41.「あいにく俺は嘘は言っていないがな」
考えられないことではなかった。何せ自分は、とりあえず組織への参入によって、軍警から追われるという可能性はあったのだから。
だが。一応こう聞いてみよう、と彼は思う。
「……中佐…… 何故ここに」
「それは貴官がよく知っているだろう?」
実に不機嫌そうに中佐は答える。それ以外の答えを言うのは面倒だ、とでも言うように。
「お前が逃げ出すのは予想していたからさ。最初から。いやお前じゃなくてもいい。とにかく誰かが逃げ出すことは予想されていたから、追跡モードを付けて先回りしただけのこと」
キムまでがそう平然と言う。
ソングスペイはその二人の態度にやや自分の中の強気な部分が残っていたことを思い出す。そして彼は声を張り上げた。
「自分が、軍を裏切って、組織に荷担していたことですか? ではこれなら、中佐、あなたのお気に入りの彼にしたって同じじゃないですか!」
中佐は黙って、ちら、と変わらぬ面倒くさそうな視線をキムに一度投げ、またソングスペイに戻す。煙草の灰を落としながら、まあそうだな、と彼は平然と言った。
「ご存じでしたか?」
「ご存じでしたな」
「……だったら貴方も、同罪じゃないですか! 知っていて見逃すなど……」
ふむ、と中佐は吸っていた煙草を地面に落とすと、踵でにじり潰す。そしてポケットに腕まくりをしたままの両手を突っ込むと、ソングスペイの方へと向き直った。
「見逃してやってもいいがな」
やや意地の悪い笑いを浮かべ、だがはっきりと、中佐は言った。ソングスペイは一瞬耳を疑った。
「何…… を」
「聞こえなかったのか? 見逃してやってもいい、と言ったんだがな。軍警中佐の俺としてはな」
「……嘘でしょう……」
「俺はそういうことで嘘はつかん」
そうだろうか。
そういう気もする。
だが。
彼はやや上目使いに上官を見る。
やはり信用できない。
「ただし」
ほらやっぱり来た、と彼は思う。
「こいつに勝ったらな」
そう言って、中佐はキムに向かって顎をしゃくった。
俺? と言いたげにキムはほんの少し驚いた顔を中佐に向ける。
そうだお前だよ、と彼は答えた。
「俺からしてみればな、どちらが倒れようが、裏切者の存在が報告できりゃいいんだ。生きたいなら生き残ってみろ」
キムはその言葉を聞いて、一瞬両眉を上げると、肩をすくめた。
「あんたもかなりの悪党だね」
「お前ほどじゃないがな」
そう言って中佐は、自分の腰につけていたレーザーソードをソングスペイに投げた。小さなそれは、彼の手の中に器用に納まった。
中佐は白い壁に身体を預ける。淡い影がそこに落ちる。
キムもまた、自分の腰からソードを引き抜き、親指で下のスイッチを押した。音も無く、光がそこから飛び出した。
練習試合のそれと違うのは、その光をまともに見てはいけない、ということである。
訓練用の長棒なら、それを視界に入れて、次の手、間合いを読むということができる。
だがレーザーソードの場合、瞬きもせずにそれをすれば、目がやられる。もしくは残像を残す。訓練と違い、勘がかなりの部分を支配するのだ。
中佐は黙って胸ポケットからまた一本煙草を取り出すと、火をつけた。だがその金色の瞳は、先刻と違い、やや真剣なものになっていた。
彼はまずキムが勝つだろう、と踏んでいた。
だが一抹の不安もあった。ソングスペイを追い、別の高速艇で向かう道中、先程くらいから様子が変だった。その口調、その動き、何かがいつもと違う。
確かに休息を取ってはいないというのもあるだろうが、それだけでこうも露骨に態度に出るだろうか?
中佐は目を細めて試合の様子を見据える。目にシールドをかけたので、ソードの少しの動きも彼と見逃すことがない。
ソングスペイは、……やはり実戦慣れはしていないようだった。
確かに普段若手の中でも昇進しているように、腕はそれなりなのだろう。だが、訓練と実戦は違う。目の行き場に困っているようだったし、それを助ける程の勘が足りない。
そして今度は、キムに目を移す。彼は、目の行き場に困っている様子はなかった。
中佐は自分の疑問が何であるのか、ようやく形になってきつつあった。考えるのは簡単ではある。だが、それを形にまで持っていくのはそう容易なことではない。自分といういい例もある。
キムが自分と同じような、身体がメカニクルであるという可能性は大きいのだ。
それならば、幾つかの疑問は解ける。あの戦車を背中で止めたのも、自分と互角の戦闘能力があることも、相手によって切り替え可能な「信号」を持つことも。
だがそれだけでは理由がつけられないことも、まだ幾つかあったのだ。
明らかに彼は、中佐に対して何か好意と嫉妬の入り交じった複雑な感情を持っている。まあ好意はいい。それが悪意であっても、別に構わない、と中佐は思う。それは大した問題ではない。
だが嫉妬の方は気になる。何に対して彼が自分に嫉妬しているのか、よく判らない。
盟主が自分を「銃」にしたこと、それ自体に嫉妬しているというのだろうか。
中佐からしてみれば、この立場など別に欲しければくれてやっても良いのだ。これは生きる条件のようなものだから、この条件無しでも生きていけるのなら、こんな条件は誰にくれてやってもよかった。
無論性に合っていない訳ではないのは、今では彼も知ってはいる。時々自分でも呆れるが、妙にこの仕事は自分に合っているのだ。
そしておそらくは、キムにはできないだろう、と彼は思う。
少なくとも、あのウーモヴァの妹の方をかばって戦車の前に出るような性格では、「銃」ではいられないだろう、と。
自分は、あの姉妹どちらがあの時居たとしても、見殺しにしただろう。自分の正体が知れかねず、軍警に居続けるのは難しくなる。「MM」における幹部構成員としての彼の任務は、軍警に居続けた上のもの、それも条件の一つなのだ。
レーザーソード同士の戦いには、音がない。ソードは、それ自体の手応えはあっても、音を立てる訳ではないのだ。キムはあくまで冷静に、目を細める訳でもなく、それを振り回していた。
反対に、ソングスペイのほうに、さすがに疲れが見えてきていた。顔から首筋から、汗が滴り落ちている。だがそれでも何度も何度も剣を合わせるたびに、彼にも勘が判ってきたのだろう、目を細めながらも、次第に彼の振りや突きに鋭いものが混じってきた。
キムはそれを器用にかわしている。だが中佐の目は、そのかわす速度が次第におかしくなっているのを見抜いていた。
次の瞬間、彼の口から煙草が落ちた。背中が反射的に壁から離れていた。
ソングスペイの一撃が、キムの首の横をすれすれによぎった。
突いてはいない、と中佐は見た。
それは間違いない。彼の目は正確だ。
だが、その身体は、ゆっくりと、その場に仰向けに倒れていく。
―――嫌な予感がした。
「中佐!」
ソングスペイは相手が倒れて、多少の出血、閉じた目、動かないのを見て取ると、それ以上の確認は必要はないとばかりに、レーザーソードのスイッチを切り、素早く中佐の方へと向き直った。
落ち着け、と中佐は珍しく自分に言っていた。
予想が外れた。こうなるとは思ってはいなかったのだ。いくら何でも、このただの人間にこうも簡単にやられる筈はない、と彼は思っていた。
だが。
ソングスペイは額の汗をぬぐいもせずに、はあはあと肩で息を突きながら、中佐の方へと歩いてくる。
コルネル中佐もまた、ゆっくりとその方向へとポケットに手を突っ込んだまま、歩き出す。
「お返しします。ありがとうございました」
「ああ」
中佐は左手でレーザーソードを受け取り―――
次の瞬間、それを反対に向けた。
ソングスペイは何が起きたか、すぐには判らなかった。
目に光が焼き付く。
中佐、とその口が、動く。だが声にはならない。
胸を貫いたレーザーは、彼が足の力を無くし、崩れ落ちていくにつれて、そのまま肩までの肉を焼いていく。
大きく見開かれた目は、何故、と言いたげに幾度か瞬く。
「あいにく俺は嘘は言っていないがな」
コルネル中佐はレーザーのスイッチを切りながら足下のソングスペイに言葉を投げる。
手が、ゆっくりと、すがるように伸ばされる。足を掴もうとした時、中佐は追い打ちをかけるようにまた、言葉を投げた。
「軍警中佐の俺は見逃しても、あいにく『MM』の盟主の銃としての俺は、お前を見逃す訳にはいかないんだよ」
手が止まる。
絶望に染まった瞳が最後に見たのは、自分の喉を貫くその長い爪だった。
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