エピローグ
40.見捨てられた惑星
―――その惑星が見捨てられて久しい。
*
こんな筈ではなった、と小型宇宙船をハイスピードで飛ばしながら、ソングスペイは思った。
時間が動き出したあの都市をどさくさに紛れて脱出した彼がまず向かったのは、最初に上陸した、あの州に近い島だった。そこから彼らはエラ州に進入し、作戦を開始した…… はずだった。
だがそう思っていたのは自分だけだったらしい。彼は自分の読みの甘さを痛感した。
自分は逆スパイを気取っていたが、それは逆に言えば、どちらからも反逆者ということになる。つまりは、軍警からも組織からも追われることになると。
彼は本気であの連絡員を怖れた。確かに当初からただ者ではない、と思ってはいたが、まさか組織の、あの噂に聞いていた人物とは。
操縦桿を握る手が汗ばむ。思い出すと、まだ冷や汗が出る。
とにかく逃げなくては、と彼は思った。
そして島に隠し置いた軍警の宇宙船の中から、小型の、だが超空間航行(ハイジャンプ)が可能なタイプを選んで乗り込んだ。殆ど彼は身一つだった。
何故「MM」に足を突っ込んでしまったのだろう―――
彼は今になって、ひどく後悔していた。もともとその行動や理念に共感して参入した訳ではない。そもそもは、父親が捕まった理由の一つであるその秘密結社のことが知りたかったのだ。知るためには、足を踏み入れなくてはならなかった。
だが、入り込んでしまったら、今度は、知るどころでは無くなった。逆に、入り込んでしまうことによって、見えなくなるものが多くなるのだ。
末端の構成員は、名乗らない。名乗ってつき合いが続くのは、ひどく希な例であり、あのカシーリン教授とブラーヴィンはその希な例である。だがカシーリン教授は、その「旧い盟友」を捨てることを組織に命令され、またそれを断ることはできない。
無論、彼はそんな希な例には幸運にも当てはまらなかった。
何度かの小さな超空間航行が繰り返される。この方向に飛ぶのは、彼はかなり不安があった。何せ、惑星ノーヴィエ・ミェスタから向こうの「その星域」について、彼は殆ど知らなかったのである。
何度か続くハイジャンプのせいで、彼は眩暈と吐き気が時々自分に襲いかかってくるのを感じていた。
だが当座の目的の惑星は、目の前に近づいていた。この惑星の名は何と言っただろう、と彼は眩暈の中、記憶をたどっていた。編入して、慣れない学校の中での、慣れない言葉の中での、歴史の時間。星間地理の時間。
歴史はいつも、共通星間歴が定められたあたりから詳しくなる。
それまでの歴史は先史とばかりに、大ざっぱなものをあっさりと言葉上のものとして教え込まれるだけだ。何年に何があって。それは彼の頭の中でつながりはしなかった。
だが共通星間歴の始まる、今から800年ほど前あたりから、歴史の記述は具体的になる。
そして「その惑星」の歴史は、そのあたりでいきなり終わりになるのだ。
帝国の教育庁がサンプルとして公示する中等学校用歴史教科書によると、こんな記述でそれは終わる。
「増えすぎた人間を宇宙という広大な場所に送り出し、我らが母なる惑星は、その役割を終えた」
尤も「何故」役割を終えたまではそこには記述されていない。教育庁もそれを教えることを許可しいない。従って、ソングスペイも、その理由を知らない。一部の歴史学者だけが知るものと、その事実は変わりつつあった。
その惑星の名は、地球といった。
*
扉を開けると、そこには清浄な空気が広がっていた。宇宙船から降りた彼は、大きく息をついた。
ここは何処だろう。
彼自身は何処が着陸に最適の環境であるのかいまいちよく把握できなかったから、船のコンピュータにそのあたりは任せた。
空は、白かった。曇っているのだろう。だが雨が近いという訳ではないらしい。ただ陽の光は淡く、ごつごつとしたコンクリートの道に落ちる影は淡かった。
コンクリートと判る部分は、ほんのわずかだった。広かった舗装道路だったらしいそこは、真ん中あたり以外が、全て緑の草に覆われている。
そしてまた、ここは何処だろう、と彼は思った。中天よりやや西に傾いた太陽を逆光に、壁に覆われた都市が、そこにはあった。いや、都市の残骸と言うべきか、と彼は思った。
壁は、びっしりと緑の蔦に覆われていた。それが時々さわさわと音を立てて揺れる。不思議だった。風という風が、ここには無いはずなのに。
そしてその壁の向こうに、高い建造物やタワーの先が見える。
彼は何となし、引き寄せられるように、その都市に近づいていった。
まだ眩暈と吐き気はなかなか治まらない。何かこの都市の中に行けば、まだ何か――― 遠い昔に人が失せた惑星だとしても、自分の休める場所くらい残っているだろうか、と思った。
そして道の白い、コンクリートの部分を選んで彼は歩く。妙につやのいい、溢れる草を踏みしめていくような気分ではなかった。
ふと彼は足を止めた。都市の壁の、入り口とも言える扉が目前となった時、足下に、一本の花が咲いていたのだ。
何でこんなところに。
彼は手を伸ばし、それを掴んだ。
だが、次の瞬間、彼の背筋に冷たいものが走った。花の茎を掴むが、それは、嫌々とばかりに、身もだえしたのだ。
ソングスペイは慌てて手を離した。
悪寒が、じんわりと背筋から全身に広がるのを感じた。その花の回りの草までが、ざわざわと動いていた。風もないのに。
彼はぎゅ、と右の手で左の二の腕を抱え込むようにする。震えが走る。自分が震えているのが、判る。
何だこの惑星は。
彼は思わず、都市の扉の方へと走り寄っていた。
ここの植物に、彼は違和感を感じていた。
故郷のあのキンモクセイに感じる郷愁とは、まるで対極にでもあるような感覚である。あの柔らかな香り、記憶の中の暖かな楽しい日々を象徴するような、大きな木の、それ自体は小さく、暖かな色をした、香り高いそれとは。
そう、この地には、香りが無い。
これだけの草が密生していたら、たいていの場所では、草いきれとでも言うような何やら青臭い匂いが漂ってもおかしくはないのだ。なのにそのような生々しい匂いは何処にもない。ただ、やや雨が近いのか、少しばかり水の匂いが感じられる、そんな大気のものだけで、植物がある、という気配が、そこには感じられないのだ。
彼は扉に手をかけた。こうなってみると、人工の建造物が、妙に頼もしい気がしていた。
ずいぶんとさび付いた扉のように見えたが、その取っ手は難なく回った。ぎい、と音のする重い扉を開けると、そこには白々とした広場が広がっていた。何の場所だったのだろう、と彼は思った。コンクリートの通路は確かにあったが、それ以外は、玉砂利が敷き詰めてある。
それでも彼はそのコンクリートの道を進んでみる。戻るのは怖かった。とにかく怖かったのだ。進むのも怖いが、戻るのも怖い。だったら進むしかない。
だが彼は、幾つかの扉を開けた時、進んだことを後悔した。
悪寒が、再び全身を貫いた。
「遅かったな、ソングスペイ」
目の前には、長い緩い栗色の三つ編み。彼は、ぐらりと視界が揺らぐのを感じた。
それだけではない。この匂いの無い世界に、ふと漂ってきた、……覚えのある……
面倒くさそうに煙草をくゆらす、彼の上官が、そこには居たのだ。
彼は目を疑った。コルネル中佐は、その場を取り囲む白い壁に背をもたせ、煙草をくゆらせている。まるで待ちくたびれた、とでも言うように、足下には吸い殻がいくつか落ちていた。
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