5.君の知らない物語

5-1

 まず感じたのは闇だった。

 闇の中で、闇の中にいる意識を自覚したとき、自分がそれまで意識を失っていたことを知った。

 次に感じたのは渇きと飢えだった。

 いまだかつて経験したことのない飢餓感に襲われ、私は自分の体に意識を移した。


 寝かされている。

 首から下が何かに覆われている。

 しかし、体が動かない。

 力が入らないのだ。

 指一本ですらが満足に動かせない。

 意識して息を吸う。

 鼻から吸った息が喉を通っただけで痛みを感じた。

 唾液を飲み下そうとしたが、それも湧いてこない。


 闇の向こうに光を感じ、鉄のように重たい瞼をこじ開ける。

 その瞬間、暴力的な赤い光が目を焼き――。


「う」


 錆びついた呻き声が喉から漏れた。

 それに反応したように、ぱたぱたと駆け寄る足音が聞こえる。


「お姉ちゃん?」


 子供の声。

 どこかで聞いたような、初めて聞くようなその声の方向に顔を向ける。ほんの僅かに開けた目で睫毛越しに窺う視界では、その姿も判然としない。

 それでも、私の顔を覗き込んでいたその顔が、慌てたように離れていったのが分かった。


「お姉ちゃんが起きた!」


 どこかへと駆け出して行ったその声の主を追うこともできず、私は靄がかかったような思考を懸命に動かし、状況を確認することに努めた。

 私はどうやらベッドに寝かされているらしい。

 木造りの部屋。窓からは夕日。清掃が行き届いているのだろう。埃っぽさは感じない。

 体は、徐々に動かせるようになってきたが、まだぎこちない。


 やがて、複数の足音が遠くから近づいてきて――。


「お姉ちゃん!」「お姉ちゃん!」「ホントだ! 起きてる!」「お姉ちゃん!」「やったー!」


 どやどやと、私のベッドの周りを、見覚えのある子供たちが取り囲んだ。

 ボトル・ベビーたちだった。

 そして――。


「こらこら。騒がしくしてはいけない。サラ。カーテンを閉めてくれるかな」


 この場にあって唯一、落ち着いた男性の声が。


「やあ、お目覚めだね、メイド長。まずはこれを飲むといい」


 目の前に、薄緑色の液体が注がれたカップが差し出される。

 傷だらけの手。土に汚れたシャツ。聞き慣れた声と、見慣れた顔の、見慣れぬ姿。


「気分はどうかな、メイド長。いや、サクラ君」

「……ホ、ラス?」


 戦時中に姿を消して以来、長く行方不明であった騎士隊長、ホラス・スラゴーンだった。




「貴女は六か月間、眠り続けていた」


 薬湯を飲み干し、どうにか言葉を発することができるようになった私に彼が語った話は、到底直ぐには受け入れられないものだった。


「かなり特殊な魔導薬を使われたらしいね。正直、話を聞いていても、僕の目には貴女が死んでいるようにしか見えなかった。だが、必ず目を覚ますから、くれぐれも安静にさせておくようにと、貴女が寝ている間の世話の方法まで詳しく指図をもらってね」

「指図……?」

「ミソノ君さ」


 ああ。そうだ。私は、彼女たちにスリザールから逃げるよう促し、それで、菓子に何かを盛られ……。

 いや。そうだ。ちょっと待て。


「せ、戦争は、戦争はどうなったのですか!?」

「落ち着きたまえ。とっくに終結しているとも。今はもう安全さ」

「終結、した……とは?」

「サクラ君。どうか落ち着いて聞いてくれ。スリザール共和国は滅んだ」

「あ……」


 その端的な絶望の言葉に、頭の中が黒々とした闇に覆われていくのを感じた。

 当然だ。私が魔導薬とやらを盛られる前の時点で、既に状況は絶望的だったのだ。そこから半年もの間持ちこたえられるはずがない。

 頭の中に、三悪党たちの顔と、王宮で働く仲間たちの顔が次々に思い起こされていく。

 息が苦しくなっていく。


「はっ。はっ。はぁっ」

「サクラ君。大丈夫だ。良く聞きたまえ。スリザールは敗れた。だが、帝都の市民も、もちろん王宮の官僚やメイドたちも、誰一人死んではいない」

「はっ。はっ。………え?」

「落ち着いて、ゆっくり呼吸するんだ。いいかい。スリザールは降伏したんだ」


 過呼吸を起こしそうになった私を慎重に宥めながら、ホラスは含み聞かせるようにゆっくりと、この半年の間に何が起きたのかを説明した。


 スリザールを囲む三国からの同時侵攻。

 これが意味するところは、当然ながらこの大陸にスリザールの味方がどこにもいないということだ。

 だが、ではグリフィンドル、ハーフルバフ、レイブンクリューが互いに味方同士であるかと言われれば、それもまた否である。


「この同時侵攻は仕組まれていたのさ」


 つい最近まで、この大陸におけるスリザール帝国とは、愚王の治める斜陽国家だった。

 だが、スリザールはあの軍事国家グリフィンドルの侵攻を退けた実績を持ってしまった。

 もしその戦力が、今度は侵攻に充てられたら?

 ましてや、今のスリザールは帝政を排した共和国家だ。この大陸のどの王家にとっても、そんな国政の在り方を許容するわけにはいかないだろう。いつ自国で馬鹿な考えを起こす貴族なり僧侶なりが現れないとも限らない。

 残る二国にとって、それは決して無視できない可能性であっただろう。戦後復興が進み国力を回復される前に叩いてしまおうと考えられたとして、それは極めて自然な流れだ。


 もし仮に、ハーフルバフなりレイブンクリューなりに単独で攻めて来られたとして、スリザールにそれを退けることは出来ただろか。

 出来たかもしれない。だが、出来なかったかもしれない。仮に出来たとして、そのさらに後に残る一国から攻められたとしたら?


 スリザールが滅びることは、どの道時間の問題だったのだ。


 だから、


 あの小さな聖女の、歪な笑みが思い浮かぶ。


 周りに味方がいない以上、そして、自分たちに満足な戦力を望めない以上、戦になれば敗北し、全てを奪われるしかない。

 だが、奪う相手が大勢いたなら?

 敵の敵が味方ではないのだとしたら?

 つまり、ミソノ様は三国の人間それぞれと密通し、スリザールを襲わせるタイミングを揃えさせたのだ。それにより、何が起こるかというと――。


「現在、スリザールは三国による共同統治下に置かれている。どこか一つの国が有利を得ることのないよう、互いに監視し合う形でね。今まで三国の間に存在していたスリザールを中立国として作り直し、通商の自由化がなされたそうだ」


 スリザールは、国としての機能を放棄した。国土は分譲され、貴族たちもまた三分割されてそれぞれ新たなる王家に忠誠を誓い、彼らの領土は属領となった。

 仮にどこか一つの国が略奪行為など働こうものなら、直ぐに残り二国がそれを口実にスリザールから追い出し、己の取り分を増やそうとするだろう。


 そして、どの三国を取って見ても、国土の統治の手腕はスリザールのそれを遥かに上回っている。領民たちにとって、少なくとも今までの暮らしより大幅に苦しくなることはないはずだった。むしろ、商人たちにとっては人流も物流も活発になる分、大きな活力になるだろう。

 そして、その中核を担うのは、今までスリザール王宮にて事実上国を動かしていた官僚たちだ。彼らの手腕と知識なくして、こんな事業は立ち行かない。彼らの身が害される可能性は低い。


 そして――。


はね、サクラ君。つい先月まで帝都と呼ばれていた街のはずれだよ。僕はミソノ君に頼まれ、君の身柄とこの子たちの保護をしていたんだ」


 都に生きる市民や浮浪児ボトル・ベビーたちが、戦火に焼かれることもない。

 一体いつの間にホラスとミソノ様は連絡を取っていたのだろうか。

 そして、何故私は半年もの間昏睡させられる必要があったのか。


 確かに、これは酷い策だ。

 国として生き残ることが出来ないなら、さっさと死んでしまえ、と。

 この国の騎士にも僧侶にも貴族たちにも、到底思いつくことなどできない策。

 この世界でミソノ様だけができる、たった一つのクズなやり方。 

 貴族たちにとって、それは一体どれほどの屈辱であっただろう。だが、そのおかげで私の守りたかったものは不足なく守られた。

 帝都に生きる一般市民も、ボトル・ベビーたちも、そして、王宮の仲間たちも。


 だからこそ、私は問い詰めなければならない。

 あの悪魔のような聖女を。

 王の皮を被った詐欺師を。

 血肉を求める勇者を。


「ホラス。ミソノ様はどこですか?」

「……」

「レンタロウ様とウシオ様は? 彼らの今の拠点はここではないのですか?」


 その問いに、ホラスの顔から表情が抜け落ちた。


「ホラス?」

「彼らは死んだよ」


「……………え?」


「ウシオ君は、一つだけ突出していた敵の軍勢に一人で戦いを挑み、戦死。その足止めのおかげで停戦調停が間に合った。ミソノ君は別の戦場で陣頭指揮を執っていたところ、何者かに背後から刺され亡くなった。そして、レンタロウ君が扮していた陛下は、今回の調停を締結させる条件として自らの首を差し出し、処刑された」

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