第04話 ガイドと絵本

 僕はいつだってクールなジェントル。


 どんな状況にだって冷静かつ的確に対処をしてみせる。ドンと来い艱難辛苦。


 ——だったなら良かったんだけど。僕はやっぱりそんじょそこらの高校生で、許容出来る困難のキャパなんてたかが知れてるわけで。


 ——どうしたもんかねえ。


 身体は全身もふもふのクマのぬいぐるみになってしまい、おそらく現実の世界ではお腹を包丁でぐっさりと刺されて安否不明。


 依然として目は覚めないまま、夢の中の世界に居る。


 今までの夢と違って、五感を感じる事が出来て、身体を自由に動かす事も出来てしまう。

 まるで現実と区別がない。


 寧ろ僕の意識があるのはこちら側で、僕の現実は夢の中の世界にある——というのは流石に認めたくない。


 確証があるわけでもない。安易に結論を出すのは良くない。

 ——僕の精神衛生上。


 とりあえず当面はこの世界で現実に戻るための——夢から覚めるための手掛かりを探すしかない。


 ならばまず最初に当たるべきは——。


 僕はベッドですやすやと眠る少女の方へ視線を向ける。


 どう接触すればいいんだろう。言葉が通じないというのは、コミュニケーションを取る上で想像以上に高い壁となる。


 街で急に外国人に話しかけられ、目も当てられない程にテンパっていた遠い日の自分を思い出す。


 だがしかし、言葉の通じない外国人相手だって身振り手振りで意思疎通する事は可能な筈だ。要は相手に伝えたいという情熱だ。


 ましてや今の僕は、どこからどう見てもクマさんなのだ。

 この世の中にクマさんが嫌いな女子がいますか? 答えはノーです。クマさんを嫌いな女子はいません。


 つまり僕、無敵じゃん。


 よし、いけるな。








 いや、いけないでしょ。


 なに考えてんの。

 大きなクマさんが急に動き出したら怖いでしょ。どう考えてもホラーじゃん。

 それはいくらクマさんでも無理よ。


 ——うん。詰んだな。


 哀愁漂うポーズを取りながら椅子に座っていると、あっという間に朝がやって来た。


 ちょっ——待って、まだ心の準備が——。


「んー……——」


 気怠げな声が聞こえ、寝惚け眼の少女が起き上がった。


 両眼をぐしぐしと擦り、開いているのか閉じているのか定かでない眼をボーと宙に彷徨わせる。


 まだ僕には気付いていない。僕は何故かどんなポーズを取るかに迷ってあたふたとしてしまう。


 そうこうしている内に、少女はベッドから出てしまった。


 ふらふらと歩き出し、僕の目の前で止まった。半開きの眼で僕をじいと見つめる。


 結局ポーズの決まらなかった僕は、馬鹿みたいに佇むしかなかった。


 漸く僕の存在を認識したのか、ぱちくりと瞬きしていた眼がみるみる内に大きく見開かれていく。

 小さな口をあんぐりと開けたその顔は、まさに驚愕の表情。


 やばいやばいやばい。叫ばれたりしたらどうしよう。その前に少女の警戒心を解いて、どうにか交流の糸口を見つけないと。

 決して怪しい者じゃないんです。警察だけは呼ばないでくださいお願いします。とりあえず何かするんだ。ええと、何か。何か——


 ——土下座した。

 自分でも驚いた。だって気付いたら土下座してんだもん。

 凄く美しい姿勢で。

 人生初の土下座がこんなにすんなり出てきた事に、僕自身が一番驚いている。


 何も起こらない。叫び声もしない。警察——も勿論来ていない。


 僕は恐る恐る顔を上げた。


 瞬間。少女が僕に抱きついた。


 金色の髪が光のベールを纏いながら揺れた。


 僕は状況が理解出来ずに固まる。


 顔を上げた少女と僕の眼が合う。大きな碧眼は朝日に煌めく湖面のように凪いでいる。


 神によって造詣された天使は、満面の笑顔を僕に向けた。

 刹那の輝きを閉じ込めたような、瞬きの間に過ぎる青い春の欠片のような笑顔だった。


 そして嬉しそうに何かを話す。

 やっぱりちっとも解らなくて、ちゃんと解りたくて。


 少女は僕の手を引いて歩き出す。


 人生初の女子との手繋ぎイベントを、まさかクマさんの姿で達成する事になるとは、僕自身想像すらしなかった。


 手を繋いだまま、二人は部屋を出た。


 部屋の外には長い廊下があって、他にも扉が見えた。


 当たり前だけど、他にも部屋があったんだな。


 どうやら石造りの建物で、一定の間隔毎に天井からシャンデリアが吊り下がっている。

 やっぱり西洋風のファンタジーに出てくる城のように見える。


 物珍しげにキョロキョロと視線を彷徨わせる僕の手を、少女が引っ張った。


 僕を先導するように歩き出す。

 僕はされるがまま、引っ張られていく。


 少女は近くにあった扉の前で立ち止まり、僕を振り返ってニコと笑った。

 その後扉を開き僕を中へと導く。


 よく解らないまま僕はその部屋の中へと足を踏み入れた。


 普通の部屋だ。ベッドが置いてあって、その近くにテーブルと椅子。四角い窓からは柔らかな日差しが差し込んでいる。

 おそらくは客室だろうか。少女の部屋よりは小さいが、僕からしたら充分な広さの部屋だ。


 しかし、普通の部屋だ。


 ——この部屋がどうしたの。いったいなんなんだ。


 僕は戸惑いながら少女を振り返った。

 なんか凄い嬉しそうに笑ってる。なんだろう。あれだ。犬みたい。犬を飼った事はないけど、友達の家なんか行くとたまにいる、人懐こい子犬みたい。


 うん。すげえ可愛い。可愛いし、もうなんでもいいか。


 僕がへらへらと少女を眺めていると、少女は再び僕の手を引いて歩き出した。


 部屋を出て、また別の扉の前へ。

 僕を振り返り、満面の笑顔。


 ——なに、それもルーティンなの? うん。可愛いから何回でも見れる。


 扉を開き、やはり僕を中へと導く。


 さっきの部屋と同じ造りの部屋。置かれてる家具も同じ。同じく客室だろう。


 僕は少女を振り返る。


 うん。凄い嬉しそうに笑ってる。耳と尻尾が見えそう。尻尾が付いてたら、もう狂ったように振ってると思う。


 撫で回してあげたい。勿論背中とかね。


 少女はまたまた、僕の手を引いて歩き出す。


 ——ああ、城の中を案内してくれてるのか。

 オツムの足りない僕は、漸く少女の真意を理解した。


 それから少女のガイドで城の中を丁寧に回った。それはもう、ひと部屋ひと部屋丹念に。


 そのおかげで少女の住む城の全容は大方把握出来た。


 とにかく広い。いくつ部屋があったのか解らない。そして少女以外に住民は居ない。


 僕たちは手を繋ぎながら少女の部屋に戻るため、廊下を歩いていた。


 その途中、左側に突き当たりに向かって伸びる廊下があり、まさにその突き当たりに、まだ入っていない扉がある事に気付いた。


 どうせならと、僕がその扉へ行こうとすると、少女が僕の手を進行方向とは逆側に引っ張った。


 ん? いったいどうしたというのだろう。


 僕は不思議に思いながら、少女を振り返った。


 ——そして思わず固まってしまった。


 少女が今にも泣き出しそうな、悲しげな表情で僕を見つめていた。

 凪いでいた筈の湖面が揺れ、今にも溢れ出してしまいそうだ。


 僕の手を握る華奢な手に力が込められる。


 そんなに強く握られているわけでもないのに——なのに何故かとても痛い気がした。


 少女は首を左右に大きく振った。

 怯えたように、忌避するように。


 僕は進むのを諦めて元の道へと戻る。


 気にならないと言ったら嘘になるけれど、少女を傷つけてまで見たいとは思えなかった。


 先導して歩く少女の後ろ姿を見つめる。


 揺れる金色の髪の毛が、柔らかな霞のような光を吸い込んで儚げに輝いていた。


 少女の部屋に戻って来ると、少女はてとてとと僕から離れ、何やら絵本を抱えて戻って来た。


 絵本を僕に向かって掲げ、笑いながら何かを喋っている。


 なんて言ってるのか解らないけど、とりあえず頷いて相槌を打つ。


 少女は満足げに笑うと僕の手を引き、細かな刺繍の施された赤い絨毯の上に僕を座らせた。


 少女は僕の目の前に背を向けて座ると、僕の身体を背もたれにするようにして寄りかかってきた。


 僕が驚いていると、少女は見上げるような上目遣いで僕を見て、悪戯っぽい顔で笑いかけてきた。


 はい。反則です。このお姫様は僕の事殺す気なのかな。


 少女は絵本を声に出して僕に読み聞かせてくれている——多分。

 言葉も解らないし、絵本に書いてる文字も読めないけど、状況から考えるとそれしかないと思う。


 僕は絵を見てどうにか物語を想像する事にした。


『——どこかの国の美しいお姫様はある日、悪い魔女の呪いで醜い怪物の姿に変えられてしまう。

 醜い怪物になってしまったお姫様はそれでも、国のみんなを助けるために自分を犠牲にして魔女と闘い、苦しみながらも勝利する。

 しかし魔女が死んでもとうとうお姫様の呪いが解けることはなく、その醜い姿のために最後は国を追い出されてしまう』


 なんだか救いのない悲しい話だった。


 絵を見ただけだから、細かいところは解らないけど、胸の奥が締め付けられるような、悲哀に満ちた物語だった。


 少女がどうしてこの絵本を選んだのかは解らない。

 ——解らないけど、少女にとって特別な物語なんだという事は伝わってきた。


 ごめんなさい。心から謝りたい。凄く一生懸命に読んでくれているのが解るから、だからこそ何も解らない自分が余計に許せない。


 よし。言葉と文字を勉強しよう。


 この世界について知るためにも、少女と話したり本を読めるようになれば大いに役立つ筈だ。


 話す? そういえば僕って喋れるのかな。クマのぬいぐるみだから口が開くわけもないし、喋れるわけがない——常識的に考えれば。

 いや、でも動く筈のない身体がこうして動いてるしな。


 最初は動かせなかった身体が、急に動かせるようになったりもした。


 先入観で喋れないと決めつけていたけど、ものは試しだ。声が出せるか試してみよう。


 いつも通り声を出そうとしてみる。


 出ない。

 喉を震わせるようにイメージしてみる。

 やはり出ない。

 そもそも震える声帯が無さそうだもんな。


 何回か声を出そうとしてみるが、空気の漏れる音すら聞こえない。

 喋る事は出来ないのだろうか。いや、諦めるのはまだ早い。諦めるな僕。言ってたじゃないか。相手に伝える情熱が大事なんだ。情熱を。想いを。音に乗せるんだ。僕なら出来る。絶対に出来る。Ican do it!


 ぐうぬぅおぉぉぉぉぉぉぉ!








 ぷうぅぅぅぅ——。







「あかーん! また放屁してもうたー!」


 どうして屁の出る機能まで搭載してんだよチクショー!


 僕は顔面を両手で覆い、絨毯の上を猛烈な勢いで転げ回った。


 転げ回りながらも、空気を共有する少女の反応が気になり、恐る恐る顔を上げた。


 少女が驚いた顔をしながら、口をパクパクと動かして、何やら言っている。


『私の聖域を毒ガス部屋に変えるつもりかこのクソガス野郎が! テメェのケツ穴にダイナマイト突っ込んで細切れの肉片に変えてやろうか!』


 僕の脳内で妄想音声が再生される。


「ごめんなさいごめんなさい! 僕の身体はアップデートするとガスが放出される仕組みみだいなんでずうぅぅ」


『ふざけた事言ってんじゃねぇぞピーマン野郎! テメェは歩く生物兵器だとでも——』


 ん?


 少女はさっきから熱心に自分の口の辺りを指差している。


「口がどうかしたの?」


 言葉は通じないと解っていても、使い慣れた日本語はついつい口を衝いて出る。


 全く意思疎通の出来ない僕に困り果てたように、少女は頬を両手で覆うようにして考え込んでしまう。


「いやあ。その仕草も可愛いなあ」


 思わず声に出してしまった。しかし実際可愛いのだから仕方ない。




 うん。





 大丈夫。解ってる。







 なんか知んないけど——







 ——僕、喋ってるよね。



 いやあ、怖いなあ。僕の適応能力の高さ。

 そして穴の緩さ。


 ともかく声を出してコミュニケーションが取れると解った僕は、まず最初は少女の名前から聞いてみることにした。


 そのためにも、礼儀としてまずは自分の名を名乗る。


「アオバ。ア、イ、ダ、ア、オ、バ。アイダアオバ」


 自分を指差して(クマさんだから指差してというよりは手全体で指して)ゆっくりと発音した。


「アヲ、バ……?」


 たどたどしくも僕の名前を呼んでくれた。

 なんだろう。凄い嬉しい。


 なんでカタコトの日本語ってこんなに可愛いんだろうか。


「アオバ! そう、僕アオバ!」


「アヲバ!」


 少女が無邪気に笑いながら僕の名前を呼んでくれる事の幸せ。


「僕。アオバ」


 僕は自分を手で指して、それから少女の方へ手を向ける。「アオバ」自分を指す。その手を少女へ向ける。


 すると少女は理解したようで、何度か首を縦に振って頷いた。


 自身の胸に手を当てて、微笑む少女のぷっくらとした、だけど小さな唇がゆっくりと動いた。


「リ、コ、リ、ス。リコリス」

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