第1話 自分が死んだ夢を見たら、長生きするらしい

 ポタッ……ポタッ……。


 瞬間ごとのかすかな衝撃。そんな感触が鼻の上にて広がり、目が覚めた。


「ううん……。あ、あれ? 生きてる――――俺」


 無心で顔を右手で覆う。手の平全体からじんわり伝わってくる体温と、鼻と口からの呼吸で自身の生存を自覚する俺。


 手を剥がして見ると、手の平の中心あたりがかすかに湿り気を帯びていたので鼻を押さえながら見上げてみた。


 視線を上げてすぐそばの天井らへんの箇所には小さいささくれが無数にあって、そこに纏わりつく要領で水滴がぽつぽつと見られたのだ。


 これか、と直上に出来た水滴のうちのひとつをつまみ指先でいじりつつも確信する。


 疑問が一個解消できたのでこれで万々歳……とはいかない。


 そうならそうで、新たな疑問が俺の中で芽生え始めたからだ。


「いやっ、そもそもここはどこなんだ? 俺は昨夜ゆうべ確かにあのコンビニで死――」


 ガツン! バチン!


 自問した弾みで伏せていた身体を起そうとして、思いっきり天井に頭をぶつけてしまう。ついでに舌も噛んじまった。


 どうりで天井にしては異様に低いなとタカをくくってたら……痛む脳天を静かにさすり、己の幸先の悪さを実感しつつも俺は身悶えた。


「~~~~ッ! いっっっっでええええ……。じ、じぐじょう、ぶんらいへったりろいーろほらへ(ち、畜生、踏んだり蹴ったりもいいとこだぜ)」


 強く噛み過ぎたせいで、ろれつも回らなくなった舌を無理くり稼働させながらも毒づく。


 我ながら不甲斐なさ過ぎて、身体の痛みとはまた別の意味で泣けてきたわ。


 こぼれそうな涙を男らしく拳でぬぐっていると、どこからともなく鳥のさえずりが聞こえてきた。


 よく見てみると、大人一人が身を捩ればどうにかして出られそうな細穴がある。


 穴からは光が射しこんできて、ここからおいでなさいと言わんばかりであった。


 痛みも引いて一旦落ち着くと、今度はここから出たいという思いが強くなりだした。


「……ともかく、まずは外出てみようかな」


 藁にもすがる気持ちで、俺は穴目掛けておもむろに腕を伸ばしていく。


 穴のへりを掴み、身体をくねらせてまずは上半身から抜け出た。


 額の先から日を受けて思いっきり新鮮な空気を肺へ取り込むと、心の底からさわやかになったような気がした。


 深呼吸をしてから下半身も外に出す。最近、トシのせいか腹回りが気になってきたのもあり出る時つっかえるかと正直不安だったが、それも杞憂きゆうに終わる。


 なんなく脱出に成功するやいなや振り返って見てみると、この木なんの木―……みたいな伴奏が聞こえてきそうな樹齢何百年クラスの立派過ぎる大樹がそびえ立っていた。


 至る所で苔むす木は伸びもさることながら幹の太さもかなりあり、根本にほど近いところには大人一人分は余裕なのも納得がいくくらい大きなうろがぽっかり形成されていた。


「俺って、こんな大自然の中で寝てたんか」


 だとしたら、天井のささくれに纏わりついていた水滴も空気中に漂っていたささくれ付近の水分が朝になって凝固してできた朝露のようなものだと合点がいく。


 そもそも起きてすぐ朝露とご対面するような所で寝泊まりなんてしないのだが。


 いや、違うそうじゃない。肝心なのは俺がなんでこんな森のど真ん中にいるのか、である。


 昨夜は、激務につぐ激務でフラフラになりながらホテルから出て近くのコンビニでしこたま酒を飲んでて、ホテルに帰ろーと思いイート・インを後にして自動ドアの前に立ったら暴走状態のプリウスが店の中にいる俺目掛けて突っ込んできて――――…………。


 ……。


 …………。


 ……………………。


「あっ、そうだ俺死んだんだ」


 記憶をたどってみたら、存外悲劇的なあらましをきれいに思い出せたあまり思わず手を叩いてみせた。


「あ~……やんなっちゃうな。こりゃあまいった」


 そんな風にこの状況に対して浮足立った気持ちでいると、突然、


 ガサガサガサガサガサガサッ!!!


 後方から木の葉が激しく揺れる音。


「何今の?!」


 バッと振り返り全身の毛穴から逆立つような思いで、慌てて確認する。


 視線の注がれた先には木の葉が五、六枚落ちて残った葉ともども小刻みに枝を揺らす茂みがあるだけだった。


 瞬間身の安全が保障されたと思い、ホッと大きく胸を撫で下ろす俺。


「な、なんでえ。単に風だったのか。人騒がせな」


 安堵したのも束の間、俺の頭の中で赤ランプが点滅したと同時に大音量のサイレンが鳴り響いた。


 待てよ。俺みたいな大人一人をすっぽり覆えるくらいでっかいうろが出来る大木が自生するような森なら、獣の一匹や二匹は出てきてもおかしくない。


 タヌキとかハクビシンとかアライグマはまだしも野犬にオオカミそれに、クマなんかも……。


「ま、まさか」


 ぎこちなく首を曲げ再び大木を視界に収める。


 出てきたうろの暗がりをじっと見つめ、数分前の記憶を呼び起こした。


 うろのなかの水滴がたまっていたあの無数のささくれは、もしかしたらこの森の主であるクマがマーキングしたときに出来た爪痕だったのでは……。


 みるみるうちに、頭の先っぽから血の気が引けていくのを実感した。


 背筋が凍るような思いになりながらも、俺はようやく決断する。


「よし! ひとまず周囲を散策して、少しでも人気ひとけのある方へ出よう」


 襟を正したスーツと、履き古した革靴の装いで俺は大樹を後に突き進んでいく。


 そーいや、遭難した場合はうろうろせずにその場でじっとしてるのが基本らしいが今はそんなの知ったこっちゃない! 救助が来るかどうかも怪しいし、なにより知らない土地を冒険するより猛獣に襲われるかもしれない所でじっとしている方がよっぽど怖いし命知らずだろう。

 

 果敢に挑戦を始めるにあたり、さらに喝を入れるべく目が醒めた時からずっと左腕に引っかかってたコンビニ袋の中から飲みかけのウーロン茶を取り出して、それを勢いよく飲み干した。


「さー! こっからだ。今なら森の中だろうが土の中火の中あの娘のスカートの中だろうがどこへでも行ける気がするぞ!」


 ウーロン茶を飲み干して空になったペットボトルをビニール袋の中へ戻すと、はやる気持ちそのままに行動を開始した。

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