第四十二話――不思議の大陸(ワンダーランド)
ブリーゼに眼を潰されたあのリーダー格の天使フロセルビナがこのまま引き下がるとも思えなかった
「改めて自己紹介しとくか。俺はグレイオ。
グレイオは堕天男よりだいぶ小柄だが、その身に背負いし漆黒の巨大な魔剣からほとばしる禍々しい
そう、今ここにはグレイオ含め
普段は第三世界収容所に囚われし仲間たちを救うべくバラバラに活動しているそうなのだが、今日は新入りである堕天男の顔合わせ、そしてシーに起きた異変と、彼女をどう救うかについて作戦会議を行うため、グレイオの指示で急遽集まったのだ。
「ぼくの完璧な
「アハハ、アハハ、アウアウ」
虚ろな眼で天井の一点を見つめ、赤子のように手足をばたつかせるシーは、もはや完全に別人、いや廃人であった。
グレイオがやれやれと頭を抱えた。
「これはひどいな。いったい何をどうすればこんなことになるんだ? まったくわからん」
組合のリーダーでもお手上げらしい。
革製の古びたソファに腰かけながら、グレイオは隣に座っていたアルメルに訊ねる。
「俺は魔法に関してはからきしでな。アルメル、何かわからないか」
「そうですね」
アルメルはソファから立ちあがり、まるで医者か看護師のようにシーの身体の各部に触れたり、呪文か何かか、意味不明の言葉で語りかけていた。
アルメルの顔が徐々に曇り、そして診断が終わったのか、残念そうに
「彼女の〈魂魄〉に語りかけましたが、反応がありませんでした。おそらく魂の大部分が欠落してしまったのでしょうね。残念ですけれども、私にはどうにもできませんわ。精神操作系の魔法による発狂ならまだ手はあったのですが。〈
アルメルはシーのベッドの
「おそらく、魔力を使い果たした状態で、無理をして転生魔法を使ったのね」ブリーゼは魔族と化した堕天男をちらと見て、アルメルの問いに答えた。
「俺を生き返らせるためにか」堕天男の声は震えていた。
「というよりは、あなたの魂を暗黒神に売り渡して、代わりに魔族の肉体を与えて助けようとしたんだと思うわ。魂が肉体から離れてしまえば、もはや私でさえもどうにもできない。だから転生魔法なんて代物を」
ブリーゼの言を遮り、堕天男は否定されたくないと願いつつ。
「シーのやつ、大丈夫だよな。しばらく休んだら、きっと前みたいに」
「それはわからない。転生魔法は私ですら全魔力を捧げてようやく成立する大魔法。本来ならば、何十人もの熟練魔道士が
「アハハ。アウアウアー」
まるで重度の認知症か知的障害を患ったかのように、
「壊れてる」
数カ月一緒に暮らしていただけだったが、しかし共に背中を預けて第二世界を生き延びた
「どうにかならないのか。ブリーゼ」
もはやなりふり構わずブリーゼに縋る堕天男だったが、「解決策はない」と言わんばかりに顔を背けられ、第三世界でブラック労働に明け暮れていた時と同等か、それ以上の絶望感が、彼を支配した。
が、数秒後、ブリーゼが何かを思いついたように眼を見開き、その視線を天井へと向けた。
「もしかしたら、の話だけれど」
場の一同の注目が、ブリーゼに集中する。
「禁呪・
「大戦?」堕天男が読者を代表して疑問を口にした。
「百二十年前にあった、
「ラフロイグ族か。天使どもの監視から逃れて北アルカイアのジャングルの奥地で隠居してるって話を前に情報屋から聞いたな」グレイオが言った。
「北アルカイアってどこだ」堕天男が問う。
「ああ、堕天男は第一世界に来てまだ日が浅いんだったな。今俺たちがいるアルカイア王国のある南の大陸全土が、アルカイア大陸と呼ばれている。北アルカイアはその北方にある。一応地続きだが、別世界と言っていい」
グレイオの解説を引き継ぐように、ブリーゼが続けた。
「北アルカイアは手つかずの自然が残る未開の地。凶悪な未知のモンスターがウヨウヨいて、毎年多くの探検隊や冒険者が行方不明になっているわ。人呼んで、〈
「とはいえ、現状シーを救う手がそれしかない以上、〈
あふれ出る冒険心を押さえきれないのか、少年のように屈託のない笑みを浮かべるグレイオに、闇医者ダーク・ジャックが付け加える。
「ラフロイグの魔酒の噂は、ぼくも聞いたことがあります。百二十年前の大戦で魔族側が暗に利用していたと。嘘か本当かは知りませんが、神を殺して釜に放りこみ、発酵させて造っているとか何とか。
何だかやばそうな気配がプンプンしてきた。
「よし、決定だ。これより俺たち
「異論というわけではないけれど」
アルメルが口を挟む。
「シーをここに残していくのは少々心許ないですわ。誰かはここに残った方が良いかと」
「それなら私が残るわ。まだ足生えてないし」ブリーゼが湯船から身を乗りだして言った。
「あなたも手負いですから」
そうアルメルが言いかけたところで、ブリーゼからまるで見せつけるように、膨大な量の魔力が湧きあがった。先ほどまで天使長フロセルビナに瀕死の重傷を負わされたとは思えぬ〈
「私のことなら心配ご無用。下半身がなくなったくらいで天使どもに遅れをとるほど堕ちちゃいないわ。馬鹿弟子ひとり抱えたところで天使軍を根絶やしにしてこの世界の半分を焦土にするくらいわけなくってよ。まあダーリンまで行っちゃうのはちょっと淋しいけど」最後に淋しそうに眼を伏せるブリーゼが、堕天男には何だか可愛らしく見えた。
「私の杞憂だったみたいですわね」
「問題ない。堕天男の鍛錬はこっちで引き継ごう。アンタはゆっくり治療に専念しててくれ」グレイオが堕天男の肩をポンポンと叩いた。
「あ。ちょっと待ってダーリン」
ブリーゼは何か閃いたように頷き。
「魔族に転生したんでしょ。魔族は人間と比べて肉体も強靭だけれど、何より強力なのは
「おい。ゆっくり教えてる暇は――」
制止するグレイオに、しかしブリーゼは。
「大丈夫よ。ちょっとお手本を見せるだけだから」
言うや、上半身だけの姿で宙に浮き、堕天男を連れて外へと出て行った。
第三世界収容所 Enin Fujimi @eningrad
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