4-3

「ホグズミードから教会本部の避難は完了しました」

「本当か! 助かった。直ぐに後方支援部隊の編成を依頼しよう」

「待ちたまえ。優先度を決めなければ。南部の農作地はなんとしても死守する必要がある」

「だが、侵攻度は西部の方が――」

「領土の割譲を検討しては――」

「勇者殿は今どこに――」

「まずはグリフィンドルから叩いては――」

「そうだ。王女の処遇を決めなければ――」



 設立して二年が経ったばかりの議会は紛糾していた。

 無理もない。前代未聞の事態だ。一つの国を狙って三国が同時に侵攻を行うなど、過去の歴史書を繙いても先例などあるまい。

 ただ、前回の戦争と違い、こちらの戦力や資産が外国に流出する事態は起こっていないのが幸いといえば幸いだった。なにせ、流出する先がどこにもないのだから。


 結局なし崩しに騎士団総団長と騎院の頭を努めることになったアイザックス公と、半月前に逝去された先代教皇の後を継ぎ僧院の頭となっていたグリンゴッツ10世。

 日頃、角突き合わせて国政を議論している二人も、この時ばかりは国の被害を少しでも減らすために互いの手を取り合っていた。

 ただ、状況は最悪と言っていいだろう。

 時間も、物資も、戦力も、なにもかもが足りない。

 今こうしている間にも、春に溶ける氷のように、我が国の領土は侵略されているのだ。


 そんな中で、私は蜂の巣を突いたような状態の王宮を一人黙々と歩み、誰も立ち入ることのない暗く冷たい廊下を進み、やがて、古ぼけた扉の前で足を止めた。

 三頭蛇みずへびの紋様が彫られた銀のプレート。

 その下を三回ノックし、軋んだ声を上げる扉を開いた。


「おう、サっ子。遅かったな」

「先に始めてたわよ」

「サっちゃ~ん。お茶淹れて~」


 すっかりこの部屋も使い慣れた三悪党が、それぞれ思い思いに寛いでいる。

 彼らと出会い、もう四年の歳月が経ったのだ。彼らも今年で21歳になる。

 ウシオ様の体にはさらに生傷が増え、ミソノ様の顔立ちも少しだけ大人びてきた。変化がないのはレンタロウ様くらいだが、それは化粧と変装のせいもあるのだろう。

 

「スジャータの茶葉の最後の仕入れを確保しておきましたよ」

「やった~♪」

「あら。ちょうど良かったわ。私もエバンズの菓子くすねてきたから」


 部屋に設えられた湯沸かしの魔道具も、随分使い古されてきたものだ。

 全員分のお湯を沸かしながらも、ゴイル侯爵の屋敷からこれを持ち逃げしてきたときのことを思い出し、また一つ感傷を覚えた。

 

 前回の戦争が終結してからの二年間、ミソノ様は聖陽教会の内部にありつつも、積極的に国政に関わることはしなくなっていた。二年前の政争で、目ぼしい相手は全て蹴落としていたからだ。

 時折申し訳程度に国土各地を回る慰問に付き合う程度で、そこでも特に問題を起こすでもなく、聖女としての皮を被り続けているようだった。


 ウシオ様はといえば、二年前の大規模な魔獣掃討作戦を放り出した後、騎士団なり国政なりには一切関わるつもりがないことを正式に布告し、行方を眩ませていた。平時は国土を廻る武者修行の旅、時折思い返したように都に帰って来ては王宮や傭兵たちの所へ顔を出し酒盛りをし、気づけばまたいなくなっていると、そんな生活を続けていた。

 今回も、一週間ほど前にふらりと王宮に現れ、西方からのレイブンクリューの侵攻作戦の一つを潰してきたと、そんな報告を挙げてきたのだった。


 もう幾日もしない間に、こんな菓子などの入手も難しくなるだろう。

 茶葉と焦げた砂糖の匂いが満ちた狭い部屋の中、久しぶりに集まった四人で、互いの近況などを報告しあった。

 正直、話をいつまでも引き延ばしていたいところではあったが、私の体もいつまでも空けてはいられない。大いに気は進まないが、本題に入らなければ。


「ミソノ様」

「うん?」

「もう、よろしいのでは?」

「…………そうね。潮時かしらね」


 ウシオ様は無言で腕を組み、レンタロウ様は困ったような笑みを浮かべている。


 紛糾する議会の中で、誰しもが期待していた。

 二年前の奇跡の再来を。

 聖女と勇者の活躍を。

 彼らなら、この戦争をも打破できるのではないかと。

 そんな、夢物語を。

 だが――。


「流石には無理そう。どうにもなんないわ」

「あはは。まさか三国同時に攻めてくるとはね~」

「ウシオ様は、どう思われますか?」

「無理だろ」


 その結論を出すのに、誰も躊躇わなかった。

 当たり前だ。

 彼らは生身の人間なのだ。イサム・サトウやセイカ・タナカのようなチートもない。神の導きもない。たった三人きりで、こんな状況をひっくり返せるはずがない。

 ならば、私が言うべきことは一つだ。


「ならば、もういいのではないですか?」

「うん?」

「お逃げください」

「……」


 元より、彼らがこの国を守る義理などないのだ。

 三年前のあの日、既に死を受け入れていた彼らを、私が無理やり戦に引きずり込んだ。

 そして、約束は果たされた。

 それならば、もう――。


「三人だけならば、この国以外のどこででも生きていけるでしょう。必要でしたら偽装用の旅団を用意させます」

「あんたはどうすんのよ。『悪党の引率者』さん?」


 薄く笑みを浮かべて問われたその言葉には、微笑みで返した。


「ですから、もういいでしょう。いい加減うんざりしていたんですよ。レンタロウ様はいつまで経っても徘徊癖を直しませんし、ミソノ様は衣服の畳み方も覚えてくれませんし、ウシオ様の半裸姿も見飽きましたし」

「あんたも言うようになったわねぇ」

「まあ、サっちゃんはそうじゃなきゃね~」

「かっかっか。しょうがねえ。サっ子の笑い顔もいよいよ見納めだな」

「ふふふ」


 私が笑い顔を作れるようになったのは、いつの頃からだったろう。

 

 ミソノ様と一緒になって繰り出した裏賭博で、大臣の一人を全裸に剥いたときだろうか。

 ウシオ様に付き合って出向いた魔獣退治の先で、遠方の空に白龍の舞を見たときだろうか。

 レンタロウ様と城を抜け出し、陛下の墓参がてらに氷上穴釣りを初めて体験したときだろうか。

 それとも――。


 そこで、私は不意に眩暈を感じ、すぐそばにあった椅子に座り込んだ。

 本当に、気が遠くなりそうなほどの濃い時間を、彼らと共に過ごしてきたのだ。

 だが、それもここで……。


 うん?


 テーブルの木目がぼやける。

 おかしい。

 これは徹夜三日目の症状だ。

 昨日はちゃんと睡眠時間も確保できたはずなのに。


「サク。あんた疲れてるわ。ちょっと寝てなさい」


「あ……」


 いや、おかしい。

 ミソノ様の口からそんな言葉が出てくるのもおかしいが、声を発しようとした自分の喉が動かない。

 頭が重い。

 まさか、あの菓子に、なにか――。


「よし。んじゃ、そろそろ行くか」

「うん。シオ君が最初だろうからね。せいぜい楽しんできて~」

「おう。あばよ、サっ子」


 そんな会話が、どこか遠くの方で聞こえる。

 座り込んだ私の腰に、重みを感じた。

 ミソノ様が抱きついているのだと、そんなことを考える間にも、私の視界がどんどん白くぼやけ、思考が薄れていく。


「じゃあね、サク」


 重みが離れ、その代わりに、レンタロウ様の虚無の顔が、ゆっくりと近づいてきた。


「ごめんね、サっちゃん」


 瞳の中に自分の顔を見る。

 吐息の熱。

 唇が、なにか柔らかなもので塞がれ、何も見えなくなった。

 


 それで、最後だった。

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