14.「銃で、ありたかったんだけどね」
「あんたが単独行動の自由を持ってるのと同じ程度、俺は俺で、末端を動かす力をMからもらっているからね。ちょっとばかり、今は教授を隠しておきたかった」
「何で」
「教授には首班にはついてもらいたくないからね」
「ふん。顔には、別のを立てるのが、盟主の狙いか?」
「ここでは、たぶん、最初の首班は殺されるんだよ」
あっさりとキムは言った。それは彼にトマトジュースを放る時の口調と全く変わらないものだった。
「やけに断言するな」
「筋書きだよ。我らが盟主の。とりあえず騒ぎはそろそろ起こさなくてはならないね。だけど、ここでカシーリンを立てる訳にはいかない。できれば、ブラーヴィンかシミョーンにその役は当てたいところだよ。……そうできれば、シミョーンの方がいい」
「なるほど。ついでにこちらの逆スパイも割り出せたら一石二鳥という訳という訳だな。だがキム、二兎を追う者は…… ってのは知ってるか?」
「知ってるさ」
「知っていて何でそうする?」
「それがMの命令だからさ。俺はそれを如何に効率よく遂行するか、ということが問題なんだもん」
そして、中佐の耳には、言外にあんたもそうだろう、という言葉が聞こえるような気がした。
「あんたの言いたいことは判るよ。何でカシーリンなのか、ってことだろ?」
ああ、と中佐はうなづいた。いつの間にか坂は下りになり、もうそこに大通りが見えている。
「末端は末端だけどね、一応カシーリンは、我々の組織の内容にはきちんと踏み込んでいるらしいよ。彼の著作はそうだね。言い換えれば、結構うちのやり方や行動目標なんかを踏まえて書いてる。『放送の力』なんてその最たる例だ。だから発禁処分になる。……そのあたりはかなり馬鹿だね。我らが組織の一員としては」
「放送の力を判っているくせに、活用しようとしない?」
「そ。彼はその意味では怠慢だ」
なるほどな、と中佐は内心うなづく。こいつは思った以上にくわせ者だ。見た目と中身にずいぶんなずれが存在している。
「奴には、一度軍に破れるここの連中を、彼のよく知っている手段で再起させるという任務をあらためて指示した。俺は連絡員だからね。そういう権限はあるの」
「なるほど。俺はてっきりお前もMの銃かと思っていた」
足取りが止まる。
「何だ?」
中佐は訊ねた。
「銃で、ありたかったんだけどね」
「あれば良かったじゃないか。それともMがそれを許さなかったとでもいうのか?」
「Mの銃は、あんただ。俺はあんた程タフじゃないから、その役にはつけない。俺がどれだけ望んでも、それはできないんだ、ってMは言ったよ」
中佐は黙って、その金色の目を細めた。
「あれだけの使い手なのに、か?」
「それとは別問題だよ。俺はあんた程タフじゃない。だから、銃であり続けることはできない」
どういう意味だろう、と中佐は思う。時々この連絡員の言葉は暗号めく。
何かが、隠れている。
それは判るのだ。一番大切なキーワードさえ判れば、全部の謎の解けるパズル。そんな印象が、この目の前の連絡員にはあるのだ。
さっき見えたのは、一体何だったのだろう?
だが中佐は、そこで見てやろうという下手な気は起こさなかった。彼はつぶやく。
「どうやらそれどころじゃなさそうだな」
中佐はぐるりと辺りを見渡した。坂の終わりは、外からの車が入ってくる道と、大通りとの交差点である。坂の上からはらはらと風に落ちた色とりどりの葉の吹き溜まりのようなその場所にも、明るく常夜灯が輝いている。
ちら、とキムは中佐の方を見てにや、と笑った。微かに中佐は肩をすくめる。
彼らの左下には正課の運動用のコートがあった。
ふ、とキムの長い三つ編みが大きく上下に揺れた。
その姿は瞬く間に、そのコートへと降りていく階段へと動いている。それを追うようにして、中佐も駆け出した。
坂の脇の林がざ、と動く。中佐は降りかけていた階段を一気に飛び降りた。
十人はいないな、と彼は降りてくる足音に耳を傾ける。中佐は連絡員にどうする? と訊ねた。
「相手によるね。だけど予想はつく?」
「いや」
実際、考えられる選択肢は色々あるのだ。それにより、戦闘方法を変えなくてはならない。
無論一番簡単なのは、相手が自分達に明らかな殺意を持っている場合だった。ならば殺してしまえばいい。簡単なことだ。だが、そうでないとやや問題がある。とりあえずは見極めなくてはならない。
グラウンドの真ん中に誘い込んだのは、理由があった。このだだっ広い場所には、隠れる所が無い。道の上に点々と立つ常夜灯が、ナイトゲームの照明のように、この広い運動場に、隠れる所を無くしている。
瞬く間に、「十人は居ない」人数が、彼らを取り囲んだ。学生だな、と中佐は冷静に判断する。取り囲む様子はなかなか統制が取れているが、その体勢は、あくまで素人のそれだ。
「何のつもりだよ?」
キムもまた、ポケットに手を突っ込んだまま、ぐるりとその囲みを眺めた。常夜灯に対して逆光のため、相手の顔は見えない。だが、少なくとも体育会系ではないな、と中佐は判断した。
筋肉のつき方が違うんだよな。
尤も自分やキムにしたところで、一見したところ、そういうものとは無関係であるように見えることは知っている。だからこそ、相手に油断が生まれることも。
「お前等はカシーリン教授が誘拐された時に、その場に居たな?」
「その場に居合わせたのはこいつ。俺は後で来ただけよ」
「そうそう。居たのは俺よ俺」
「どっちだっていい。お前等は、教授の居場所に心当たりがあるはずだ」
それでも代表が喋っているあたりが、何やらこれが団体行動であることを思わせる。こういう団体行動は嫌だね、と中佐は思う。
軍隊といい、反帝国組織といい、大規模な団体に属している彼としては、なかなかにその立場を否定したような考えだが、嘘ではない。
「心当たりはないよ」
キムは答える。嘘をつけ、と集団の一人は続ける。のんびりとこちら側が答えれば答える程、相手は苛立ってくるようだった。
代表は、やれ、と自分以外の誰かに命じたようだった。途端に、代表から二人づつおいた、やや大柄な男達が、両側から彼らを羽交い締めにしようとする。
……しようとした、はずだった。
ぱん、と大きな音が、だだっ広いグラウンドに響いた。
次の瞬間、キムの後ろに、一人の学生が転がっていた。おお、と低い声が周囲に広がる。
中佐もまた、自分の側に、軽く肘鉄を食らわせたらしい。キムの動きに目を取られていた隙に、もう一人学生が、グラウンドと仲良くなっていた。
「力づくでやろうっていうの?」
キムはそれでもあくまでのんびりとした声で訊ねる。
「だったらさっさとやってくんない? あいにく俺はタフじゃないのよ」
あの基地で、軍警の猛者を十人抜きした男は、筋肉質とは無縁な学生達に言い放つ。中佐はどうする?と無言で訊ねる。連絡員はにこっと笑って応えた。
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