2.三つ編み男の出現
「一体どうしたってのよ。ヴェラ今日は変よ?何かすごく、アナタらしくないじゃない」
「……あんたね……」
ヴェラは綺麗に整えられた眉を強く歪めた。そしてふう、と大きくため息をつくと、もう一度髪を大きくかき上げ、もういいわ、とつぶやいた。
「本当にもういいわ。用はそれだけだったのよ」
ヴェラは吐き捨てるように言うと、立ち上がり、ジーンズをぽんぽんとはたく。
ジナイーダはその様子を見上げると、やや困ったような顔になった。一体何だって言うんだろう?そして姉はそんな彼女の様子には構わず、言葉を投げる。
「今日の当番に言っておいて。あたしは今日は練習で泊まり込みだって」
「泊まり込み?」
「何か新しい客員団員が来たっていうからね」
「ああ、今度の」
「そう」
ヴェラは短くうなづくと、じゃあ、と手を上げた。
何だっていうんだろう、と姉の姿が小さくなってから、ジナイーダは思った。
ヴェラの考えていることはさっぱり判らないわ。
姉と言っても、学年は同じだった。双子ではない。ジナイーダの方が、一年スキップしているのだ。現在は二人とも二年である。
彼女達が通い、寮住まいをしているこの大学は、惑星ノーヴィエ・ミェスタの居住の第二大陸の内陸部にある行政区「エラ」の首都シェンフンの中にあった。そこはいわばエラ州の最高学府とも言える。
そこには州内から、様々な階層の、様々な若者が州内で最高の学問を修めるために出てきている。
ジナイーダとその姉のヴェラも、その例にもれない。彼女達は、北と西に隣接するメラ州とレダ州の狭間近い都市バウナンの出身である。
少なくとも、今現在の実家は、そこにあるのだ。
そこにも大学は無い訳ではないが、実家はまずまずの蓄えのある家庭だったので、娘二人にも、その能力に似合った教育をできる限り受けさせたい、という考えを持っていたようである。
そして彼女は人文学群に入り文学を選考し、姉は芸術学群に入り、演劇を選考している。最もヴェラの目指す演劇というのは、単純に舞台がどう、というよりは、もう少し幅の広いジャンルらしいのだが、話を聞くジナイーダにはその差異はよく判らないものだった。
寮では同じ部屋に住み、朝食に夕食に夜のお茶、毎日の1/4くらいは同じ場所で過ごしたりもするのだが、姉のすることはいまいち彼女にはよく判らないのだ。
今日だってそうだわ、と彼女は思う。
泊まり込み。授業の他にも姉はサークルで活動している。自分よりずっと友達も多い。
去年の秋の大祭の舞台では、一年生ながらも名のある役をもらい、それがまた印象的なものだったので、その顔と名は、この広い学府内でもよく知られたものとなった。
そういうところをひっくるめて彼女は姉を「派手」だ、と考える。変わりの無い、とりとめの無い考え。
いつものことだった。いつもの……
と。
がつん、と後頭部に衝撃が走った。
と思ったら、ぐらり、と彼女は自分の身体が前に傾くのを感じた。ちょっと待て!
体勢を立て直そうとしたが、さすがに予期せぬ出来事に彼女は弱かった。ああああ、と声を立てながら、自分の手から本が滑り落ちるのを見ていた……
と。
身体が、何か力強い手に止められるのを感じた。
本だけが、数段下の段にと転がり、止まると同時にぱさ、と開いた。
「ご、ごめん……」
背後で何やら困ったような声がする。
慌てて横を向くと、栗色の三つ編みがだらんと視界に飛び込んできた。
ずいぶんと長い髪の毛だ、と彼女は思う。
そしてよいしょ、とかけ声をかけながら、その手は彼女の身体を元の位置に戻した。
だがどうもその勢いが良すぎたのか、彼女は尻餅をついてしまった形になり、顔を少々歪めながら打った腰を撫でた。きっとお尻に青あざができちゃうわ、と少し心配になる。
だがすぐに、何が起こったのか、と突然起きたことに彼女が目をぱちくりさせていると、ばたばたと栗色の三つ編みは位置を変えた。
そして三つ編みの持ち主は、彼女の二段ほど下にしゃがみこみ、顔をのぞきこんできた。真っ直ぐな視線。彼女は自分の顔が思わず赤らむのを感じた。
「本当ごめん。このカバンが悪いんだ、このこの」
長い髪の持ち主は、男…… だ、と彼女は思う。
少なくとも、彼女にはそう見えた。だがそんな長い髪の男を見るのも、彼女は初めてだった。長い髪の彼は使い込まれた革の四角いカバンを目の高さに上げてみせる。
「ほら見て見て、これ結構小さいのに結構たくさん入るんだよ? だからついつい詰め込んでしまって、それで振り回しちゃって、ついその返ってくる拍子を間違えて」
ああそれで、このカバンが自分の頭の後ろを直撃したのか、とジナイーダは妙に納得してうなづいた。
「ねえねえ本当に、ごめん」
「はあ……」
とりあえずはそう答えるしかあるまい。
「許してくれる?」
彼女はうなづく。
許すも許さないも。どうもこの目の前で自分に喋る間も与えずに言葉を投げる相手の目を見ると、怒る気も失せるのだ。
「ああよかった。あ、はいはい本」
彼は手を伸ばすと、転がった本を拾い、ぱんぱんと表紙についたほこりをはたくと、ジナイーダに渡した。
「ありがとう」
「どぉ致しまして。……あれ、『文学的力学』って……もしかして、あなたカシーリン教授の講義とってんの?」
「え?ええ。知ってるの?」
「だって俺も取ってるもん。取ってしまってからしまった!って思ったクチ」
「そう?あたしは面白いと思うけど……」
「いや面白いんだけど、どーも所々難解で」
「そういうものかしら?」
本をバッグの中に納めながら、彼女はいつの間にか相手が自分の隣に腰を下ろしていたことに気付いた。
そして改めて見ると、本当にその髪は長い。階段に腰掛けると、せっかく綺麗に編んであるのに、地面についてしまうくらいだった。
どうも気になって仕方がない。ジナイーダはすっとその髪の端をとって、彼の膝に乗せた。気付いた相手は、何やら不思議そうな顔になる。
「……何?」
「あ、何か髪の毛が落っこちて可哀相だと思って……」
「あ?そう?いや別に、俺切るの面倒くさいから、伸ばしてるだけだよ?そんな気になる?」
「なるわ」
ふうん、と彼は首を傾げる。そして不意に手を伸ばすと、今度は彼女の髪を手にとった。さすがに彼女はその瞬間、ぴく、と彼の側から身を離した。
「な、何すんの?」
「いや、あなたの髪のほうが綺麗だなあと」
「冗談よしてよ」
ジナイーダはぷるぷると頭を振った。そんなこと、考えたこともなかった。
「こんなまとまりのない髪……」
「えー? 柔らかそうでいいじゃない。俺なんて、三つ編みしたって、全然跡もへったくれもつかないから、つまんないつまんない」
彼もまたぷるぷると頭を振る。確かにくせなどまるでつきそうにないような髪だ。何となく彼女はむっとする自分が判る。
「……それって嫌味だよ……」
「どうして?だってそんな、人好きずきじゃない。俺はどーせ長いんなら、遊びたいなあって思うもん。あなたそう思ったことない?」
「遊ぶって……」
「だからさ」
そして改めて、この初対面の相手は、嬉々として彼女の髪の手を伸ばした。
……どうやら編んでいるらしい。手慣れているらしく、するすると編み目はその数を増やしているようだ。
何だかなあ、とさすがにジナイーダはあきれる。
だが何か妙に憎めないのだ。
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