第四十一話――空間師(ゲートマスター)

「何の音だ」

 何もいないはずの異空間で聞こえた異音に、堕天男ルシファーはあたりをキョロキョロ見回していた。

 すぐ後ろを浮遊するシーの方から聴こえてきたような。

 もしや、と思い、シーのポシェットの中から異世界端末スマホを取り出す堕天男。

 画面にはこんなメッセージが表示されていた。


『シーマリア。何度か通話を試みました。貴女のMGPSマジカル・グローバル・ポジショニング・システム反応が第一世界からも第三世界からも消失し、組合一同心配してお昼ご飯も喉を通りません。もしこのメッセージを見たならば、至急アルメルかグレイオまでご連絡ください。どうかご無事で』


 組合一同。おそらくシーの所属する〈闇の翼の組合ダークウィング・ギルド〉のことだろう。

 このアルメルとグレイオというのは組合のメンバー、あるいはリーダーにちがいないと思った堕天男は、早速メッセージに返信――と思った矢先に、モーツァルトの鎮魂歌レクイエムに似た陰気な古典クラシカル音楽が流れ始めた。

 着信が入ったのだ。

 相手の名は、メッセージの主アルメル。

 堕天男はここを先途と受信。どうやら基本操作は第三世界のスマートフォンとほぼ同じようである。

『もしもし。シーですか? アルメルです。ワームホールに閉じこめられているのですか? いったい何があったのでしょう。もしもし。応答してくださいまし』

 心配そうに、しかし矢継ぎ早に質問を繰り返す、大人の女性の声。

 だまっていても仕方ない。

「もしもし。あんた闇の翼の組合ダークウィング・ギルドの人か」

 堕天男の声に、アルメルなる女性はしばし沈黙する。

「あら。殿方の声。どなたかしら。シーとはどのようなご関係で」

 相手の声が急に冷えこみ、こちらを警戒しているのは明らかだった。

「俺は黒野堕天男。第三世界で労働刑に遭っていたが、シーに助けてもらった。そんなことより、シーの様子がおかしいんだ。医者かどこかに連れていきたいんだが、魔族の医者を紹介してくれないか。まだこっちに来たばかりでどうしたらいいかわからん」

「なるほど。今、MGPSでそちらの空間座標を特定できました。すぐに向かいます」

 通話はそれで切れた。

 数秒後、堕天男のすぐ隣にブリーゼがシーを第二世界へ飛ばした時と同じような異世界門ゲートが出現し、中からひとりの女性が現れた。

 雪のように白い肌に、やや青みがかかった銀髪。そしてシーやブリーゼと同じ魔族の証明である、尖った耳。

「あら?」

 アルメルは堕天男を見るや否や、何かに気づいたかのように眼を丸くした。

「何をじろじろ見ている。俺の体に何かついているのか」

「こほん。失礼。初めまして、堕天男さん。闇の翼の組合ダークウィング・ギルドの〈空間師ゲートマスター〉、アルメル・アライズと申します。あなたのことはシーから聞いていますわ。とりあえず、我々のアジトへ避難しましょう」


 ゲートの出先は、ブリーゼの城のあるギュレネ峡谷より千キロメートル以上離れたアルカイア領グロック山脈奥地の洞窟にある黒き翼の組合ダークウィング・ギルドのアジトであった。

 簡素な造りの木製ベッドの上に横たわったシーを、仲間の自称〈闇医者ダークドクター〉が、つきっきりで様子を見ている。

「天使軍のワームホールに避難するなんて無茶苦茶ですわ」アルメルがヒステリック気味に叫んだ。「私がたまたま別件でゲートを開いたからよかったものの、そうでなければあなたもシーさんも、魂ごと永遠に異空間をさまよっていましたよ」

「仕方ないだろう。他に方法がなかったんだ。第二世界の魔王に勝つのも、天使どもの本拠地に戻るのも無理だと思ったんだ」

「第二世界ですって――?」

 アルメルはわけがわからぬとばかりに絶句していた。

「そんな場所に、私の力も使わずどうやって……?」

「ブリーゼのやつに無理矢理放りこまれたんだ」

 本当は堕天男自身はシーを助けるために自らの意思で行ったのだが、話がややこしくなるのでそういうことにしておいた。

「ブリーゼ……あの〈万魔典パンデモニアム〉ですか? 死んだはずでは」

「生きてたんだろ」

 部屋の奥で闇医者とともにシーの様子を見ていた、身の丈ほどもある巨大な魔剣を背負った小柄な男がそう言った。

 彼こそが闇の翼の組合ダークウィング・ギルド頭目リーダー、グレイオ・シルベスタその人である。

「ヤツなら天使どもの眼を欺いて隠居するなんざワケないはずだ」

「そうですね……あのブリーゼ・フヴェルゲルミルならば。私以外に〈異世界門ゲート・サヴァダーク〉を使える魔術師がいるとすれば、彼女しかいない」

 彼らの会話を聞いて、堕天男は思い出す。

 そうだ、ブリーゼは?

 俺やシーが死の危機に瀕していたにも関わらず何の音沙汰もなかった彼女は、今どうしているのだろう。

 シーの言葉が本当ならば、第二世界の魔王との戦いでシーが殺された時、ブリーゼは何らかの方法で救出した。

 にもかかわらず今回自分とシーが天使に襲われ、死の危機にあった時に何もなかったということは、ブリーゼもまた、天使軍による襲撃を受けていたのかもしれない。

 堕天男がそんなことを思った時。


 窓の外のどんよりとした曇り夜空が、いきなり


 現れたのは、夜の砂漠をあたかも昼間のように照らす、第二の太陽。

 しかし太陽というにはあまりにも低く。

 やがて地表の土砂を大量に巻きあげ、巨大なキノコ雲を形成。

 かつてシーが師に放った大焦熱魔法アサーラ・イルマ・ルヒトに酷似……否、比べ物にならぬほど巨大だった。

「ギュレネ峡谷の方角だな」グレイオが言った。

「俺たちがいた場所だ」堕天男が、思い出したように。

 まさか、ブリーゼの身に何か?

 一抹の不安がよぎる。

 殺しても死なないような女だが、一方で彼女が本当に無敵ならば、そもそも幻惑魔法などで天使どもから姿を隠して生きる必要もないはずだ。

 第二世界ではひどい眼に遭ったが、それでもブリーゼは無力だった自分を鍛えあげ、必殺『黒葬魔法ブラックレイ』を始めいろいろ教えてくれた恩師であり、なかば強引にとはいえ童貞はじめてを捧げた女性でもある。

「アルメルとかいったな。シーを頼む。俺は、ちょっと用事ができた」

「待てよ」

 グレイオが堕天男の肩をつかみ、引き止めた。

「どう考えてもありゃ尋常じゃねえ。たぶん天使階級第一位セラフィム級と、それに匹敵する化物どもの戦争だ」

「仲間の危機なんだ」

 虫の知らせ、というのだろうか。

 確証はないが、堕天男は何となく自分があの場に行かなければならない気がしていた。

 ブリーゼを追いつめるほどの敵を相手に、自分がどれだけ戦えるかはわからない。

 が、眼醒めざめて以来、体の奥底から無尽蔵に湧いてくる膨大な魔力チカラが、堕天男を駆り立てた。

 たとえ勝てなくても、一緒に逃げるくらいはできるかもしれない。

「何っ。仲間の危機だと。そりゃ一大事だ。俺も行こう。わくわく」

 こころなしか、まるでこれから修学旅行にでも行くあふれ出る好奇心を抑えられない少年のような、そんな笑みを浮かべながら、グレイオが堕天男の一歩前に出た。

 堕天男が呆気にとられていると、グレイオはそんな彼を指差し、こう付け加えた。

「シーから聞いてないのか? お前はもう闇の翼の組合ダークウィング・ギルドの一員なんだぜ。お前の敵は組合ギルドの敵だ。力を貸すぜ」

「あそこまで飛ぶのなら、転移魔法が必要でしょう」アルメルが言った。

 今までブラック企業と崩壊家庭で孤立無援だった堕天男にとって、仲間かれらの言葉は、とても心に沁みた。

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