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 どうにも人が多くて落ち着かない。

 理由は明白で、日付が変わり、小雨に混ざって濃霧が現れ始めたというのに、節電のため等間隔に街灯の消された公園を行く人々は帰路につくこともせず、それどころか仲間を引き連れ増加してきているのが原因である。僕のように居住地が不定ならともかく、安らげる場所があるのなら帰れば良いのに。

 普段仮眠に使用している東屋では酒盛りが開かれ、全くの部外者である僕は近づくことすら叶わなかった。これでは今夜は歩き通しで時間を潰すはめになるが、それだけは避けたい。

 しかし、いったい何が行われているのだろうか。今の時期は特にこれといった催しはなかったはずだが。


「ご存じないのですか? ケンケン祭ですよ」

「ケンケン?」

「はい。恋人たちがお互いを見つめ合いながらこれまでに育んできた愛を語り合い、夜のひと時を過ごすというロマンティックなイベントです。見る見るで見見」


 人と視線を合わせることを苦手とする僕にとっては狂気の催しとしか思えない。まったくもって何をどう楽しめるのだろうか。


「まぁ、時流につれて見つめ合うという重要な行為は忘れ去られてしまい、思い出を語り合う場になってしまったようですけれど。対象も恋人だけに留まらず友人同士、はたまた出会ったばかりの人たちにまで及び、騒ぐための口実になってしまいましたが」

「……見る、ということがそこまで重要か? 別に人の目なんて」

「重要も重要、最重要ですよ! このイベントは必ず霧の中で行われるのです。閂は雨の町であると同時に霧も多いことはミトカワさんも知っての通りです。霧は人を隠し、人は霧に紛れます。それはすなわち――」


 人間と、それ以外の存在の入れ替わりが発生するということだとササは続けた。


「見る、といっても好意的なものではなく見張り、相互監視ですよ」


 見回せば、霧が濃く広がっている。

 どこからか甲高い叫声が響き、それを合図としたように、ざわめきは多方へ伝播する。


「皆さん、薄々気がついていたはずなんですけどね。分かります。まさかそんなはずはないって。そう思いたいのでしょうね。でもそれは、残念ながら愛した人ではないのです」


 霧の中の喧騒に焦燥が混ざる。

 その先には誰が、何がいるのだろうか。


「……お前は誰だ?」

「かわいくてかわいいササちゃんです」

「いや、周りから聞こえる会話だ。お前は誰だ、あなたは誰って互いに疑いあっているような」

「気にしないで大丈夫ですよ」


 ベンチに座る僕の隣にササが腰掛け、青白い顔を近づけてくる。常日頃から浮かべている作りものの微笑みに混ざるのは、人々の戸惑いに対しての幸福感。こいつは、事態を楽しんでいる。


「今は私だけを見ていれば良いのです」


 死者は目を閉じることはない。呼吸もしない。僕の前にはササの小柄な姿が存在して見えるが、他者からはそこに誰の姿も認識できないだろう。僕はいったい何を見ているのか。これはもしかしたらササではないのかもしれない。僕は誰かに見られている。ササか? 違うのではないか? 思い込みではないのだろうか? 僕は生きているのか?


「ミトカワさんはいつ死ぬのですかね?」

「――――僕が知るかよ」


 前言撤回。悪霊は間違いなく存在している。

 お互いを見つめあい、というよりかは一方的に視線を合わせてくるササにより、百の言葉で罵倒され、二百の表現でササが自身を褒め称える時間が過ぎる頃、唐突に雨が降り始め、霧と共に集団は散った。

 ……もう二度とこのような催しには参加しないことにしよう。

 少なくとも、僕が生きている間は。[了]

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