りんごほっぺは天王寺さんの耳をしょぼーんってする

 ……「どうしてわたしがそんなことする必要があるのか」。

 天王寺さんは、そう、ゆった。

 だからあたしは、うん、訊いてもいいのかなって――ビビりながらも、切り出した。


「ねえ、天王寺さんは――そんなことする必要がある、の?」

「ん。なにがでしょうか?」


 おうむ返しだけど、天王寺さんはそうゆう細かいことを怒らない。お姉ちゃんは怒るけど、天王寺さんのほうがやっぱりオトナっぽい。

 ……そういえば、あのサングラスのおばさん、さっきあたしのほうが花ちゃんセンセーよりオトナだとかたぶんそういうこと言ってたけど、さすがにそりゃ、ないないないわーって、あたしも手をぶんぶん横に振ってトシマのおばさんみたいに否定できるよ。


「えっと、なんつーかさ」


 あたしは、言葉を必死にさがす。


「そういう、犬ごっこ? みたいな、やつ? っていうの?」


 天王寺さんはすっと表情を変えた。なんていうか、さっきみたいなビビっちゃうようなコワい顔じゃないんだけど、落ち込んでる? のかな。真剣? っていうか。真面目すぎ? シリアス?

 しょぼーんって、してる?

 ……あ。そうそう、それだ。しょぼーんって。

 そういえば、おばあちゃん家の犬が、ときどきこうやってる――あれ? でも、天王寺さんは犬じゃないもんね……。

 だっておばあちゃん家の犬はしょぼくれると耳を垂らすけど、天王寺さんの犬の耳は、カチューシャだから動くわけもないし。


「……あの。わたしは、餅崎さんのこと、いいひとだなって思ってます」

「……やだなー、なにー、いきなり!」

「うん。でも、それは前から思ってて……あの、あぅ。わたしは犬だから、人間のひとたちのこと、判断とか評価とかしちゃ、いけないの、知ってるんですけど。でも……あうぅ。餅崎さん。……いまからわたしの言うこと、秘密にして、くれますか?」

「うん。もちろん。ぜったい、秘密にする」


 あたしは――わくわくしてた。

 これから、きっと、秘密の話が、はじまる、しかもあたしが――天王寺さん、と!

「……学校のひとたちはどうして未来様みたいじゃないんだろう、って」

 天王寺さんはまっすぐどっか遠いとこを見ていて、その目はビビっちゃうくらい暗かった。……そっか、死んだ魚のような目ってこういうのなんだと思う、るかがよくウチ死んだ魚の目だわーとか言うけど、ちがう、ちがう、……そういうんじゃない、これだ。


「未来さまは、あんなに、優しくて、頭がよくて、なんでもできて、コロの自慢のご主人さまです」

「未来くんって、あの未来くんでしょー? えー、そんなにいいひとなのかー? にこも会ったけど、ちょっといじわるだったよ。……天王寺さんのきょうだいとかじゃないの?」

「いいえ、違います。それと、未来さまは、ほんとうにほんとうにほんっとに、すばらしいかたです」

 もんのすごく、きっぱり、言われた。

「えー、だって名字もおなじだし、未来くんも五年生なんでしょー?」

「未来さまは……違うんです、わたしのきょうだいなどではない。戸籍上そうなっちゃってるみたいですけど……それはわたしが犬のかたちに生まれることができなかったから。わたしの、せいなんです。わたしはほんとうは犬なのに、わたしが間違って生まれちゃったから、未来さまにも迷惑をかけてる……」


 天王寺さんは膝を抱いて、また、あのしょぼくれた感じになった。


「でも、未来さまは、それでもコロを捨てないんです」


 笑っ、た。ヘン、ヘンだ、ちょっとにっとしただけで、どうしてこんな――



 このひとはしあわせそうに見えるんだろう。



「そういう、すごい、おかたなのです。……けど。あぅ。……ほんとの、ほんとに、秘密ですよ?」

「うん、だいじょーぶだって、あたし意外と口かたいから、チャーック!」


 あたしがおどけて口にチャックをする動きをすると、天王寺さんもくすって笑ってくれた。


「……学校のひとたちは未来さまより、うるさい」

「うるさい?」

「はい。……学校のひとたちの声は、わたしには――うるさいんです」


 ……なんか、秘密っていうからかまえたんだけど、あたし、よくわからなくて……。

 でも天王寺さんがしょぼくれてることはわかった。

 から。

 あたしは天王寺さんのカチューシャの犬耳をえいって曲げてやっちゃった。


「えいっ。しょぼーん」


 天王寺さんはぱちくりしてる。

 にこはニイッて笑った。わかってるよ、って、――伝えたくて。


「こうすればもっとワンちゃんぽいでしょ?」


 天王寺さんはちょっとびっくりした顔して、そのあとにすぐ、あ、そうですねって――笑ってくれたの。やっぱり、その顔で、――あたしがずっとずっとずっと気になってた天王寺さんのその、ままで。



 そのあともあたしたちは他愛ない話をした。算数の先生のこととか、副担任の先生のこととか、運動会のこととか、イラスト漫画クラブのこととか……あと、花ちゃんセンセーのことも。

 花ちゃんセンセーのこと、好き? と尋ねたら、まじめな顔で考え込んで、才能のあるおとなのひとだと思います、なんてかしこまって言うから、あたしはふざけて天王寺さんの肩のあたりをかるーくぶった。

 天王寺さんはやっぱりときどきとんちんかんで、自分が犬だみたいなこと言ったけど、そーゆーの否定しなければ天王寺さんはもっとふつうに親友みたいに笑ってくれるって知って、あたしはだんだんわざと天王寺さんのカチューシャをいじったりグローブをいじったり、そういうことをはじめた。

 べつに、カッコと言ってることがヘンなだけで、天王寺さんはぜんぜん、ふつうだった。

 ふつう、だった。――そんなに無邪気に笑うんだね、ふだんはもっとおとなしいカンジで笑うのに、そんなふうにもお家だと笑うんだね、笑うことができるんだね、って……。


 そんな感じでふたりでくすくす楽しく笑っていたのに、――ふと天王寺さんの顔がこわばった。


「……でさー、るかったら、自分は絵がうまいと思ってるからさー、花ちゃんセンセーに……あれ? 天王寺さん? ……どうかしたの?」


 このお家はいろいろとおかしいんだってことはあたしもいいかげんわかってきたから、なにが起こってもあたしはパニクらないようにしようって思った、……衝動的にならないように。

 天王寺さんは体育座りからまた犬のおすわりみたいなカッコになっちゃって、「……きゅん」とひとこと、言った――言葉っていうかほんとにワンちゃんが鳴いたみたいで、びっくりした。天王寺さんってほんと犬の真似がうまい。これだったら、学芸会とかでも犬の役をすればいいのに。

 それはそれなんだけど、天王寺さんがいきなり縮こまっちゃった理由があたしにはよくわからない。なにも変化はないように思える。

 と、あたしがきょろきょろしてたら、パッパッパっていう足音がして、カタン、と玄関からドアが開く音がした。あたしがいつもお姉ちゃんにうるさいって怒鳴られるみたいな開け方じゃなくて、もっと静かな音だった。

 だから、天王寺さんのお母さんとかかな? って思った。そういえばこの家にはさっきのヘンなエプロンサングラスのおばさんや、あの嫌な未来くんって男子はいるけど、そういえばあたしは天王寺さんの家族っぽいひとに会ってない。ほんと、ヘンな家。だけど、お金持ちの家だから、そういうヘンなこともいろいろあるのかなってあたしはオトナになって空気を読んだ。KYは嫌われちゃうから、あたしべつにいまも人気者じゃないけど、そうじゃなくて、……だって、いまはあたし、天王寺さんがいるんだし。

 けど、オトナみたいな音と仕草でこの部屋の扉を開けたのは――その嫌な男子の未来くんだった。

 未来くんは扉を細く開いて、こちらに顔を半分のぞかせている。


「ただいま、コロ、どうしたんだよ、きょうは玄関まで出てこないでさ――」


 と、あたしの存在に、気づいた。


「おじゃましてます」


 あたしはむしろ意地でそんなしっかりしたことをわざと言って頭をぴょこりと下げた。


「あれ。また、来たんだ」

「来ちゃいけない? あたし、天王寺くんの友だちだもん」

「ううん。いけなくはないですけどー。……コロもそういう友だちとかっているんだな」

「なに、天王寺さんに友だちいちゃいけないワケ? なんのケンリですかー?」


 未来くんはちょっと馬鹿にするように小さく笑った。

 隣の部屋からパタパタと音がする。さっきのお手伝いのおばさんの声だ。


「未来、さま、おかえりなさい。お手て、洗いましたか?」

「ううん、これから。ちゃんと洗うからだいじょうぶだよ、僕の手洗いのところチェックしといていいよ。西園さんきょう五時までなんでしょう」

「いいの、ですよ。坊ちゃんが、そんなことまで、気を、つかわれなくても」

「でも、西園さんの赤ちゃんがさみしがっちゃうじゃーん。いまから洗ってくるからね。ちゃんと石鹸も使うから、ほんとっ」


 未来くんの声は遠ざかっていく。すぐに水の流れる音が聞こえてくる。

 ……あたしは、正直、びっくりした。

 だって、あたしと話しているときも西園さんと話しているときも、天王寺くんが、なんだかいまはどこにでもいそうなうちの教室にでもいそうな、ただのふつうの男子だなあってあたしは感じたから――なんで?

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