第2話 水と安全がタダな国に生まれた俺

 さて、俺が森の中へと文字通り身一つで突き進んで早数分が経過したころ。


 いきなりだが、死活問題に直面していた。


 現状俺は補給するための水分を失っていた。


 大樹を後にする際大見得を切るつもりで飲み干したあのウーロン茶が、よくよく考えてみると自分にとって数少ない貴重な水分であることに気付かされたのだ。


 遭難時やたら動き回らず一つの拠点にじっとするべしという先人の教えを軽視したあまり、水がないと最悪死ぬという人間が生活するうえで最も基本的な事柄すらおざなりにしてしまっていた。


 開始早々、絶望的な状況へひとり追い込まれ段々気持ちから先に参り始める。もう何百回と着古したはずのスーツなのに、身体に合ってないような気もしてただでさえ重かった足取りにもさらに拍車がかかり一層重荷を背負わされてるようだった。


 それでも歩は止めずに俺は鬱蒼とした木々の中を続々と分け入った。


 焦燥にも似た喉の渇きにひどく悩まされていると、そのうち妙な音を耳にする。


 サラサラサラサラ……と、馬鹿に耳触りがよかった。


 音を道標に見立てて進んでいくと、突然開けた場所に出た。


 石が堆積した大地と、険しさなどものともせず流れ込んでくる川のせせらぎが見えた。


 やった、水源だ! 


 待ってましたと言わんばかりに、川目掛け全力で駆けこむ。


 川辺でしゃがみこむやいなや、上着を脱いでからカッターの袖を捲ると手ずから水を掬い取り顔を洗い出した。


「くぅああああ! つめてええええええ!」


 ひたすら歩きまわってて火照ったのと、昨夜からぜんぜん風呂につかっていなかったのもあって、顔全体に一気に水が染みわたり激しく爽快感を覚えた。


 立て続けに、手で水を掬いこれでもかと顔面に何回も叩き付けていく。さすがに、一回目のような感じは味わえ無かったもののやはり渇ききっていたこともあり躊躇なく浴び続けた。


 ひとしきり川の水の冷たさを堪能した後、俺は大きく息をついた。


 緊張の糸がほぐれて、静かに目を開く。ふと下を見ると、とうとうとした川の流れの中に自らの像が映し出されていた。


 よく見ようと首を伸ばして、顔と川面を並行にさせる。


 まじまじと川面に向かうが、そこに映し出されていたのは俺の顔じゃなかった。


 少なくとも、アラフォー独身でホテルオーナー(雇われ)で常に疲労困憊が付きまとっている「今」の俺ではなく、中学卒業して間もなく働きだした「昔」の俺が水際にて映し出された。


 思ってもみない光景に何度も目をパチパチさせ、睫毛から雫をこぼすその度に川面向こうの「昔」の俺が波紋を広げ揺らいでいく。


 念のため、パンツのポケットからスマホを取り出して鏡替わりにセルフィーで再確認するとやはり画面には川で見たのと同じ光景が投影されていた。


「やっぱ、俺若返ってるのかよ。コレ……」

 

 どおりで、身体が軽くなったり急にスーツが身体に合わないと感じてきたと思った。


 容赦のない展開にちょっぴりおののく俺。


 作者め、俺が今わの際に毒づいたからって当てつけにこんなんしやがって。車やら通り魔やらに命狩られて違う世界に生まれ変わるだけならまだわからんくもないが、若返らせるんならキチンと伏線くらい用意しとけやボケ!


 テンポ重視のために展開をゴリ押しするのも分かるが、都度のディティールを意識しないと結果的にとっちらかって収拾がつかなくなるし最悪読者も離れるんじゃ!


 ああ、嘆かわしい。あまりに理不尽すぎる作者からの仕打ちに辟易とさせられつつ、静かにスマホをポケットに戻した。


「……俺、もう何がどうなろうと驚かなくなってきた」


 ☆☆☆☆☆☆


 俺は空のペットボトルに川の水を汲んでから、川べりの岩に掛け素足を清流に晒していた。

 

「はぁ~、気持ちいい」


 蒸れたつま先を冷たい川の水にくぐらすだけで、こんなにもでかくため息がこぼれた。


 ふとスマホを取り出して時間を確かめてみると、画面上では今は日本時間にして八時半を少し回ったところだ。もっとも、これの時刻がこっちの世界とどれだけ一致しているか知らんが。


 とりあえず、降り注いでくる木漏れ日と水の冷たさと鳥のさえずりから分析してみるに大雑把に今は朝方って認識でいいんだろう。


 とにもかくにも、俺はさっき汲んだばかりの水を飲むことにした。


「一見きれいに流れて見える川の水だが、うかつに飲んだら雑菌やらなんやらで後々大変なことになる。百円ライターはこっちに持ってきてるから火はなんとか確保できるだろうが、煮沸消毒しゃふつしょうどくするための鍋はないとなると……」


 毒を食らわば皿までと、意を決してキャップを開け少量の水を口に含ます。


 カミカミカミカミカミカミ……。


 口の中をゆすぐ感じで水を舌で転がし、同時に小気味よく噛み続ける。


 これならたとえ寄生虫の卵が紛れ込んでても、何十回と咀嚼そしゃくしてればそのうち歯同士ですりつぶせるだろう。

 

 しばらくしてぬるくなった水を今度はゆっくりゆっくりと飲み込んだ。人間の唾液には抗菌作用を持った成分が含まれていると前に医療番組で聞いたことがある。唾液と一緒くたに水を、しかも少量ずつならばい菌も自前の抵抗力である程度は防げるはずだ。


「まあ、何かあったらそんときゃそん時だ」


 一口だけ飲んでキャップをしめる。


 喉はある程度潤ったようだ。


 たかが水を飲むだけで骨を折ることになるとは、歯なのに。


 ちなみに、さっきスマホを取り出したときに気付いたが予想どおり電波は圏外の表示が出てて連絡手段としては使えないことが明らかになった。


 さて、と。またまた思案のしどころだ。


 しばらく様子を見て川面とにらめっこを続けるか、あるいはまたあてどなく森の中をさまようのか。


「どーすっかなー」


 少し気分も落ち着けたため、じっくりと考えてみて……。


 ――――――――ぐううううぅぅぅぅ。


「腹、減った」


 喉の渇きの次は腹の虫の音ときたもんだ。


 コンビニ袋の中から、まだ開けてなかったガルピーのポテチを取り出す。


「ないよりましだな」


 鼻で笑いながら、取り留めも無くポテチ袋を上に掲げて見た。


 すると、袋の向こうで広がる青空に、一筋の雲らしきものが縦に真っすぐ伸びて行ってるのがわかった。


 本物の雲にしては変に生々しい。それにある程度の高さまで立ちのぼるとすぐに霧散むさんしてしまうようである。


「雲かと思ったのに。なんだ、煙か」


 ポテチ袋に手を掛けようとした時、ぽつりと告げた自分の言葉に改めて驚かされた。


「け、煙だって?」


 慌てて川の流れの中に立つと、足場が少しくずれ前へつんのめりそうになる。


 バランスを取り直し、もう一度仰ぎ見るとそれはやはり煙らしかった。


 火のないところに煙は立たない、と人の言う。突き詰めれば、人の無いところで火は点かないということになる。


 それは誰かがあそこに住んでるかも知れないという、証明に他ならなかった。


「ポテチ喰ってる場合じゃねえ!」


 急いでポテチと水の入ったボトルを袋に詰めなおして、用意に取り掛かる。


 足が濡れたままだったため靴下を纏うのに少し戸惑ったが、無事革靴も履きなおせた。


「ラッキー! これで助かる!」


 煙に光明を見出し、上機嫌になった俺は人気のありそうなところへ駆け出した。

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