忘れられた男

「だいき‥‥‥」


 美緒は眉間に皺を寄せながら呟く。

 

「やっぱり勘違いかな‥‥‥」

「‥‥‥っ!美緒!僕のことが分かるの!?」

「え?いや知らないけど…」


 そう、だよね‥‥‥。

 美緒は僕の事忘れてしまったんだ。【命分け】を使ったんだから当たり前だよね。そうだよね‥‥‥なんで僕は今更になってそんな事考えてしまうだろう。美緒は忘れたんだ、僕を。僕は忘れられんだよね、美緒に。

 そうか……僕、忘れられたのかぁ‥‥‥後悔はしないって言ったのにな、涙が止まらないや‥‥‥。


「だ、大丈夫‥‥‥?」

 

 美緒は止めどない涙を流すだいきに心配した声を掛ける。

 醜い顔は涙を伴って更にぐしゃぐしゃな酷い様になっていて、美緒は無意識に一歩後ずさる。

 美緒は心優しい人間だ。目の前で泣いている人を見ようなら、すぐに駈け寄って慰める、そんな人間なのだ。だが美緒は、だいきが悪い人じゃないと理屈では分かっていても、本能が邪魔をしてしまっていた。

 理由は単純だった。

 

 まるで化け物のようなだいきの顔に、恐怖したのだ――――。

 

 二人の間の距離は決して近くない。神社に上がっているだいきと、階段下でそれを覗く美緒。美緒はこの距離だからまだ安心できた。しかしあの化け物のような男がもし近づいてきたらと、内心では冷や汗をかいている。

 ましてや近づいて慰める事なんて出来る訳がなかった。

 心優しい美緒にも、本能からくる恐怖には勝てなかったのだ――。


「その、私、もう夜遅いから行くね。君も早く帰りなよ……?」

「‥‥‥」


 それを皮切りに、美緒は踵を返した。


「行っちゃったな‥‥‥はは」


 だいきは力なく笑う。

 しかしその手は痛々しい程強く握られていた。

 血の滲むほど噛んだ唇はわなわなと震え、涙は頬を伝ってゆっくりと落ちていった。気を抜けば今すぐにも崩れ落ちそうな足は、もはや平衡感覚を失っている。

 目の前のすべてが灰色に見えて、だいきは徐々にあらゆる感情が消えていくような感覚に陥る。


「み、おっ……」


 美緒は僕を忘れたんだよ。


「みお”っ……!」


 あの優しい笑顔は僕に向かないんだよ。


「ま”って‥‥‥!」


 諦めなよ。

 

「い”かな”いでっ‥‥!」


 後悔はしないんでしょ。


「ひとりに、しな”いでっ‥‥‥!」


 美緒のあの柔らかい感触は。

 美緒のあの心地よい髪の感触は。

 美緒のあの包み込んでくれるようなはにかんだ笑顔は。

 美緒のあの鼻腔をくすぐるような心地よい香りは。

 

 


 もう―――




「う”わあ”あ”あああああああああああああああああ!!!!!」




 ―――消えたんだよ。




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