おばさんはついに……

 トツゼンの花ちゃんセンセーのヤバイ登場に、あたしたち子ども組はシンとした。

 花ちゃんセンセーはいつもは近所にいそうなお姉ちゃんみたいなカワイイ先生なのに、いまはただ真っ赤で、でかく見えた。


「天王寺さんっ」

「――はひっ」


 公子ちゃんも、ビビってる、さすがに。

 花ちゃんセンセーはドスドスドスってふだんじゃありえない恐竜みたいな歩き方で、公子ちゃんに迫った。カーペットの上にすわってるままの公子ちゃんはビクッてして、からだをさらに未来の足もとに寄せた。

 花ちゃんセンセーがそのままマンガのバトルみたいにぐわってむなぐらつかんじゃうんじゃないかって、あたしはハラハラしてた。でも、そんなことはなかった。花ちゃんセンセーはしゃがみ込んで公子ちゃんに視線を合わせた。でも、それはそれで、距離近すぎだしこわそうだった。


「天王寺さん、あなたなにしてるの!」

「……は、はぇ……?」

「こんなふうに、首輪もつけちゃって! カチューシャも! グローブも! ねえ!」

「……あ、あぅ」

「あなたはなにをしちゃってるのかって先生訊いてるの!」

「ねえ、おばさん」


 ゾッとするくらい冷たい声で割り込んできたのは――未来だった。見ると、さっきあんなにじまんしいだった宿題なんてどうでもよさそうにホーチしてるし、花ちゃんセンセーを見る目も冷たい。


「私はおばさんじゃありませんっ。先生ですっ」

「知らねえよ、おばさんだよっ。おれのガッコのセンセーじゃねえもん。おれのガッコのセンセーにもヒスはいるけど、わざわざひとんち来てまでのヒスはいないもんよー」

「あ、あ、あなた……まったく、家がおかしければきょうだいもおかしいのね……」

「はぁ? あんたもしかして、おれのことゆってる? ちげーっよ。おれはコロの飼い主だもん」

「こんな家はおかしいわ! そう思うでしょう、公子ちゃん! あなた虐待をされているのよ? つらいんでしょう? 嫌なんでしょう? かわいそうに。先生が、助けてあげる。いまにお絵描きだっていっぱいできるようにしてあげる!」

「あ、あうわう、う、うぅっ……」


 公子ちゃんは首をふるふる横にふって、涙ぐむ。首輪の鈴がりんりんと小さく鳴る。


「かわいそうに、このおうちが怖くてモノも言えないのね? いますぐ先生と児童相談所に行きましょう、そうだわ、いますぐこれから行きましょう、ねっ、児童相談所にもクレヨンといっぱいの色鉛筆があってね――」

「コロはおれらにビビってんじゃなくてあんたがうるさいからビビってんの!」


 未来がめっちゃでっかい声で叫んだ。……おとなしそうな第一いんしょーなんてどこへやら、だ。


「あ、あうぅ、未来さまぁー……」


 公子ちゃんは未来の足もとに涙を浮かべながらしがみついた。

 花ちゃんセンセーは先生のくせに、子どもの未来をキッとキツくにらむ。


「あなたもこの環境がおかしいって気づきなさい!」

「おかしいのは、おばさんだろ。コロがかわいそうだろ」


 未来は公子ちゃんの頭に手を乗せて小さく引き寄せてやった。


「……きゅん……」


 公子ちゃんは犬みたいな声をもらすと、未来の脚にもっと強く肉球グローブの手ですがりつく。

 未来はキミョーに静かな目で花ちゃんセンセーを見上げた。


「ほら、コロ、こわがってたんだよ。かわいそう。おばさん、なんなの。ひとんちに勝手に上がり込むなんてそれでもおとななわけ」


 ……なんかオトナみたいな顔つきだったから、あたしはやっぱなんかこの家はうまく言えないけどすごいなぁって――思う。


「私は――その子のすばらしい芸術的才能を――!」

「……やめませんか。相手は、子どもたちですよ」


 あきれたようなおもーいため息。

 見ると――さっきのサングラスエプロンのヘンなおばさんがいた、こうやって立ってるとますますずんぐりむっくりってカンジ。



 ヘンなおばさんは、あいかわらずヘンなんだけど、ある意味もっとヘンになってた花ちゃんセンセーの肩をがしっ、てつかんでくれた。まるでお母さんが好きな刑事ドラマで刑事さんが犯人をつかまえてくれるときみたいだった。なんか、優しく声かけたりするんだよねー。犯人なのに。悪い人なのに。

 花ちゃんセンセーは血走った目でひどい顔でおばさんのほうを半分ふりむいた。


「……い、いくら保護者でも、暴力的行為に訴えるのであればっ……!」

「いいから、落ち着きなさい」


 おばさんの声は花ちゃんセンセーと違って冷静なのに――なんか、すごく、ぞっとした。

 足もとから冷えてくる冬の日のカンジ……え、なに、いまも。


「あなた、いま、この場でもっとも子どもであることにお気づきですか」

「……な、なにを言うんですか、私は教師ですよ……」

「ええ。非常勤の美術の教師。担任は持っていない、したがって個別指導の権限もない。ましてや家庭訪問に独断で来られるはずもない。……そんな、教師ですね」

「あ、――あなたになにがわかるっていうんですか! あなたが! なにもかもがおかしなこの家が! あの子のすばらしい才能を潰そうとしているんですよ!?」


 花ちゃんセンセーはバッと腕を広げて公子ちゃんを示した。公子ちゃんはそれだけで、はうっ、とまた、おびえる。


「あなたたちはわかってないんです、あの子の才能を! あの子の芸術的才能は底知れないものがあります。同年代の子どもたちより頭ひとつ、いえふたつは飛びぬけています、中学生だって言って出したってだれも気づかないようなものを描きます。それに加えてこの素直な気持ち! 言われたことを言われるままに素直に直す、その姿勢ですよ、それこそが才能! あの子なら私が適切に指導すれば私よりももっとずっと上のすごい画家になる、そんな潜在能力をもっているんです――!」


 しん、と静まり返った。

 おばさんは、ほう、とため息とも言葉ともつかない声を、出した。


「ついに、本音が出ましたね」


 えっ? ――花ちゃんセンセーはなにも言わない。

 けど、その顔は、すごく青白い。


「……なるほど。そういうことですか。ねえ、先生。あなたには同情いたしますよ。あなたのストーリーはわたくし程度のかかわりの人間でさえ容易に想像できる……あなた、おおかた、天才を目指して、それなりの能力があったから美大に入ることができて。けど、花開かず。やさぐれながら、しかしきちんと保険として取っておいた教員免許で小学校に就職。……そこで諦められたらよかったのですよね。そうですか。コロが。……そんなところまでひとさまの人生をかき乱しましたか。まったく……」

「……あ、あぅ」

「いえ、コロ。あなたは悪くないのです、あなたのせいではないのですよ、あえて言えばあなたがほんとうに良い子なゆえに――ほうぼうで、悲劇が起こるだけなのです」


 あたしには、なに言ってるかわかんない、もちろん。

 けど、勉強のできる未来も、おとなっぽくて頭のいい公子ちゃんも、この言葉にはよくわかんないって顔をしてた。


「コロがあなたの……夢とやらを、刺激してしまったのでしょう。ええ、コロは絵がじょうずです。家ではほとんどお絵描き道具など握らせませんでしたのにね、どうやら美術の成績がよいとは一年生のころから担任の先生から聞いておりましたので。……しかしですね。先生。よくよく、聴いてくださいね。コロができるのはなにも美術だけではない、あなたは美術のことしか興味があらせられないでしょうから申し上げておきますけれど、コロの成績は全体的にとても良好なのです。……あなたが言ったこの子の才能のなかで唯一当たっているものがあるとしたら、せいぜい、『言われたことを言われるままに素直に直す』ということくらいなものでしょう。……じっさいコロには信じられないほどプライドが欠けていますからね。もっとも、わたくしどもがそのように育てたからなのですが。よく育ってくれました……」


 おばさんは公子ちゃんのそばに歩み寄る。公子ちゃんは未来の脚にすがりついて泣きそうな顔をしている。おばさんがそこにしゃがみこんだ。公子ちゃんはちょっとだけびくっとする。けど、おばさんが、「コロ」って優しい声で呼ぶと、おばさんにもすがるように顔を上げた。おばさんは公子ちゃんの――あごに、手をねじ入れるようにした。公子ちゃんは素直に顔を持ち上げて、あごをさらけだした。おばさんは公子ちゃんのあごをそのままなでてあげてた。公子ちゃんはちょっとリラックスしたみたいに気持ちよさそうにしてる。すんすんともきゅんきゅんともつかない声で鼻をすすっていた。

 わあ。すごいなあ。……ほんとうに犬みたいなんだ。

 おばさんは公子ちゃんのあごを犬にするみたいになで続けながら、話を続ける。


「たしかにこの子は美術もできるのでしょう。あなたという美術の教師に言われたことを忠実に守り、あなたの予想よりもちょっと色をつけた成果で課題をこなしてくるのでしょう。じっさいうちでもこの子はあなたの美術の課題もまじめにこなしていましたよ。この子の人間の時間をあまり増やさないでほしいものですが……元凶はあなたでしたか。クラブ活動のわりにはどうにもおかしいと思っていましたよ。……餅崎さん」

「ひゃ、えっ、あたしですか?」

「はい。あなたです。あなたにはイラスト美術クラブで課題というのは出ているのですか」

「課題、とかは、あたしたちは、ないですけど……」

「……まぁ、そうでしょうね。……先生」


 おばさんは公子ちゃんの頭をポンポンってなでてあげると、ふたたび立ち上がった。


「あなたの夢はあなたの夢なんですよ。……たまたま優秀な児童を見つけたからって、指導者として成り上がれるかもなんて、ゆめゆめ思いませんように、お見苦しい。あなたの才能とやらは存じ上げませんがまぁその性根でしたら大成しませんでしょう、もういちどアドバイスして差し上げましょうか? ――街中の小さなギャラリーからでも謙虚にやりなおしなさい、と。あなたのプライドはぶくぶく肥えて大変、醜いですよ。それと」


 おばさんはそこではじめてぎゅっと眉をしかめた、眉が動いたんだ、――あ。


「コロのことを、あの子、あの子とおっしゃいませぬように。この子は、うちの子です。……あなたはなんの権限があってうちのかわいいコロをそんなふうに身内みたいに呼ぶのですか。わきまえなさい!」



 ――ねえ、これ、ぜったいヤバいよ。



 あたしはなんか、自分がこわがってるのかそれともちょっと楽しいのか――あんまり、よく、わかんなかった。けど、なんか……あたしも、コーフンしてた。なんでだろ。

 花ちゃんセンセーは顔をまっかにしてた。ゆでだこみたいに。ふだんはあんなにかわいい先生なのに。

 なにか、叫ぶかな、ヒスるかなって思った。

 けど――花ちゃんセンセーは、力なくうなだれただけ、だった。

 でも、あたしは見ちゃった。――にぎったこぶしがとってもぷるぷるふるえてたこと。

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