4-2

 それは、二日前のことだった。


「花見やるわよ」


 王宮にふらりと現れたミソノ様に、そんなことを言われたのだった。


「ハナミ、とはなんでしょうか」

「あの湖の狂い花あるでしょ? あれが咲いたら、花の下で酒盛りするのよ」

「……邪教の儀式かなにかですか?」

「んなわけあるか」


 まあ既に日中はかなり気温も上がってきてはいるので、野外で酒盛りがしたいというなら好きにすればいいが、何故わざわざ花の下で?

 あの狂い花は咲き始める直ぐに散り出すのだ。絶対に飲み食いを楽しめるような状況にはならないと思うのだが……。


「あんたも四分の一は日本人なんだから、付き合いなさい」


 そんなよく分からない理屈で約束を取り付けられてしまったが、正直なところその謎の宴が実現することは難しいだろうと思っていた。なにせ、あの花の寿命は短い。咲いたと思ったら七日前後で散ってしまうのだ。ただでさえ忙しい聖女の立場にあるミソノ様が、都合よくその七日の間に体をあけられるだろうか。

 そう考えていたところに、例の魔力湧出の報が齎され、これはいよいよハナミとやらの予定も流れたな、と、私は正直安堵していた。

 騎士団と僧侶たちが総出で対処にあたるのだ。ウシオ様だってそんな機会を逃すはずもないし、聖女一人が呑気に酒盛りなどできないだろう、と。


 だが――。



「わあ。満開だねぇ」

「お~。絶景、絶景。久しぶりだな」

「私、花見って残飯漁った記憶しかないのよねぇ」

「あああ……」


 あろうことか、聖女と勇者と王様と、なぜか私まで付き合わされて。今、満開の狂い花の下で、四人きりの宴の席が開かれようとしていたのである。

 今朝、ウシオ様の手でほとんど拉致同然に連れ去られ馬車に積まれたときには、一体なんの極秘作戦かと肝を冷やしたのだが、荷台にこれでもかと積まれた食料品と酒樽を見つけ、一気に肩の重みの種類が変わった。


 遠く離れた合戦の地では、今まさに帝都の戦力と発生した魔獣の群がぶつかり合っている頃だろう。

 そんなことは想像もできない程穏やかで暖かな日差しの注ぐ湖畔で、三悪党たちは思い思いに寛いだ表情をしていた。それはまるで、年相応の若者のように。

 春霞に煙る空と、緩やかに波打つ湖面の光に、吸い込まれるようにして薄紅色の花弁が散っていく。この世のものとは思えない光景だった。


「あの。ここまで来てしまった以上既に手遅れなのは承知してますが、本当によかったのですか?」

「いいじゃん、いいじゃん~。こうでもしなきゃ四人で集まることもそうそうないしさ。サっちゃんだって息抜きも必要だよ~」

「しかし……」

「あのねえ、サク。教会だって騎士団だって王宮だって、私らがいなきゃ何にもできなくなるようじゃ困るのよ。誰か一人欠けただけで立ちいかなくなる組織なんて組織の意味ないでしょ」

「ウシオ様は宜しかったのですか?」

「おう。まあ、魔獣の群れにも興味はあるけどよ。いい加減総団長の奴にも覚悟決めてもらわなきゃいけねえし。たまにはいいだろ。それよりサっ子。肉、肉」


 いつも通りにレンタロウ様がてきぱきと焚き木の用意を始め、ミソノ様は敷物を広げて自分一人分だけの酒とつまみを用意し、ウシオ様はなんの獣のものかも分からない骨付き肉を私に押し付けてくる。

 

 私は、言いたいことも言いたくないことも言わなければならないことも言ってはならないことも全て丸めて飲み込むと、それを受け取り、火にかけた。

 ほどなくして肉から脂が滴り始め、香辛料の匂いが春の野に溶けだしていった。


 全員の手に、樽で作られたジョッキ。

 一山いくらの安酒。

 みなの視線の先には、湖面の反対側の丘に立つ墓石。


「かんぱ~い」

「乾杯!」

「乾杯~」

「……………………乾杯」


 こうして、風に乗って舞い散る狂い花の木の下で、異世界式の宴――花見とやらが始まったのだった。




「ねえシオ。これなんの肉?」

「あん? ああ、なんとかいう竜種の幼体だな。味は悪くねえだろ」

「ふうん。なんで魔獣ってのは飼育できないのかしらね。なんとか繁殖させられないかしら」

「いよいよ魔王みたいなこと言い出したね、ソノちゃん」

「確か、十数年前に同じことを考えた学者の論文があったと思いますよ」

「なによ、サク。てことはあんたも同じこと考えたことあるんじゃない」

「数が多くて嵩が大きいですからね……」



「そういえばソノちゃん。シュタイン家の子にお茶会お呼ばれしなかった?」

「されたわよ。良家のお嬢様とやらをずらり揃えて待ち構えてね。一応顔だけ出しといたけど」

「ミソノ様。シュタイン家当主から脅えきった顔で多額の寄進を賜ったと、司祭長から相談を受けたのですが……」

「別にいいでしょ。大したことしてないわよ。弱みを握るのは三人までにしといてやったわ」

「なんだ、ソノ子。随分大人しいじゃねえか」



「サっちゃん、サっちゃん。これ食べてみて」

「……なんです?」

「この湖のニシン。あれから調理法色々試してみてさ~。半年かけた自信作」

「あ、それやっぱりココのだったんだ。悪くなかったわよ、サク」

「おお。甘めの酒に合うんじゃねえか?」

「……………これは、そうですね。好事家たちには受けるでしょう。どうやって?」

「ああ、ゴメン。コストかかりすぎちゃうから、産業には向いてないかな」

「ではなぜそんな労力を……」



「そういや、この前ティモシーのおっさんに会ったぞ」

「ああ、シオ君遠出してたもんね。どうしてた?」

「おっさんは変わりなかったが、教皇のじいさん、いよいよ危ねえってよ」

「しょうがないわね。一回くらい面拝みに行ってやるか」

「とか言って、ピンピンしてお見合い相手とか紹介されたりしてね~」

「うわ。ありそう。ていうか、レン。あんたねぇ、あのクソメンヘラ王女なんとかしなさいよ。こないだすれ違いざまにすごい突っかかってこられたんですけど?」

「それはミソノ様が王宮で串焼きのタレを零すからでは?」



 ……ああ。

 なんだろう、この時間は。


 酒と、脂と、焼けた小麦の匂い。

 春の風に乗って。

 柔らかな光が薄紅色の花天井を透かして降り注ぐ。

 初めは邪魔に思えていた舞い散る花弁も、いつしか気にならなくなって。


 なぜだろう。

 本当は、こんなことをしている場合ではないのだ。

 戦に出ないなら出ないで、やるべきことはいくらでもあるのだ。

 なのに、どうしてだろう。

 この宴が、この場所が、今この瞬間が、なぜか特別で、完璧で、かけがえのない何かのようで。

 暖かで、柔らかで、穏やかで。

 あの、帝都の路地裏を駆けずり回っていた日々から今までの、数え切れぬほど流し流された血と涙の全てに報いるようで。

 

 私は確かに、安らぎを感じていたのだ。

 だからだろうか――。


「サっちゃんはさ。これから何かやりたいこととかないの?」

「はい?」

「国が平和になったらさ。こういうことがしたいとか」

「さあ……」

「こういう国にしたいとかさ」

「……」


 そんな問いかけに、つい口が緩んでしまったのは。


「…………子供が、苦しむことのない国、でしょうか」

「うん?」


 そんなことを日頃から考えていたわけではなかった。ひょっとすると、明日になれば忘れてしまっているかもしれない、ただの思いつきだった。

 それでも、酒精の熱に煽られるように、私の口からぽつりぽつりと言葉が零れた。


「あらゆる子供の命が軽んじられぬ国。……親のいない子供が死なない国。……子供が自分で生き方を決められる国。……子供が、大人の都合で人生を捻じ曲げられることのない、そんな国が……私は欲しい」


 譫言のような私の言葉を、三人は黙って聞いていた。


「……ふん。『子供の権利ライツ・オブ・チャイルド条約』ね」

「ニホンには、そんなものが?」

「一応ね。でも、それでみたいなのが生まれるんだから、あんまりあてにはならないんでしょうけど」

「かっかっか。違ぇねえな」

「じゃあさ~。まずは孤児院でも作ったら?」


 私の思い付きにもならないような与太話から、話が広がっていった。


「孤児院、とは?」

「身寄りのない子供たちに衣食住を保証する施設、かな。普通は宗教団体が運営するんだよね。こっちの世界に来て驚いたのがさ、そういう施設が全然なかったことなんだよ」

「いいんじゃない? ちゃんとした形にするのは直ぐは無理だけど、取りあえず掘立小屋でもなんでも浮浪児ボトル・ベビーの寝床確保して、仕事の斡旋を大人がしてやれば」

「人手ならどこも足りてないしね~」

「こないだサっ子が誘拐されてた屋敷はどうだ。建物半分くらい壊して畑にしちまえばいいだろ」

「じゃあそうなったら、サっちゃんが院長先生だね~」


 ふと、目の前に奇妙な光景が幻視された。

 夕暮れの建物。

 庭で遊ぶ子供たち。

 夕餉の支度ができたと、彼らを呼ぶ私。

 畑の作物に隠れる無邪気な笑顔。

 転びそうな子供の手を取って――。


「……そうですね。それもいいかもしれませんね」

「じゃあ僕が読み書き計算教えに行ってあげるよ~」

「なら、俺は体の鍛え方と肉の捌き方だな」

「なによ、あんたら。しょうがないわねぇ。それじゃあ私は――」

「ソノ子は出禁だろ」

「ソノちゃんは出禁だよ~」

「ミソノ様は出禁です」

「なんでよ!?!?」



「……ふふっ」


 私の口から、思わず笑みが零れた。


「…………え??」

「サっ子?」

「サっちゃん……?」


 いつの間にか、三悪党が揃って目を見開き、私の顔を凝視している。


「なんですか。ふふっ」

「サクが、笑ってる……?」


 その様があまりに可笑しくて、余計に笑いが止まらなくなる。


「あはははは」

「おいおいおい。とんでもねえもん見れたぞ」

「サク。あんた口角筋死んでなかったの!?」

「サっちゃん。やっぱり笑うと美人だね~」


 

 花が舞っていた。

 光が差していた。

 風が吹いていた。

 ミソノ様がいて、ウシオ様がいて、レンタロウ様がいて、そして、私がいた。

 それだけで、十分だった。

 満ち足りていた。

 これが叙事詩の物語であったなら、きっとここで詩は終わる。

 そう感じられるほど、今この時、私は。

 私は。

 

 幸せだったのだ。






 そして、二年後。

 聖歴134年、鳥の月。


 ハーフルバフ、レイブンクリュー、グリフィンドル。スリザール共和国を囲む三国は、我が国に対し一斉に宣戦を布告。


 侵攻が開始された。

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