第四十話――離別(サヨナラ)

「こっちだ」

 堕天男ルシファーはメグロスとともに魔物たちをやりすごしながら、魔王城方面へ入り組んだ岩壁の隙間を縫うように進んで行くと、人ひとりがようやく通過できそうな不自然な扉を発見した。

 扉は完全に閉ざされており、『関係者以外立ち入り禁止。無断侵入は天使警察に通報します』などと書かれていた。


『合言葉ヲドウゾ』


 扉の表面に人なのか天使なのか、四十代くらいの中年男性の顔がぼこんと浮き出された。第二世界の魔物を第一世界へと輸出しないようにするためのセキュリティ――MIマジカル・インテリジェンスである。

「ぼくの顔を忘れたのか。天使軍第十一普通科大隊所属、大天使メグロスだ」

 合言葉を言いたくないのか、メグロスはムッとした顔で門のおっさんに反論した。前にもブリーゼの城でこんなやりとりあったな、作者もとうとう暑さで頭がやられてネタが尽きたのかもしれない、などと堕天男ルシファーは思った。

『聞コエナカッタノカ。私ハ合言葉ヲ言エト言ッタノダ。魔法使イニハ己ノ姿ヲ偽ルコトナド造作モナイ。ソンナコトモワカラナイノカ。モッペン母チャンノ胎内カラヤリ直セ』

「貴様……たかがアイテムの分際で」

『ソノあいてむヲ使ワナケレバ異世界間移動モデキナイ下ッ端ノ分際デ』

「何を!」

 そう。門に宿りしおっさんの言う通り、天使階級第六位以下のほとんどの天使は、異世界間を自在に転移する能力を持たない。このゲートは今回の堕天男捕獲部隊の長であるデカトリースの身に万一のことがあった場合、隊員が第一世界へ帰還するための保険として用意されたものであった。

「おい。さっさとしろ。その女を助けるんじゃなかったのか」魔族と化した堕天男が、極めてまともな突っ込みを入れる。

「ぐぬぬ、たしかに。アウトノアさんの命には替えられない。――『二十四時間三百六十五日、お客様の笑顔のために働きます』!」

「ひどい合言葉だな」堕天男が呆れ気味に言った。考えたのは十中八九あの店長デカトリースだろう。

『ソンナ大声デ言ッタラ他ノ連中二筒抜ケダロウ。せきゅりてぃ意識ガバガバノ無能メガ』

 さんざん煽りに煽った挙げ句、第一世界への扉が開かれた。

 中はブリーゼの異世界門ゲート・サヴァダーク同様、紫色のうねうねした気色の悪い空間だったが、すぐ先に第一世界への出口と思しき光が見えた。

 天使たちの用意したゲートだ。もしかしたらたどり着く先は教団の総本山かもしれない。

 そうなれば自分とシーは捕らえられ、殺され、ふたたび第三世界で労働刑に処せられる可能性が高い。

 考えただけでぞっとする、が――

 あの空をも覆い尽くす巨大な〈魔王〉を倒して第一世界へ帰れるとは、堕天男には微塵も思えなかった。

 少なくとも第一世界へ戻れば、シーの異世界携帯電話スマホ黒き翼の組合ダークウィング・ギルドの仲間たちに助けを求めることはできるはず。

「出口はお前ら教団のアジトなのか?」

「そうだ。エル・ガイウスの大教会の地下に通じている。君たちに逃げ場はないぞ」メグロスの返答は予想通りだった。


「じゃあ、ここでお別れだな」


 堕天男の唐突な言葉に、メグロスの顔が強張った。

 黒葬魔法ブラックレイでアウトノアごと闇に葬られる――⁉

 天使メグロスは、死を覚悟した。

 せめてこの身に代えても愛する者アウトノアさん守護まもらなければ――


 しかし堕天男がそれを実行することはなかった。

「そう警戒すんなって。後ろから撃ったりはしねえよ。はよ行けって。女が死んじまうぞ」

「何ッ。君たちゲートもなしにどうやって第一世界に帰るつもりなんだ」

「まあ何とかしてみせるさ。じゃあな。天使にもお前みたいなヤツがいたのは意外だった。良くなるといいな、

 堕天男の意図がわかりかねる様子だったが、アウトノアのこともあったので、メグロスは堕天男から視線を外さぬまま出口に向かって歩みだす。

「君のも、良くなるといいね」

 天使メグロスは一瞬緊張の糸がほぐれ、しかしすぐにハッとしたように。

「こ、今回はアウトノアさんに免じて見逃してあげよう。でも、次に会った時は労働刑を覚悟しておくんだね!」

 などと、立場上天使としての捨て台詞を吐き、気を失ったアウトノアを抱えて出口へと向かっていった。


「さて。どうするかな」

 あのまま天使どもの本拠地へと出ていたら、自分もシーも天使軍に捕まり、第三世界収容所にふたたび収監されていただろう。

 この紫色の空間は、いったい何なんだろう。

 第一でも第二でも第三でもない、第四の世界?

 ここで死んだら、自分とシーの魂はどうなるのだろうか。

 跡形もなく消え去るのか。

 それとも魂だけになって、この空間を彷徨い続けるのか。

 魔法大学卒のシーなら何か知っているかもしれないが、彼女が眼を醒ます様子はない。

「腹が、減ったな」

 ブリーゼとの魔法試合の日の朝に食べた軽食以来、何も口にしていない。まあ何かしら食っていたところであのクソ店長デカトリースに内臓をグチャグチャにされたので意味がなかっただろうが。


 本当に、自分はどうやって復活したのだろう。

 シーが無理をして自分を生き返らせる魔法でも使ったのだろうか?

 ブリーゼのやつは、俺たちがここにいることを知っているのだろうか。

 シーはともかく、さんざ猫可愛がりしていた自分がここで朽ち果てようとしているなら――助けに来るかもしれない。


 堕天男は心底自分が情けなくなった。

 とりあえず、どこか他に出口を探すか。

 もしくはブリーゼ、ないしは他の魔法使いが偶然にも扉を開けて現れるのを待つか。

 あてもなく藁をも掴む想いで何時間もさまよい考え続けたが、答えは見つからない。


 グエー。


 唐突に、獣のうめき声のような音が、どこかから聴こえた。

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