13.「色がある季節ってのはいいよね」

「しかし誰であれ、カシーリン教授が捕らわれたというのは……」


 男子学生の一人がつぶやく。


「誰であれというのは問題があるが」

「誰であれ、ですよ、コベル助教授。公安であれ、反体制派であるにせよ、今彼を拘束するというのは……」


 そこまで言った時、コベル助教授と呼ばれた四十くらいの男は、首を横に振った。聞かれたくない話か、と中佐は即座に受け取る。


「とりあえず、俺ら帰ってもいいですかね。こいつも何か擦り傷切り傷してるし、そこの子はちゃんとベッドで眠らせてやった方がいいんじゃないですかね?」


 中佐はそう提案する。


「後でまた事情を聞くかもしれないから、君達の学群学部学科と学年、それに名前を」

「芸術学群美術学部、映像美術学科2年の、ヴェラ・ウーモヴァと、人文学部文学部州内文学学科2年のジナイーダ・ウーモヴァよ」

「あ、あなたヴェラさんなんですか?」


 男子学生の一人が、彼女の名に反応する。


「僕前の舞台見ました。貴女の演技はとても良かったです」

「ありがとう」


 ヴェラはにっこりと営業用の笑いを作る。だがそれは一瞬だった。


「そう。だから用があるならあたしを訪ねればいいのよ。コルネル君、それにお友達さん、行きましょ、手伝って!」


 ヴェラは女優の声で言い放つと、まだぐったりしている妹を持ち上げようとする。中佐とキムは慌てて近づく。貸して、とキムは姉の手からジナイーダを持ち上げた。

 ヴェラはやや不審な目を向けたが、自分では持ち上がらないのはどうしようもない事実なので、大人しくこの自分の知らない男の行動に頼ることにした。


「そっと持ってよ」

「はいはい」


 キムはいつもの笑いを浮かべて学生や助教授助手、の群の中を抜けていく。中佐もまた、その後に続いた。

 再びエレベーターに乗り、扉が閉まったと同時に、ヴェラは口を開いた。


「君は誰? 妹とどういう関係?」

「俺の友達だ、って言ったでしょ?」


 キムに答えさせる前に、中佐は口をはさんだ。


「文学部の、最近お友達になったんだ。よろしくおねーさん」


 そしてまたにっこりと笑う。まあ見事なもんだ、と中佐は思う。確かにこの笑いを見せられたら、普通の女子学生は、どうしていいか困るだろう。 


 幾つもの外の階段を降りて、また大通りに出る。重くない? と気をつかうヴェラにキムは大丈夫、とその都度答える。

 色を変えつつある木々を横目に見ながら、中佐は無言で煙草をふかす。手を突っ込んだポケットには、あの卓上にあったライターが入っている。

 寮の入り口まで来ると、その日の当番だったのだろうか、入り口の電話の近くで番をしていた女子学生が、どうしたの、と寮管室から飛びだしてきた。


「何でもないの。でもちょっと手を貸して」


 ヴェラはキムに下ろしてちょうだい、と頼んだ。当番が慌てて椅子を部屋から持ち出してくる。キムはそっと彼女をその上に下ろした。だが目覚める気配はない。

 よっぽど強い薬だったのか? と中佐は思う。

 寮内放送がかかり、同じ階に住む姉妹の友人達がどやどやとやってきた。ぐったりとしたジナイーダと、二人の珍しい格好をした男に、女子学生の視線は集まる。中佐は連絡員の背中をつつくと、肩をすくめた。


「じゃおねーさん、俺達もう行くから」

「あ、ありがとう…… お茶の一杯でも」

「そぉんなヒマあったら、妹の世話してやんな。何か強い薬のようだぜ?」


 そして中佐はひらひら、と手を上げると扉を開けた。じゃあね、とにっこり笑ってキムもまたその後を追う。



「それにしても、夜の紅葉ってのもいいもんだねえ」


とキムは言った。寮から大通りに向かう坂道の両側には、色を変える大きな葉の木々が立つ。


「あ? 俺は秋は好きじゃないと言ったろ」

「俺は好きだもん。色がある季節ってのはいいよね」


 それだけ見ればな、と中佐もつられるように、街灯の碧い光に透けて見える木々の葉を眺める。


「そう言えば何か前、冬は嫌いだって言っていたな」

「ああ、覚えていてくれたの? それはそれは」

 

見なくても判る、と中佐は思う。この連絡員はいつもの笑いを浮かべているはずだ。


「俺は別に嫌いじゃないがな」

「そぉ? だって色も何もない世界でさ」

「雪でも多かったのか? お前の居たところは」

「雪ねえ。多かったよ。うん。灰色の空でさ。で、煙だけが真っ黒なんだ。そんな中で眠ったら、もう起きられないよね」


 中佐はくわえていた煙草をその場に落とし、踵でぎゅっと踏みつぶす。立ち止まる彼をキムは数歩追い抜く。


「でもそれだけだよ」


 ふうん、と中佐はうなづく。そして再び歩き出すと、何気ない調子で話しかけた。


「それで、お前、教授を何処に隠したんだ?」  

「教授?」

「カシーリン教授を、だ」

「……ああ」


 のんびりと歩く速度は変わらない。ゆるく編んだ長い髪が、やや冷えてきた風にざらりと揺れた。


「すぐ気付いたんだ」

「ああ。ライターに、刻みがあった。……教授は、末端の一人なんだな?」


 うん、とキムはうなづく。


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