6.手紙

6-1

「今、都は各国の交易の中継地と為替のための特別区として整備が進んでいる。その中心で働いているのは今までスリザールの王宮で働いていた官僚たちだ。市井の人々も、新しい時代の新しい暮らしに沸いている。世界は変わる。悪は滅んだのだ、とね」


 ホラスが何かを言っているが、私の耳は完全にそれを素通りさせていた。

 あの三人が死んだ?

 一体何を言っているのだ。

 六か月前――私の記憶では、つい先ほどまで一緒にお茶を飲んでいたのだ。

 あの三人が死ぬはずがない。

 いや。ついさっきまで一緒にいた仲間が数秒後には死んでいくことなど、とうの昔に経験しているではないか。

 けど、あの三人に限って。そんなはずがない。あの三人が死ぬはずがない。いや、あの三人だって不死身じゃない。そうだ。そもそもあの牢獄の中で三人は死ぬつもりだった。それを私が助けたんじゃないか。でも、死ぬはずがない。私を置いて。だって、お茶が飲みたいと。私の淹れたお茶が飲みたいと。違う。あれは牢獄の中のことだ。そうだ。もう彼らに死ぬ理由なんてない。理由もなく人が死ぬのがこの世界じゃなかったのか。違う。違う。変わったんだ。変えたんだ。あの花吹雪の中で。来年も。また来年も、花見をしようと――。


「サクラ君」

 

 一体どれほど放心していたのか、気づけばホラスが私の両肩を掴み、真っ直ぐに目を見つめていた。


「すまない。混乱するのも当然だ。だが、貴女には受け入れてもらわなければならない」


 その紫紺の瞳に映る私は、一体どんな顔をしているだろうか。


「まずは体力を回復するところから始めよう。少しずつ栄養を取って、できる範囲で体を動かすんだ」


 私は、一切の思考を停止したまま、ホラスやボトル・ベビーたちに促されるまま離乳食のような食事を摂り、老人の介護のように体を動かされ、瞼に重みを感じたところで再び寝かされ、そのまま意識を失った。

 

 次の日も、同じことの繰り返しだった。

 あれやこれやと世話を焼かれる自分の体をどこか他人事のように感じながら、ただ呆然と呼吸を繰り返していた。

 何も考えられなかった。

 何かを考えたくなかった。


 さらに数日。

 どうにか松葉杖の力を借りて歩行ができるようになったとき、ホラスからこんなことを言われた。


「サクラ君。貴女に会ってもらいたい人がいる」


 そうして、初めて部屋の外に出たとき、まず目に入ったのは広い中庭だった。三方を剥き出しの廊下に囲まれた中庭には日差しがたっぷりと降り注ぎ、青々と茂る葉を揺らす畑が半分ほどの面積を占めている。

 その手入れをしているのだろう、二人の男児が私に気づいて手を振ってきた。

 向かいの廊下は広間に繋がっているらしく、大勢の気配がした。


「ホラス、ここは一体何の施設ですか?」

 掠れた声の私の問いに、ゆっくりと前を歩いていたホラスが振り向き、柔らかな笑みを浮かべた。

「それも含めて、これから会う者に諸々の説明をしてもらうのさ」


 私が寝ていた部屋は、廊下の端に位置していた。

 その反対側の端の部屋まで私を案内したホラスは、扉を開けたところで私を促し、中に入れさせた。

 その部屋は小さく、真ん中に置かれたベッドがほとんどの面積を占めていた。

 その上に寝かされている人物が、大儀そうに首を動かし、私と目を合わせた。


 その人物に、正直なところ、私は予測をつけていた。

 ここ数日、放心しきった頭の中で、それでも徐々に動き始めた思考が一つの考えを齎していたのだ。


 人間を半年もの間昏睡させ、生き長らえさせる魔導薬?

 なんだ、それは。そんな薬の存在など聞いたこともない。それは果たして、ミソノ様が用意したものだろうか。

 いや、彼女は決して魔法の知識が豊富ではない。王宮で得られる以上の情報を得ることはできないはず。

 ならばそれは、一体誰が?

 心当たりには、直ぐに思い至った。

 それは、ホラスが行方を眩ませたタイミングで、同じように消息を絶った人物。



「おや。お久しぶりですな、メイド長殿」



 元トラバーユ領主――ビンセント・ゴイル。


 顔を見るのは実に三年ぶりになる。だが、その姿は私の知る彼のものとはかけ離れていた。

 顔の皺はより深く、皮膚は弛み、一回りは萎んだように見える。声にも張りがない。そして何より、ゆったりとした衣服の袖のシルエットが明らかにおかしかった。

 右腕が失われているのだ。


「は。は。すみませんな。最近はすっかり足腰も衰えてしまいましてね。このような恰好でお恥ずかしい」

「なぜ、貴方が……?」

「一応、書類上は私がここの院長なのですよ」

「院長?」

「ええ。この、孤児院『瓶児の船ボトル・シップ』のね」


 孤児院?

 孤児院だと? それは、二年前、花見の宴で私と三悪党が交わした与太話ではないか。

 結局、資金も人材も不足した現状、継続的に運営するのは今の段階では不可能と判断して流れた話だったはず。

 それが、なぜ――。


「ふむ。そもそもの話からしましょう。始まりは、陛下が生前私と交わした約束のことでした」


 以前、国王陛下がゴイル侯に国政について師事していた際、こんな会話を交わしていたのだという。



『ゴイル侯。貴様がこの帝都と帝国で今まで為してきた所業を聞いた』

『おや。何か思うところがおありですかな』

『貴様の罪は、我が王宮の罪だ。俺に貴様を断罪する資格などない』

『は、は、は。何を言い出すかと思えば……』

『ゴイル侯。約束してくれ。俺は必ずこの国を建て直す。もしもその時、貴様がこの俺を王と認めてくれるのならば、貴様の知識と経験を、どうか国のために活かしてほしい』

『それを約束して、この私に何の得が?』

『貴様の望む平穏な暮らしを、必ずや俺が実現してみせる。ミソノにもレンタロウにも邪魔はさせん』



 だが、その約束は果たされなかった。


「全く、最後まで愚かな王でしたな。まさか身分を隠したまま戦場をうろついて敵に殺されるとは……。つくづく、救い難い……」


 その言葉が、僅かに湿って聞こえたのは、果たして私の気のせいだったろうか。


「その約束を、レンタロウ君が勝手に引き継いだのですよ」


 戦後、あの御輿に仕掛けられた罠の一件の後、レンタロウ様はゴイル侯の消息を既に掴んでいたのだという。

 しかし、陛下との約束を果たすため、それ以上彼を表舞台に引きずり上げることはしなかった。その代わりに、彼にこの孤児院の構想を伝え、実現に力を借りた。


「ここでは、帝都で行き場をなくした孤児たちが、今までゴイル家が蓄えてきた農学と薬学、兵学、経済学を学んでいます。これから先、この都はどこの国にも属さない商業特区となる。その中で有用な人材を、この場所から排出する。傭兵になりたいものは傭兵に、商人になりたいものは商人に、薬師になりたいものは薬師になればいい。


 世界は変わる。近い将来、貴族だの王族だのという身分が意味を失う世界が来る。経済と流通の世界です。この小さな方舟は、やがてその世界で最も価値のある宝を生み出すでしょう」


 つまりそれが、レンタロウ様の本当の狙いだったのだ。

 王政を排した議会制度。それはあくまでも隠れ蓑にすぎなかった。

 世界など、既存の仕組みなど、いくらでも変えられるのだと。そう教えるためのパフォーマンス。

 平民の、平民による、平民のための世界。

 そこでは、あらゆる可能性を内包する子供こそが、最も価値のある存在なのだ。


「子供が、苦しむことのない世界……」

 

 私が、ぽつりと漏らしたその言葉に、ゴイル侯の口の端が僅かに持ち上がった。


「さて、メイド長殿。貴女に渡したいものが二つあります」

「……なんでしょう」

「まずは、これを」


 彼が、ベッドの横の文机から取り出した一枚の書類を私に差し出した。

 そこには、この『瓶児の船』の所有権と経営権を、私――サクラ・アメミヤに譲渡する旨が認められている。


「私も、もうこのザマですからなぁ。全く、こんな騒がしい学び舎、平穏な暮らしにはほど遠い……」

「しかし、なぜ私に……」

「それをご存知なのは貴女の方では?」



『じゃあそうなったら、サっちゃんが院長先生だね~』



「あ……」

「それともう一つ、これを」


 それは、白木で作られた文箱であった。

 封をするように紐が巻かれ、その上に、文字のようにも、絵のようにも見える奇妙な象形が描かれた紙が貼られている。


 ――――『桜』。


「それは、貴女の持ち物の持つ魔力にのみ反応し、解けるようになっています。それが何かも、貴女なら分かるでしょう。ああ、念のため。必ず誰にも見られないように開けろ、と、言付けを寄こされましたよ」

「そう、ですか……」


 それを震える手で受け取った私に、ゴイル侯が奇妙な笑みを浮かべた。

 

「しかし、なあ。聞きましたかな、メイド長殿。あの三人が全員死んだそうで」

「…………」

「これは、どうでしょうなぁ。私の勝ちということではないですかな?」

「は?」


 徐々に、徐々に、その口が吊り上がっていく。

 皺に埋もれた目に、薄暗い光が宿る。


「は。は。ははははは。はははははははは。死んだ。死んだ。死んだ! あの忌々しい三人組が! どうだ。私は生きている。どうだ。私の勝ちだ。なあ、そうでしょう。メイド長殿。は、は。はははははは」


 その、醜悪な老人の高笑いを、私は黙って聞き入れた。

 不思議と嫌悪感はなかった。

 ただ、空虚な寂寥だけがそこにあった。

 やがて乾いた笑いは空咳に変わり、そこに痰が絡み、苦しそうに喉を抑えたゴイル侯は机の上の湯飲みを呷り、ゆっくりと呼吸を整えた。


「………………楽しかったですなぁ、メイド長殿」

「……」

「辛いことも、ままならないことも多くあったが、今思い返してみれば、まあ。ほどほどに、楽しい人生でしたよ」


 今にも消え入りそうな声で呟くその言葉に、私の頭が、自然と下がっていた。

 

「お疲れさまでした」

「ええ。そうですな。少し、疲れました。そろそろ、休ませてもらえますかな」

「はい。それでは」

「…………ああ。今日は、良い日だ」


 


 翌日。


 私は無理を言ってホラスに馬車を出してもらい、一人、都の外の湖まで足を運んでいた。

 丘の上の墓石の前で座り込み、湖面を覗き見た。

 日差しを受けて波が輝き、風に水の匂いを乗せて運んでくる。

 反対側の岸に並ぶ木々は、今は普通の樹木のように青葉を揺らし、微かなざわめきを耳に届けていた。


 私は、ホラスによって保管されていた飛竜の短剣を鞘から抜き、ゴイル侯から受け取った文箱に当てた。

 ぷつり、と紐が切れ、蓋が開く。


 そこに収められていたのは、三葉の手紙であった。



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