5-3

《とある僧侶の破戒》



「負け戦に付き合ってもらうわ」


 救国の聖女――ミソノ・イテクラ様からそんな言葉を頂戴したとき、私の胸に去来したのは、確かな高揚感だった。

 

「悪いけど、私は国王陛下と違って口八丁は得意じゃないから、あんたらを上手く騙してその気にさせてあげるようなことはできないわ。普通に負けるし、何人死ぬか分からない」


 当然だろう。

 我々僧兵だけで敵軍の侵攻など阻めるはずがない。いや、今スリザールが置かれている状況を思えば、阻んだところで意味がない。もしも奇跡が舞い降りて今眼前に迫りくるレイブンクリュー軍を退けられたとして、その頃にはハーフルバフとグリフィンドルどちらかの軍勢が都を蹂躙しているだろう。

 

 聖女様が我々を誘おうとしている戦場は、ただの死場だ。

 彼女は戦略として三国に対する平等な降伏を選ぼうとしている。そのための戦術として、我々全員を死出の旅に連れ去ろうとしているのだ。


「ただし――」と、彼女は我々の前に籤箱を取り出して見せた。


「各部隊の隊長にこれを引いてもらう。当たりを引いた部隊の連中には別の作戦を言い渡すわ」

「別の、作戦ですか……?」

「ええ」


 そう言って聖女様が語った策を、我々は黙って聞き、受け入れた。

 

「別に難しいことじゃないでしょ? 見事当たり籤を引けたら命が助かる可能性があるってこと。喜びなさい?」


 それを聞いた私は思わず苦笑してしまった。

 隣を見れば、同じように私の同僚も。そして、彼女の目の前にいた私の部隊の隊長が、遠慮がちに答える。

「聖女様。それは我々にとって、“外れ籤”です」

「……あっそ。別にいいけど、仕事はきっちりこなしてもらうわよ。都の非戦闘員の連中にも同じ籤渡してるから、そいつらと連携とってちょうだい」


 分かっていますとも、聖女様。きっと都で待機している僧侶たちにも、同じ反応をされたのでしょう。

 我ら聖陽教会に未来はない。

 仮に聖女様の策が実り、降伏が受け入れられたとして、それで都の市民や国土各地の領民たちの安寧が約束されたとして、聖陽教会にだけはそれは訪れない。

 一体どこの国が、併呑した国の宗教をそのまま認めてくれるというのか。ましてや、奇跡と銘打って明らかな武力を蓄えている我々の存在を。


 だがそれすらも、聖女様はひっくり返そうとしているのだ。

 そのための礎に、自らがなろうとしているのだ。

 ならばそれを扶け、共に死出の道を往くことに、いったい何の不満があろう。

 その小さな体で国の命運を背負い、なお露悪的に振る舞い、我らを遠ざけようとする少女を、その彼女がほんの僅かに見せてくれた精一杯のを、どうして蔑ろになどできよう。


「じゃ、ちゃっちゃと引いちゃって」


 結果、私の隊長は見事外れ籤を回避した。

 その外れを引き当て、絶望に顔を蒼褪めさせた連中とみなそれぞれに熱く抱擁を交わし、彼らを見送った後で、いよいよ私たちは出陣したのだった。






「次! 敵三番に『噬嗑パニッシュメント』! 四番下がって! 三分で補給! 六番! 右翼に注意して! 抜けられるわよ! 四番は補給完了次第六番に援護!」


 そして、当然の如くに、私たちは劣勢だった。

 西方より侵攻するレイブンクリュー軍の中でも突出した部隊に奇襲をかけるかたちで戦闘は始まり、こちらの数的不利を逆手にとった分散戦術で敵の軍を少しずつ削っていき、その度に我らの部隊も少しずつ人数を消耗させていった。

 そしていよいよ分散させる余裕もなくなった部隊を一纏めに再編し、最後の抵抗に敵軍と真っ向からぶつかっているのだ。


 砂山が崩れるように、氷が溶けるように、私たちはゆっくり全滅へと向かっていた。

 そして――。


「おい。だ」

「……はい」


 そろそろ、使


 出陣前に聖女様が引かせた籤引、実は前もって全員が知っていたのだ。

 都を守っている僧侶たちからの密使が、聖女様には秘密裏に我々僧兵部隊にその全容を教えてくれていた。

 そして、聖女様に気取られぬよう行われたによって、私は見事に外れ籤を引き当てたのだ。


 聖女様をここから逃がす、その重大事を担う役を。


 それは都に残った僧侶たちからの願いでもあり、我らの総意でもあった。

 我々の役目は、そもそもが時間稼ぎだ。

 敵三国からの侵攻を均し、三国同時に停戦を結ばせる。その上で平等な条件で我々の国土を分割させることで、どこか一国からの搾取を防ぎ、国民を守る。


 既に我々のこの戦場での役目は果たしたと言っていい。目標としていた作戦時間は先ほどクリアできた。

 ならば、もうこの場に聖女様は必要ない。


 無論、許されることではない。

 教皇様より直々に認められた聖女の言葉に逆らい、その作戦を毀すなど、破門に値する蛮行だ。

 だが、それでも。 

 死なせたくなかった。

 粗暴で、口が悪く、礼儀を知らず、性根は曲がり、笑みは邪悪で、それでも、底抜けに優しい、あの異国の少女を、死なせたくなかったのだ。


 私は隊長からの命に従い、今まさに特攻に向かおうとしている部隊を離れた。


 背中に、仲間たちの雄叫びが断ち切られていく音を聞きながら。

 聖女様が指揮を執っている天幕へと全力で駆ける。

 逃亡ルートを頭の中で反芻し、彼女を拘束する際にかけられる罵詈雑言を覚悟する。

 そして――。


「聖女様!」



 私が。

 見たものは。



「…………え??」



 血。

 倒れ伏した小さな体の、散らばった長い黒髪の間に見える背中から、どくどくと流れる血が。


 数名の僧侶に取り押さえられた女の姿。

 その手に握られたナイフ。

 血塗れの、刃が――。


「なにをやっている貴様あああ!!!!!」

「待ち、なさい」


 即座に詰め寄った私を、か細い声が止めた。

 倒れ込んだ聖女様が、腕を振るわせながら、上半身を持ち上げようとしていた。


「聖女様!」

「そい、つの、顔、見せて……」


 その声は、とっくに掠れていた。

 回復薬はない。もう全て使い切ってしまった。

キュア』の奇跡を使えるものも、みな死んでしまった。

 血が流れていく。

 抱え起こした私の腕の中で、命が失われていく。


「ちょ、うどいいわ。そうやって、ちょっと、血、抑えてて」

「聖女様。申し訳ございません。申し訳ございません……」

「べつに、いいわよ。……それ、より。やって、くれたわね。


 そう言って、聖女様が視線を向けた先には、取り押さえられ、地面に顔を擦りつけられた女の姿があった。

 一瞬、老女かと思った。

 だが、よくよく見れば、皮膚はぼろぼろに荒れ果て、血の気を失い、声も掠れたその女が、まだ年若い娘であることが分かった。


「あ。あ。ようやく……。ようやく……」


 震える声で譫言を繰り返す女は、確かに聖陽教のシスターの服を身に着けていた。

 その眼から、滂沱の涙が流れていた。

 

「貴様! 自分が何をしたか分かっているのかぁ!?」

「う、っっっさいわね。でかい声、出すんじゃない、わよ」

「聖女様……」

「ねえ、シスター?」


 どういうことだ。この女は聖女様と既知の間柄なのか?


「長かった。ここまで……。ああ、ようやく……」

「ホント、よね。こんな、土壇場で、急に来るんだ、もの。こっちだっ、て。忘れかけてた、っての」

「ええ。ええ。長い道のりでした。勇者様があなたたちに敗れ、その復讐を誓った日から、三年間。ひたすら、自らの無力さに打ちひしがれる日々でした。せめて誰か一人、そう思っても、ウシオ・シノモリも、レンタロウ・クスノキも、そしてあなたも、到底私などでは近づけぬ場所に……。私は、自分一人命を繋ぐのに精一杯で……。もう、ダメかと。私は所詮、路傍の石くれに過ぎぬのだと」

「はっ。しょうもない、人生、送ってきた、みたいね」

「……あなたは、どうだったのですか?」


 その、互いにか細く掠れるような声で交わされる二人の会話を、その場の全員が黙って聞いていた。


 ごぷ、と。

 音を立てて、聖女様の口から血の塊が零れた。

 その唇が、見慣れた、歪な形に吊り上がる。



「楽し、かったわよ。いい、人生だった」



「ああ……。この、悪党……」


 女の震える声。泣き笑いのような表情を浮かべる咎人。

 それを――。

 

「……許すわ」

「……え?」

「私は、あんたを、許すわ」

「なに、を、言って――」


「だからあんたも、自分を許してやんなさい」


「あ。あ――」


 それが最期の言葉だった。

 慟哭が、天幕の中に響いた。

 私の腕の中で、聖女様がいつこと切れたのか、分からなかった。

 私はただ、黙ってその小さな体を抱きしめ、敵の兵士たちが近づいてくるまで項垂れていることしかできなかった。

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