43.ノーヴィエ・ミェスタをどうしても「MM」の管理下に置きたかった理由

 どのくらい経っただろう? 彼の耳に、足音が飛び込んできた。

 こつこつ、とそれは硬い踵を持った靴の音のように聞き取れた。彼は耳を澄まし、「それ」がやってくるであろう右側の壁の出口に目をやる。

 足音が次第に近づいてくる。彼は動けないながらも、銃に手を掛けていた。

 だが、入ってきた者を見た時、彼はゆっくりと銃を下ろした。

 女に見えた。白い、袖無しの、何の飾りも切り替えもない、膝よりやや長いワンピースを着た、長い髪の女、に見えた。

 女はゆっくりと彼らに近づいてくる。丸腰であるのは見てとれたので、彼は銃から指を外すことはなかったが、とりあえずそれを女の視界からは見えにくい部分に隠した。

 こつこつ、と足音を響かせて近づいてくる。だがその動きは、ひどくぎこちない。

 中佐はその様子をじっと見据える。女は近づいてくる。そして立ち止まる。


「何をここでしていますか」


 やはりぎこちない声が、彼の耳に届いた。


「それはこっちが聞きたいね。あんたこそここで何をしているんだ」


 何せここに人間はいないはずなのだ。ここは、人間が捨てた筈の母なる惑星なのだ。だとしたら、これは人間に見えても人間ではない可能性のほうが高い。


「わたしはこの都市の端末です」

「端末?」


 中佐は思わず問い返していた。そう言えば、と彼は記憶をまたひっくり返す。捨てられる前の地球には、コンビュータ制御された都市が多かったのだという。


「そこにいる子は、レプリカントですね」

「何でそんなことがあんたに判る?」


 抑揚の無い言葉。中佐は違和感を感じながらも問いかける。


「判ります。レプリカント同士は、テレパシイがあります。この都市、わたしの中に彼が入った瞬間、その存在は確認され、この惑星上の全てのレプリカ脳をメインに持つ都市コンピュータに伝えられました。わたしたちは、彼を歓迎します。……ですが、どうしましたか? 彼は、機能を止めてしまっている」

「エネルギーを急激に消耗したからな。いい加減目を覚ましてくれないと俺も困るんだが」


 ああ、と端末の彼女はうなづいた。


「ちょっと触ってもいいですか」


 彼女はキムの額にその細い指先を触れさせた。動かない、その表情が、ほんの少しだけ、動く。


「もう大丈夫でしょう。ただ彼は疲れている。エネルギーは充分です。大変だったでしょう」


 ふうん、と中佐はうなづく。なるほどもう後は眠っている分か。だが言われたからと言って、それをそのまま信用することはできなかった。彼は胸に乗せているキムのほっぺたをぺたぺたと叩いた。

 ん、と声が喉の奥から漏れた。そしてゆっくりと目が開く。


「気がつきましたね」


 端末の彼女もぎこちない声で、そうキムに話しかけた。

 さすがに彼もまだ事態が把握できないようで、まず自分の位置を確認し、身体を見、中佐の位置を確認し…… やっと何が自分に行われているのか、把握した。

 飛び起きようとして、彼は引き戻される。


「いきなり起きるな。端子がちぎれたらどうする」


 眉を寄せると、中佐は先ほどの逆の手順を踏んで、ケーブルを外し始めた。外されて、やっと彼は身体を起こすことができた。


「それにしても、皮膚がびらびらしてるのは、見ていて気持ちいいもんじゃないな。おいキム、船にファーストキットくらいあったよな」

「確かあったと思うけど……」


 事態は把握した。だがまだ頭はふらふらしている。そして、起こった事実は認められるが、中佐がそうした、という事実に関して、彼はなかなか認められないでいた。


「そのくらいでしたら、わたしのもとにもありますが」

「ありがたい。何か『らしい』ものがあればいいんだが」



 端末の彼女は、やってきた時は同じ足取りで、彼ら二人を自分の「本体」まで案内した。

 途中、壁の無い、空に面した道を通る時、風も無いのに、草と花が妙に元気に動いていた。何だろう、と中佐は思ったが、彼にはそれは格別奇妙にも思われないものだった。

 どのくらい歩いただろうか。白い壁も無くなり、空も見えない地域に入り、幾つもの扉を抜けた時、そこには巨大な都市コンピュータの中央制御室があった。

 彼らが当初入り込んでいたのは、その外壁の部分だったのだ。

 二人が高い天井の上にまで広がる、やや旧式だが巨大なそのシステムの姿を眺めていると、端末の彼女は口を開いた。


「かつては、わたしと同じタイプの『都市』がこの惑星上にも多数ありました」

「ありました?」


 過去形か、と彼女に視線を移しながら中佐は思う。そう言えば、かつて都市は、皆女性の意志を移植されたと聞いている。


「今は無いの?」


 キムは訊ねる。


「眠っている者が多いです。起こせば機能しますが、大半は眠っています」

「眠っている」

「特にレプリカ脳を使った……わたしのようなタイプはそうです」


 キムの目が途端に大きく見開かれた。


「レプリカ脳って…… だって、あの時、全てのレプリカントが、破壊されたはず……」

「それは、情報によると220年前のことですね」

「知っているのか?」

「情報は、ここに不時着した人間から収集しました。大半はここの周辺に住んでいるデザイア達によってその進入を確認された上、わたしたちで処分いたします。人間ならば」

「デザイア」


 中佐は片方の眉を上げた。


「それは、もしかして、かつてこの惑星を浸食したという、合成花のことなのか?」


 はい、と彼女はうなづいた。


「先ほどご覧になったでしょう?」


 あれか、と中佐はうなづいた。風もないのに揺らめく草木と花。実にそれは彼の知る「合成花」より生き生きとしていた。


「人間のいなくなった世界で、彼らとわたしたちは、実に平和に暮らしています。人間の居る世界では考えられなかった程に」


 中佐は眉を軽くひそめる。


「ただ、わたしたちのタイプは、あの220年前の反乱の時に伝わってきた映像や思考や記憶…… そういったもののショックが大きくて、その時に『閉じて』しまったものも少なくはないのです」

「デリケエトなことだな」

「人間が、鈍感なのです」


 彼女は即座に返した。


「同じ種族で殺し合うのは人間だけでしょう」

「生きるためだからな」


 中佐もまた、即座に返した。

 彼女は表情を変えはしなかったが、次の返答までは、やや間が空くこととなった。そして黙って彼女は、ファースト・エイドを彼に渡した。

 そして彼はキムをちら、と見る。何やらまだ、何か戸惑った様な表情をしている。中佐はそれを見て、おい、と一言と一緒にファースト・エイドを投げた。


「貼っとけ」


 戸惑った表情のまま、彼はうなづき、一枚のシートをはがすと、自分の傷口に貼った。なかなか楽しい表情だ、と中佐はそれを見ながら思う。少なくとも、あのシートのように貼り付けた笑顔より、ずっと面白い。


「……あなた」


 端末の彼女の視線は、中佐からキムに移っていた。何、とキムは貼りながら問い返す。


「良かったら、あなたはここにずっといてもいいのですよ」


 キムの顔がぴく、と上がる。


「あなたはレプリカントでしょう。ここにはレプリカントがまだ残っています。皆生き残りのあなたを歓迎します。悪い話ではないはずです」


 どう答えるだろうか、と服のボタンをはめながら、中佐はキムからはあえて視線を外していた。もし残るなら、それはそれでいい、と彼は思っていた。そうしたいと彼が言うなら、あの盟主はおそらくそれを許すだろう。

 そして、そう思った時、彼の頭の中で、一つ結びつくものがあった。


 そうか。


 盟主があの惑星を…… ノーヴィエ・ミェスタをどうしても「MM」の管理下に置きたかった理由が、彼には判ったような気がした。

 無論資源とか、流通とか、様々な経済的政治的理由も絡んでいるには違いないが……

 それ以上に、Mはただ純粋にこの惑星への通路を欲しかったのかもしれない。

 人類が捨てた母なる惑星、そして、現在はこの、人間の支配から逃れ、人間以外の生物と、レプリカントとデザイアが浸食する惑星を。おそらくは、盟主の大切な預かりものである連絡員の「帰る場所」のために。

 キムはしばらく考えていたが、やがて微かな苦笑いを浮かべると、首を横に振った。

 いいのですか? と彼女は訊ねた。うん、とキムはうなづいた。


「あなたは軍服を着ていますね」


 彼女は重ねて問いかけた。


「そんな服を着ている、ということは、また殺し合いに参加するということではないですか?ここに居れば、あなたは平和に暮らせるというのに」


 キムはその言葉に一瞬目を伏せる。魅力的な言葉ではあった。だが、彼の中で、何かがそれを押しとどめた。

 その昔、レプリカントの首領が自分に言った言葉を思い出す。


 だってお前は変わってるんだもん。


 ずっとその言葉は自分を責め続けてきた。

 変わっている。違っている。だから自分は、あの光の中には入れなかった。

 皆と一緒に、同じ場所に帰ることはできなかった。

 だが、今この目の前の、自分を仲間のように見なす彼女を見ながら、その言葉が、奇妙に自分の中に染みるのを感じていた。

 確かそれを自分に言った時の首領の表情は、いつもどこか楽しげだった。だから言われていても、別段悪い気はしなかった。


 そうだ俺は変わってるんだ。違うんだ。


「俺はたぶん、レプリカにしちゃ、ひどく鈍感なんだよ」


変わっているなら、違うんなら。

 それはそれで、もういい。自分は自分だ。


「それでいいのですか?」


 彼女は訊ねる。

 うん、と彼はうなづきなから答えた。その顔には、笑みがある。だがいつもの貼り付いたようなものではなく、ひどく穏やかなものだった。


「……そうですか。では仕方がありませんね。でもわたしたちはあなたをいつでもこの惑星のどの場所でも迎えます。それはわたしたちの共通の見解ですから」

「ありがとう」


 中佐はそのやりとりを、頬をかりかりとひっかきながら眺めていた。

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