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 腐敗臭にむせ返り、目が覚める。染みる両目を擦り隣に首を向ければそこには虫の湧いた何者かの死骸が老木にもたれており、自らの顔を這う違和感に手を触れれば、どうやら僕自身も食われ始めているようだった。


「おはようございます」


 どうにも合わない焦点をどうにか重ね声の先を確認する。そこにいたのは一人の少女。見覚えはない。年頃は近いように思う。痩身気味で血色が悪く、視線は僕の奥底を見通してきて、全身を寒気が襲う。

 ああ。

 こいつは、死者だ。


「おや? まさか……記憶がない?」


 混濁する過去を探る。昨晩、いやその前……今の日付が分からないが、どうにも長い時間が過ぎている気がする。日は低く、肌寒い。少なくとも一晩は越しているはずだ。


「本当に覚えていないのですか?」


 仕方がないですね、と透き通るほどに青白い――それは例えではなく、事実透き通っている――肌の少女が、作り物と分かる下手な微笑みを浮かべて経緯を説明し始めた。

 とある事情で逃亡していたところアクシデントに見舞われ、三途の川らしき場所を行ったり来たりしていた。現世に戻ってきてうつらうつらとしていたところ僕が現れ、


「私を殺して食べたというわけです」


 バクバクムシャムシャ獣のようでした、と大げさな身振り手振りで両の手を口元へと運ぶ少女。よくよく見れば彼女は僕の通っている高校の黒一色に染められたセーラー服とスカートを着用しており、胸元に付けられた学年章は僕のものと同じだった。


「そしてあなたが目覚めるまでに一ヶ月が過ぎました。死んでしまったのかと思いましたよ。かわいい私のものとはいえ人のお肉ですからね。生のままは駄目でしょう」


 しかしそのおかげでもあるのです――と少女は続ける。


「我思うゆえに我あり、というやつです。私という存在は死んでも生き続けることができました」


 彼女は再び、笑みを浮かべる。

 今度のものは作り物ではなかった。整った容姿には似合わない、薄ら気色の悪い、心からの笑顔。


「私はまた、人を殺せるのです。なんと幸せなことでしょう!」


 快晴の空から小さな粒が次、次と落ちる。

 やがて雲ひとつない青には黒色が混ざり、一面を覆う。

 閂の町に、今日も雨が降る。[完]

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閂にて 海溝 浅薄 @hakobox

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