受付
書矩
受付
「……まだですか」
処方箋が折られる時間が惜しい。封筒に入れる手間がまどろっこしい。あぁ。早く。
「もう少しです。お待ちください」
何を悠長に。私は患者なのだぞ。
「どうぞ」
小さなクリニックの受付、小さな窓から女の手がぬっと現れる。薬の入った包みを手にすると安心感が得られた。
数ヵ月前、私は病気に罹った。病名はもう覚えていない。ただ、一週間に一度のこの薬が私の調子をとことん引き出してくれることは今も変わらない。明らかに、私は中毒になりつつあった。
病院を出て、すぐに薬をのむ。世界が明るくなった。今日も仕事が捗りそうだ。二度と戻れないと思っていた会社にまた行けるようになったのもこの薬のお陰だ。
本当に感謝している。この薬の製造者とあの受付には。
また一ヵ月が経った。医師がしきりに「もうすぐ良くなるでしょう」と言うようになった。
そのせいで最近の私はとにかく薬が処方されなくなることに怯えた。そして、それは現実になった。
ある日、私はいつものようにクリニックに向かった。
薬の受け渡しの受付は空だった。一瞬で焦りが込み上げた。
見渡してみると、いつもなら何人か居るはずの患者も居ない。私一人だった。
「誰か! 誰か居ないのか!」
何度声を上げても誰も出てこなかった。近くの扉のノブを回すと、扉は簡単に開いた。
私は中に入ることにした。自分で薬を取ることにしよう。
目当ての薬はすぐに見つかった。手早くポケットにいくつか押し込む。
そのとき、背後から──つまり、受付の外から声が掛けられた。
「すみません、これをお願いします」
処方箋が差し出される。まだ自分の顔は割れていない。受付の振りをしてやれ。落ち着いて薬の棚を辿る。
気を付けて正しい量を処方してやると、患者は帰っていった。
そのまま暫く経った。「係が帰ってくるまで」と椅子に座ったものの、受付係は一向に戻らない。もしや自分は嵌められたのか、そう思うと腹立たしくもあったが、幸いここは暮らすに事欠かない環境だった。薬もたっぷりある。
薬をのみながら数週間。私はふと正気に還った。正気に還ったということは、今まで狂気に陥っていたということで。
「何故私は薬に固執していたのか?」
考えても解らなかった。私の思考回路は完璧に元通りだった。異状の無い頭でどうして異常な思考が出来よう?
この時、私は自分が「治った」ことを理解した。
そうと決まれば話は早い。さっさと抜け出すまでだ。抜け道はもう見つけた。書類の棚の裏に通路がある。そこを通れば病院の側に出られる。しかし、チャンスはなかなか訪れない。私は気長に待つことにした。何故なら私は余裕を持った大人だからだ。
その時はついに訪れた。私は何気なしに今日来る患者のリストを眺めていた。
次に来るらしい患者の備考欄には「完治間近」とあった。そして、治りつつも薬を要求するために仕方なくビタミン剤を処方していることも。
これだ、と思った。私の同類。どうせ薬が要らないなら前の受付がしたように逃げてしまっても良いだろう。
私は書類を全て片付けた。そして、慎重に部屋の奥の棚をどかし、通路に出た。
久しぶりの外は本当に気持ちよかった。そして私は自分の完治を喜んだ。
ふと、あのあと患者はどうしたのだろうかと考えた。きっと受付に入り、薬を取って、──別の患者が来て。私と同じ流れを辿るのだろう。
一気に白けた。この状況を切り抜けたのは私の知恵ではなく、摂理だったのだ。治療メニューのひとつ。
薬の処方を一般人に任せるなんてありえない。だったら「患者」もサクラなのかもしれない。この治療は私たち回復期の患者のためのものなのだから。
まぁいい、もう全ては済んだことだ。ありがたく日常を謳歌させてもらうこととしよう。
あの患者の回復を願いながら。
受付 書矩 @Midori_KAKIKU
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