りんごほっぺはそして、帰ることになった

「……帰ります」



 花ちゃんセンセーは、先生なのに、子どもみたいにそう言った。スネてる?


「はあ。ご自由に、どうぞ。駅まで車で送らせましょうか」

「けっこうです! 子ども扱いしないでください!」

「しかしいらっしゃるときには使用人に迎えに行かせたでしょう。けっこうね、遠いですよ、ここから駅まで。駅まで歩くつもりなら下り坂込みで二十分は見ておかねばですけど」

「そのくらい、歩けます! おとなですから!」

「いえ、あなたはそうでしょうけど、餅崎さんの脚ではおつらいのではないですか。しかももう夜道ですよ。あなたがつれてきたのでしょう。まさかあなた、餅崎さんにも歩かせるつもりではないでしょうね――まさか」


 花ちゃんセンセーはキッとおばさんをにらんだ。

 ぼろり、ってでっかい涙をひとつぶ――。


「すみませんが餅崎さんのことをよろしくお願いします! どうやら初対面のあなたのほうがよくわかってらっしゃるようですので! 私は自分ひとりの脚で、歩いて帰れますので、けっこうです!」

「はあ。そうですか。それでしたら、どうぞどうぞ、おひとりでお帰りくださいな。あぁ、それとですね、先生」

「まだなにかあるんですか!」

「本日のうちに担任の田畑先生のほうには、ご連絡をしておきますのでね。……田畑先生はたしかちゃんと教師でいらしたでしょう。無骨にはすぎますが、まあそれは体育を生業とする人間の愛嬌のうちでしょう、教育者としておおむねまっとうなおかたと存じておりますのでね」


 花ちゃんセンセーは、もうひとつぶ、泣いた。

 けど、もうその顔それ以上、悪くなりようがないって感じ。

 それほど、赤オニみたいなカオしてた。


「もう、なんでも、ご自由に、どうぞっ!」


 マンガのザコキャラみたいに言うと、そのまま、バババッてあっというまにこの家を出ていっちゃった。……え。あたし。ほんとに、取り残された?

 コンコン、とひかえめなノックの音。ドアは開かないまんまで向こうから声がする。


「あ、のー。西園、ですけど。いま、すごい音で、その、先生、が」


 おばさんがドアを開けた。

 口裂け女みたいなんだけど口裂け女みたいじゃないおかしなお手伝いのおばさん、西園さんがいた。


「あぁ、問題ないです西園さん。騒がせてしまってすみませんねえ。あなたもう上がりの時間でしょう、あら、十五分も過ぎてしまいまして、すみませんね。こちらもあの――先生、と話し込んでしまいまして」

「いえ。かまい。ません。本日は、これにてで、よろしいのです、か」

「ええ、上がってください。お疲れさまです。十五分過ぎたぶんは上乗せしておきますのでね」

「あ、あ、あの、飯野さん」

「はい。なんでしょうか」

「書類、が、半端なところで、終わってしまって、ますので、その、すみません」

「いえ、かまいません。半端ったって、あなたいつも進めすぎてそのぶん次の書類が半端になるのでしょう。むしろ次の次の次のくらいですか」

「……すみま、せん」

「いいえ、責めているのではないのですよ。優秀な人材はこちらとしても助かりますのでね。お礼を申し上げたかっただけです。まあ言葉より具体的に示したほうがいいですかね」

「……その、こと、なんですけど。あの。あぁ。しかし、子どもたちの、前で、言うことでは……その」

「お給料の色のことでしたらそれ以上聞きませんよ。先日も申したはずです。あなたは優秀です。優秀な人間に金が行き渡るのは当然のこと。よろしいですか」

「……でも」

「そこまで気になるのならばあなたのかわいい赤子に金をかけてやりなさい。それが、教育というものです」


 西園さんは気まずそうにこくりってうなずいた。……ま、あたしにはなんの話をしてるのか、よくわかんないけど。ケーザイ?


「……あの、それでは、せめて。そこの、お客人を、ともに、乗せて……いきましょうか」

「あぁ。本日は夜番のかたは来ないんですよね」

「はい。本日、は、奥の担当は、私が、最後です」

「それではお願いしていいですか。すみませんね、西園さん、なにからなにまで。……あなたのことはほんとうに重宝してるんですよ」


 なんか――おばさんは、使用人のおばさんには、ずいぶんやわらかい態度だ。

 っていうか、あたし。この西園さんっておばさんといっしょに帰ることになるのかな――?

 あたしのガン見に気づいた西園のおばさんが、ニタァ……って、笑った。やっぱこういうとこは口裂け女みたいだ。


「わた、し、と、で、いいですか」

「そーゆー言い方すると怪談っぽいからやめて!」


 あたしは場を明るくしようと思ってちょっとズレてるってわかってることを言った。

 でも、いまいち盛り上がらなかった。


「帰るの?」


 未来が聞いてくる。


「帰るよーっ。あたしにだって、家くらいあるんだから。お母さんとお姉ちゃんがいるし。そんじゃねー。未来、天王寺さん、バイっ」


 立ち上がりながら、ワザと軽い調子で言ってのけて、流行りのあいさつをしたのに――天王寺さんはあたしよりずっと低い位置で、あいまいに笑って、また、うつむいちゃった。……ヘンなの。きょうは、なんもかんもが……。

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