かつてホテル・オーナーだった頃の経験を糧に成り上がっていく、俺の異世界マーケティングプロセス

はなぶさ利洋

プロローグ

 人間にとっての最高の瞬間とは、なにか?


 一口に最高と言っても捉え方はそれぞれで、"最高"というハードルの高さも人によって異なる。


 誰にでも一つくらい、絶対に譲れない神聖な何かがあるかもしれない。


 まあ、かくいうこの俺も例外でなく、自分だけの"最高"ってやつを今まさに絶賛謳歌してるところだ。


 何者にも強いられず縛られない……日々、労働で明け暮れ溜まりきった疲れを癒すための憩いの場。


 そんなコンビニのイート・インスペースで、俺は買ってきた酒やら肴やらを一通り堪能しきっていた。


「はぁ……最っ高ぉ〜〜」


 平日の深夜、片田舎のコンビニに設けられたイスとテーブルに寄りかかり俺は深くため息をついた。この時間になると、客という客は一人も来ず店員もまばらで大方裏で引っ込んでることが多い。


 おのずと自由自在な状況が生まれその瞬間俺はあらゆる物から解き放たれ文字通り最高の状態となる。


 ふとテーブルに目を遣ると無惨にも食い散らかされたつまみたちの中に、とっくに胸ポケットから取っ払った職場用の名札が転がっているのが見える。


 黄金に外装された名札それには、酒で上気した俺の顔の鼻から上部分が映っておりさらに小癪なことにたるんだ額らへんで俺の本名である「鶴久つるく千太郎せんたろう」の黒文字がばっちり刻まれてあった。


 なんてことはないはずなのに、そんな光景につい囚われてしまう。酒もそうだが、勤め先のホテルでここんとこ休みなく働いてたのと、深夜特有の舞い上がった気分が手伝ってかつてないくらい笑いのドツボに俺を引き込んでくる。


「クックックックッ…………まるでキン肉マンみてえじゃねえか…………!」


 ケタケタと笑うたびに、その振動が手元へと伝わり右手に握られたロング缶に少し残ってたチューハイがチャプチャプ音を立てる。


 たまらず缶を置いて両手の平でを作ると徐に提げた面へおっ被せた。そして、そのまま笑いが治まるまで俺はひとりイート・インのイスに跨りわななき続けた。


 真っ暗な視界にこだまする俺の笑い声。それ以外は、コンビニの空調くらいしか聞こえてこない。ああ、なんて楽しいんだろう。


 しばらく経ち少し醒めてくると、盛り上がっていた気持ちは何処かへ去ってしまいすぐさま己が現実と対峙させられる。


 夜も更けたコンビニの窓際に反射する自分が映っていた。


 まだ十分酒が残る真っ赤な顔は、ハリのないカチカチの肌をしていてアラフォー特有のものである。ネクタイを少し緩めて露わになったカッターの襟は黒くくすんでいた。脱がずにそのままな背広の左胸ボタン穴には、全国に幅広く展開しているホテルチェーン「ウーバー・イン」の勤務者であり雇われオーナーの証であるホテルのロゴが添付された長方形のバッジが嵌め込まれている。


 そこで一旦視線をずらすと、いつの間にか舞い戻ってた東南アジア風の店員がカウンター越しに分かりやすいくらい困惑の表情を浮かべ俺を睨んでいるのに気付いた。


 流石にバツが悪くなり、あらかじめ買っておいたウーロン茶をがぶ飲みして少し残してからビニールに入れる。残りは後で飲もう。


 テーブルの上に転がった酒と肴の残骸を設置されたゴミ箱に捨て入れると、俺はすぐさま店を後にしようとした。


 すると自動ドアの前にいた俺に、突然例の店員が片言の日本語で呼び止めてきた。


「マッテ! オキャクサン!」


 とっとと店から出たかったが、堪えて後方へと振り返る。


「え?」


「アブナイ! クルマガーーーー」


 店員が何かを言いかけた直後。


 けたたましいエンジン音と共に自動ドアの向こう側がバーッと白く輝いた。その眩しさに思わず俺が怯んだ瞬間、突如として正面から巨大な鉄の塊が勢いよく自動ドアを打ち破り突っ込んできた。


 衝突する寸前、急に視界が開け文字通りあらゆる物全てがゆっくりに見えた。


 ボンネットに四つ葉マークが貼られたプリウスが、ジリジリとこちらへ向かってくるのが手に取るように明らかだった。フロントガラス越しに運転席でハンドルを握る推定後期高齢者が拍子抜けした表情のまま強張っていた。


 だが、肝心の俺はあまりに突然のことで身体が硬直しきっていた。


 昔見た映画だと襲いかかって来たトラックが突っ込む瞬間咄嗟に地面に寝っ転がりそのままやり過ごしたり、銃弾の雨を身を躱すだけで防いだりするシーンがあったがそれは所詮映画は映画なんだと四十近くの今になってようやく知れた。銃弾はともかく今まさに自分にダイブしてくるクルマすら対処しきれないなんて、人間ってそんなものか?


 つか、こんな時だってのになんで俺たいして好きでもない昔の映画の思い出に浸ってるんだ? もう車はとっくに自分の目と鼻の先だってのに。もしかして、これが所謂走馬灯ってやつか。


 うわーマジかよ。


 バンパーが腹に達して来ちまった。これで後数秒すれば俺の亡骸はキングジョーよろしく真っ二つに分かれて、ある意味ミンチより酷いことになるのは避けられまい。

 

 さて、バンパーがヘソにおっ突いたまま馬力全開で俺に襲いかかって来てるところで、店員をチラ見すると目をギュッとつぶり後頭部を両手で覆い姿勢を低く保ちガードしているのがわかった。災難だったなあ、よりにもよってこんな田舎のコンビニで夜勤バイトに来たのがそもそもの運のツキってわけだ。まあ、せいぜい死ななかったことが不幸中の幸いなんだから上々じゃね? せめて気にするなと励ましてやりたいが、こんなんじゃ伝えられそうもないしそもそも一言も声を発せられない。


 一方、俺の腹にくっついた車はというと、等速的な進行と持ち前の重量でミシミシと俺の身体をゆっくりゆっくり押し潰そうとしていた。アバラはもう半分以上折れその先の内臓にまで達しそうだった。


 ああ、痛え。どれくらい痛いかって言うと、昔できた奥歯の虫歯をうっかり放置してそのまま腐らせちまった時の次に痛え。


 とうとう口から血が噴き出した。もうとっくに内臓はお釈迦になっちまってる。いや待てよ、痛みがあるってことは少なくともまだ命があるってことだ。つーか、俺ってこのまま無事に死ねるのかよ? もう事ここまで及んだら流石に助かりたいなんて思うやつはいないかも知れんけど。


 つか、さっきっから腹ンあたりが尋常じゃないくらい熱いんだけど?! 


 かれたところから出た自分の血の温度なのか、車が衝突した時の摩擦エネルギーが今もなお健在なのか知らんがヘソ周りが死ぬほど熱くなってる。いや、死ぬんだけどね?


 この間トイレでタバコ吸いながらウンコしてて大と一緒に火のついたタバコを便器の中に突っ込もうとしたらうっかり金玉に根性焼きしちまった時の、アレの百倍は熱い!


 ヤバイ、死ぬ! 熱すぎて死んじまいそうだ、もう死ぬけど!


 くそう、流石に長すぎるだろう俺の臨死体験! こんだけ長くなると大抵の読者は全部読み終える前にブラウザバックしちまう! もうこれで四作目なんだろ? いい加減物書きらしく展開の頃合いってもんを分かれよ、作者!


 畜生、思えば生まれついての貧乏暮らしで、中学卒業と同時に働いて働いて……さんざ寄り道してようやく流れ着いたホテルの仕事が軌道にのっかり、やっと一城の主らしく盤石になって来たってのにこんな無様な終わり方をするなんて。


 確かに俺の人生、恵まれてはいなかった。でも、だからと言ってけして捨てたもんじゃなかった。頑張れば、お金がもらえて、それで飯が食えて……。たったそれだけでも俺には十分すぎるぐらい幸せだった。ホテルオーナーとしても働きに来るやつは大概甘やかされて育ったガキばっかで大変だったけれど、皆俺の若い頃に比べれば聞き分けもいいから仕事の覚えも早くてむしろ頼もしかったな。死んだらもう働かなくていいけど、同時にもうあいつらとも会えなくなる……なんか寂しくなって来た。


 まあ、どのみち間違いなく逝ける。


 決定的な何か……俺自身の中にある決定的な何かが壊れればどうせ生きてはいられない。さあ来るぞ来るぞ、来るっ!




 グシャアッ!




 ああ、壊れた……たった今俺の中で決定的な何かが車に轢き潰されて、音を立てて壊れた……。


 足の感覚が全くない。目も霞んできて何も見えなくなってきた。あれだけ腹が熱いだなんだと騒いでたのに、今度はとてつもなく寒くなってきやがる。


 でももし、またどこかで生まれ変われたら、またホテルのオーナーになって来たお客たちを必死にもてなしてえなあ。今度は雇われなんかじゃなく正真正銘本当のオーナーとして。


 てかそんな事考えてたら、いろんな思いが込み上がって……。


「ーーーーぐはぁっ…………!」


 ドグッシャアアアアアアアアアアアアアアンッッッッ!!!!


 こーして、俺はコンビニ店内にて老人が乗って来た暴走プリウスに突っ込まれて逝くという非業の死を遂げたのだった。


         完












(言えない……。実はもうちょっとだけ続くんじゃなんて、言えない……)




 



 


 

 



 

 

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