってから話すよ」


 今は一刻も早くここを離れた方がいい。


 柏葉もそう納得してか、うなずいた。三人は足早にショッピングセンターを後にする。


 問題はあったがいいことをしたんだから帳消しだよなと世記は一抹の不安をかき消すように自分に言い聞かせた。




「いいことをしましたね。しかしちょっと困ったことになりそうです」


 夜にマンションを訪れた鈴木がちょっとどころかかなり困った顔をしていた。


 昼間、世記達が遭遇した事件については柏葉や寿葉ことはにはすぐに報告し、柏葉がその場で鈴木の携帯電話に留守番メッセージを残してくれた。

 鈴木からの連絡は夕方に入り、夜にそちらに伺うとだけ言われたそうだ。


 そして、今に至る。


 女子部屋のダイニングに五人が集結しているが、今までにない重い雰囲気だ。


 女の子を助ける行為自体は褒められるべきことだ、と鈴木は言う。


「しかし、もう少し他の安全な手段があったはずです。少なくとも丹生君は男を外におびき出すべきではありませんでした」

「でも、中で女の子が……」


 口にするのもはばかられるようなことがトイレの個室の中で行われていたのであろうと考えると、世記の表情は硬くなる。


「相手に嘘を言われてうろたえるぐらいなら中途半端に動かず警備員に全てを任せるべきだったのです。行動に至ったならば、責任もってあなたがしっかりと男を取り押さえていればリュウ君が目立つこともなかったのですから」


 そう言われると反論できない。


「兄ちゃんばっか責めるなよ。いいことしたんだから。ちょっと見られただけなら問題ないだろ? あの後すぐに、はなれたんだし」


 リュウが擁護してくれるが、そこに乗っかる気分にはなれない。


 もしも本当にあの男が女の子の父親だったなら?

 その可能性を考えずに行動を起こした結果、はったりをかまされて動揺し、存在をできるだけ隠しておかないといけないリュウの目立つ金髪を人目にさらしてしまった。


「リュウ君も、外では不用意に『に×3=同盟』を名乗ってはいけませんよ」


 鈴木の静かな重い声にリュウだけでなく世記も驚いた。寿葉が軽く息を呑むのも聞こえてくる。


 自分達が「に×3=同盟」と名乗っている――のはリュウだけだが――ことは鈴木には一切話していない。身内のノリ、内輪ネタのようなものだから。


 それをなぜ鈴木が知っているのか。

 考える世記に鈴木がまた顔を向ける。


「ブログの二十三日のコメント欄を開いてみてください」


 言われて、世記はあっと悲鳴のような声をあげた。


 親戚の子が言ったとを混ぜたが「に×3=同盟」についてはっきりと言及していたのだった。


 手早く、しかし恐る恐る、世記は自身がインターネット上に公開しているブログ「ニブチン日記」を開いてみる。


『新着コメントが35件あります』


 トップページの管理人充てメッセージに驚く。

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